2007年 07月 08日
柳生流兵法抜刀術 |
この写真は、高橋賢先生が「月刊空手道」に連載された「幻の日本柔術48」に掲載されたものです。元々は、「日本剣道及刀剣」萩尾孝之著(昭和18年)に「柳生流兵法抜刀術」として掲載されていた記事だということです。
居合表太刀 第一向之刀【第8・9図】
二図とも残心である。膝の作用は自由自在、股関節の作用である。前後左右に敵なきを見定めて収刀(おさめとう)をなす。第9図は雷刀の位から、静かに剣先から真直におろし、左肩をやゝ前にして、収刀の勢位(せいい)となる。これも偏身である。(以下省略)
昨日の合気観照塾の稽古では、「合気の身体になるかもしれない体操」の1・2番目しか出来ませんでした。呼吸に合わせた剣の上げ下げだけで終わってしまった感じですが、その大切さはご理解いただけたものと信じます。(出来る出来ないは別にして)
剣の上げ下げと収刀【第10・11図】は、骨盤時計でいえば、12時ー6時と3時ー9時に当たります。収刀の稽古は、模擬刀がないとできませんので、機会があればやってみたいと思っています。
新陰流では、剣を早く抜けば、後は新陰流で戦うのだから、剣を早く抜きさえすればよいと考える会派もあるようです。しかし、私の個人的な意見としては、「抜刀術は、身勢をつくるための鍛錬法であり、剣を丁寧にゆっくり抜く稽古が、最終的には早く抜けるようになる為の方法である。」と考えています。
柳生新陰流の歴史から引用します。
◆柳生制剛流の歴史
流祖水早長左衛門信正が僧・制剛から学んだとされています。水早は柔術、居合術の達人で、その高弟梶原源左衛門直景はこの技を尾張藩に伝えました。さらに新陰流兵法補佐として活躍した長岡房英は、制剛流抜刀術の奥義を究め、次代房成によってその術理が大成されました。
制剛流抜刀は柳生厳周、厳長によって練り直され、柳生制剛流抜刀として、延春へと相伝され、今日に至っています。
参照1:付ける拍子
参照2:五分五分の状態からの体内操作
参照3:道歌してる?Vol.1
by centeringkokyu
| 2007-07-08 11:05
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