2005年 02月 11日
ネコ殿 デリカシー日記 2/11 |
今日は私の失敗談をお話致します。
(3)私の失敗
1.したい事とするべき事
呼吸法や体操、歩法等をする際、時折、その情景をビデオに撮って反省してみる「がまの油ビデオ(K野さん命名)」をやるのですが、自分の意識している動きと実際の動きにこれ程の差があるのか・・・と毎回「冷や汗」をかきます。
どうしてこう言う事が起こるのか?・・・少し検証して、私の場合、大きく二つの理由が見えて来ました。
一つ目は、練習を始めてもう数年経ち、色々な知識に触れ、自分の知っている事が出来てはいなくても「分かっている」と錯覚しがちな事。
そこには「経験不足(とにかく、何でも自分の今の限界までやってみる)」と「検証不足(自分自身の体感と経験で物事を検証する)」がある様に思います。
二つ目は、その練習で「自分がやるべき事」が何時の間にか「自分がしたい事」とすり替わっている事。
例えば「股関節を正確に動かしたい」と思う時、その為に「今の自分に何が足らないか」、「今、何をするべきか」に焦点を合わせ、その検証の方法を色々「形」で検証して行く訳ですが・・・いつの間にか「早く動かせる様になりたい」とか「この形を上手く出来る様になりたい」なんて・・・自分にとっての「必要」が「希望」とすり替わっている事に気付きます。
自分の想いが「希望」走った時、「物事の本質」から外れ、求めようとする「楽しみ」から実はどんどん遠ざかっている自分に居るのです。
そして・・・理由は二つと言ったものの、ある意味、一つ目の理由も二つ目の理由に影響されていると言っても過言ではないと思っています。
「経験者らしくありたい自分」、「出来る様になっていたい自分」、「早く治りたい自分」「(技なんかで)見事に投げたい自分」、「彼より出来る自分」、色々な自分の希望がその「必要十分条件」を飛び越えて動き回り、自分の釣り合いに自分で足を引っ張っているんですね。
そう気付くと、身体のセンタリングと同時、「自分の意識や心のセンタリング」も忘れずにいたいなと思うのです。
(3)私の失敗
1.したい事とするべき事
呼吸法や体操、歩法等をする際、時折、その情景をビデオに撮って反省してみる「がまの油ビデオ(K野さん命名)」をやるのですが、自分の意識している動きと実際の動きにこれ程の差があるのか・・・と毎回「冷や汗」をかきます。
どうしてこう言う事が起こるのか?・・・少し検証して、私の場合、大きく二つの理由が見えて来ました。
一つ目は、練習を始めてもう数年経ち、色々な知識に触れ、自分の知っている事が出来てはいなくても「分かっている」と錯覚しがちな事。
そこには「経験不足(とにかく、何でも自分の今の限界までやってみる)」と「検証不足(自分自身の体感と経験で物事を検証する)」がある様に思います。
二つ目は、その練習で「自分がやるべき事」が何時の間にか「自分がしたい事」とすり替わっている事。
例えば「股関節を正確に動かしたい」と思う時、その為に「今の自分に何が足らないか」、「今、何をするべきか」に焦点を合わせ、その検証の方法を色々「形」で検証して行く訳ですが・・・いつの間にか「早く動かせる様になりたい」とか「この形を上手く出来る様になりたい」なんて・・・自分にとっての「必要」が「希望」とすり替わっている事に気付きます。
自分の想いが「希望」走った時、「物事の本質」から外れ、求めようとする「楽しみ」から実はどんどん遠ざかっている自分に居るのです。
そして・・・理由は二つと言ったものの、ある意味、一つ目の理由も二つ目の理由に影響されていると言っても過言ではないと思っています。
「経験者らしくありたい自分」、「出来る様になっていたい自分」、「早く治りたい自分」「(技なんかで)見事に投げたい自分」、「彼より出来る自分」、色々な自分の希望がその「必要十分条件」を飛び越えて動き回り、自分の釣り合いに自分で足を引っ張っているんですね。
そう気付くと、身体のセンタリングと同時、「自分の意識や心のセンタリング」も忘れずにいたいなと思うのです。
by centeringkokyu
| 2005-02-11 19:56
| ネコ殿