2007年 07月 22日
沈黙の泉 |
M岡さんが沈黙の泉を紹介しておられるので、私もちょっとピックアップしてご紹介します。年齢と趣味の違いが分かりやすいかもしれませんネ!
2 成人
祈りに倦(う)むことのない弟子に向かって師は言った。
「おまえはいったいいつになったら神に寄りかかるのをやめ、自分の二本の足で歩み出すのか?」
弟子は驚いて言った。「でも、神を《父》と仰ぐよう教えてくださったのは、あなたではございませんか?」
「いつになったら、おまえは悟るのか? 父とは、おまえが寄りかかれる人のことではなく、寄りかかろうとするおまえの傾きを取り除いてくれる人のことじゃ。」
8 警戒
「悟りをひらきたいのですが、そのために何かできることがありますか?」
「ほとんど何もできやしまい。朝太陽を昇らせるのに、何も手の尽くしようがないのと同様に。」
「それでは、あなたの指導される霊的な修行は、いったい何のために役立つというのでしょう?」
「太陽が昇りはじめるとき、人が眠りこけることのないためじゃ。」
156 惑わし
「本物の神秘家とニセモノとをどのようにして見分けることができましょう?」超自然なことに異常なほど興味を示していた弟子が尋ねた。
「ほんとうに眠っている人とタヌキ寝入りしている人とをどうやって見分けるだろうか?」と師は問い返した。
「見分ける手だてはありません。タヌキ寝入りがわかるのは本人だけですから」と弟子たちは言った。
師はただほほえんだだけだった。
後になって師は言った。「タヌ寝入りは他の人をだますことができる。しかし、自分を欺くことはできない。ニセの神秘家は、不幸にも、他人ばかりでなく自分をもだましうるものじゃ。」
179 弱点
いつも喧嘩ばかりしている夫婦に、師は決定的な解決を授けた。
師曰く。「お願いとして恃んでもよいことを、権利として要求するのをやめることじゃ。」
すぐさま喧嘩は終わりを告げた。
193 侵略
情熱にあふれた弟子がいた。
《真理》を教えたいという望みが自分にあることを師に告げ、どう思うか意見を求めた。師は言った。「待ちなさい。」
その弟子は一年たつ毎に戻ってきては、同じ質問を繰り返した。そのたびに師は、「待ちなさい」と。
ある日、弟子は師に向かって言った。
「いつになったら、教えることができるようになるでしょうか?」
師は答えて言った。「人々に教え諭したいという情熱が消えたときにじゃ。」
#楽隠居です
私には、「お願いとして恃んでもよいことを、権利として要求するのをやめることじゃ。」という言葉が非常に印象的でした。夫婦や家族間で、ものを恃む時は当然ですが、学校や社会で人権や平等を権利と認識させることに問題があるのではないかと思えたのです。
お医者様や学校の先生に対しても、患者や保護者が権利を主張しすぎるような気がします。「お陰様で」「よろしくお願いします」という気持ちがないと、年金・保険・介護などの問題なども、権利の主張だけで終わってしまうかもしれません。
声の大きい方が勝ち、という風潮も確かにありますが・・
2 成人
祈りに倦(う)むことのない弟子に向かって師は言った。
「おまえはいったいいつになったら神に寄りかかるのをやめ、自分の二本の足で歩み出すのか?」
弟子は驚いて言った。「でも、神を《父》と仰ぐよう教えてくださったのは、あなたではございませんか?」
「いつになったら、おまえは悟るのか? 父とは、おまえが寄りかかれる人のことではなく、寄りかかろうとするおまえの傾きを取り除いてくれる人のことじゃ。」
8 警戒
「悟りをひらきたいのですが、そのために何かできることがありますか?」
「ほとんど何もできやしまい。朝太陽を昇らせるのに、何も手の尽くしようがないのと同様に。」
「それでは、あなたの指導される霊的な修行は、いったい何のために役立つというのでしょう?」
「太陽が昇りはじめるとき、人が眠りこけることのないためじゃ。」
156 惑わし
「本物の神秘家とニセモノとをどのようにして見分けることができましょう?」超自然なことに異常なほど興味を示していた弟子が尋ねた。
「ほんとうに眠っている人とタヌキ寝入りしている人とをどうやって見分けるだろうか?」と師は問い返した。
「見分ける手だてはありません。タヌキ寝入りがわかるのは本人だけですから」と弟子たちは言った。
師はただほほえんだだけだった。
後になって師は言った。「タヌ寝入りは他の人をだますことができる。しかし、自分を欺くことはできない。ニセの神秘家は、不幸にも、他人ばかりでなく自分をもだましうるものじゃ。」
179 弱点
いつも喧嘩ばかりしている夫婦に、師は決定的な解決を授けた。
師曰く。「お願いとして恃んでもよいことを、権利として要求するのをやめることじゃ。」
すぐさま喧嘩は終わりを告げた。
193 侵略
情熱にあふれた弟子がいた。
《真理》を教えたいという望みが自分にあることを師に告げ、どう思うか意見を求めた。師は言った。「待ちなさい。」
その弟子は一年たつ毎に戻ってきては、同じ質問を繰り返した。そのたびに師は、「待ちなさい」と。
ある日、弟子は師に向かって言った。
「いつになったら、教えることができるようになるでしょうか?」
師は答えて言った。「人々に教え諭したいという情熱が消えたときにじゃ。」
#楽隠居です
私には、「お願いとして恃んでもよいことを、権利として要求するのをやめることじゃ。」という言葉が非常に印象的でした。夫婦や家族間で、ものを恃む時は当然ですが、学校や社会で人権や平等を権利と認識させることに問題があるのではないかと思えたのです。
お医者様や学校の先生に対しても、患者や保護者が権利を主張しすぎるような気がします。「お陰様で」「よろしくお願いします」という気持ちがないと、年金・保険・介護などの問題なども、権利の主張だけで終わってしまうかもしれません。
声の大きい方が勝ち、という風潮も確かにありますが・・
by centeringkokyu
| 2007-07-22 00:06
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