2007年 06月 25日
意識のベクトルと合気二刀剣 |
土曜日の観照塾では、座り技で横面打ちを斬り落とし、相手を崩す稽古をしてみました。正面打ちで合し込む稽古はこれまでにもやりましたが、この場合は、相手との接点から相手を斬り落とす場合の力のベクトルと意識のベクトルは同方向になります。
合気道の基本から抜粋します。
『以前、「舟漕ぎ運動」に付いての私の考え方は、書いた事があります。最近久しぶりに気の研究会時代に習った、「面打ち一教運動」や「前後運動」と「八方運動」に興味を持っています。
気の研究会時代に習った剣の使い方は、新陰流を習い始めた時に忘れる事にしました。柔らかい手の内を目指していたのですが、やはり一度は思い切り糞握りにして稽古するべきだと考え、バンバン打ち込んで、稽古が終わって剣を離す時に、指が開かなくなるような状態になりました。本当は間違った稽古なのでしょうが、力ずくでは駄目なことを実感しました。
最近は、何故「座取り正面打ち」が重要なのか、少し考えるようになりました。今までは、正面打ちや横面打ちの稽古も、身体の使い方が雑になりかねないので、あまりしませんでした。しかし、前回の稽古で体験して頂きましたように、打ち手は、相手の腕に接触した状態から、全身を使って斬り押さえるような攻め方をして、受け手(仕手)は、その五分五分の状態から相手の中心を崩して力を返していくための必要条件を満たしていくと面白いのではないかと考えたのです。』
【楽隠居】横面打ちの場合は、合気二刀剣の応用ではないかと考えています。自分の中心軸と相手の中心軸の位置関係。力のベクトルと意識のベクトルの合成。相手の腕の弛みを取って、相手の頸椎に衝撃を与える方法を工夫する必要があります。そして、相手が動くポイントは一ヵ所しかないと思われます。しかも、相手の反応状況によって刻々と変化します。
同時打ち(合気二刀流)から抜粋します。
『剣技教授のときもそうであったが、師は、師の技を懸命に真似る私の両手刀の動きを見ておられ、その左右の手の動きに少しでも時間的ズレが生ずると、それでは駄目だと制止して見本を示され、さらに次のように言われたのである。
「動きに時間差をつけてはいけない。武田先生は、この技の二刀の動きについて、交互に打つのは芸者の太鼓、大東流は同時打ち、と言われていた」
武田先生が言われた「二刀同時打ち」とは具体的にはどのような動きなのか、久師によれば、例えば剣の場合、二刀を振るって相手に打ち込むとき、それが、真っ向・袈裟・横胴、いずれの斬り方であっても、両手で二刀を揃え持って、一呼吸で、同時に、同方向に斬りつけることを言うのである。
注目すべき点は、この「同時打ち」を相手方から見た場合、相手方は、こちらの二刀によって、体のニヵ所を同時に攻撃されることになることである。
私はこれを初めて教えられたとき、二刀のこのような技法、とくに「同方向」の打ち込みが、形の上であまりにも単純素朴で芸がなく、一瞬、はなはだ奇抜な教えを受けたように思えたのであるが、その後、冷静に考察をしているうちに、だんだんと考えが変わってきた。
これは、攻防の手段としては、まさに意表をついた「鬼手」とも言えるものであり、相手方は、体のニカ所を同時に攻撃されることにより、心理的な打撃を受け、一瞬、運動意識が分裂して動きが止まるのである。その現象には、合気の極意に通ずる何か大切なものが潜んでいるのではないかとさえ思わせるものがある。
最初、奇抜に思えた剣の操法そのものも、人体の構造や運動神経・運動方法などから見て、むしろこのほうが合理的であり、自然ではないかとさえ思えるようになった。
この剣の術理は、合気柔術のときにもまったく同じように用いられる。
たとえば、「両手捕りの各種合気投げ」を想起すればわかるように、相手に捕られた両小手を伸ばして投げる瞬間の形は、二刀を揃え持って切りつけるのと同じであるし、「総伝の一本捕り」のように、相手の正面打ちを一方の手で手刀受けをして、もう一方の手で当て身を入れる場合、あるいは「横面打ち合気投げ」のように、一方の手刀で横面を打ってくる相手の手を払い受けし、もう一方の手刀で相手の首を打つ場合など、こちらの両手刀が「相手の攻撃を防ぐ働きと相手を攻撃する働き」を同時に行なっているところは、二刀で「打ち払いと攻撃」を同時に行なうのとまったく同じである。
久師のこの「同時打ち」の教えのポイントは、両小手を伸ばし、同じ方向に切り下ろすようにして合気投げをする場合は当然のことであるが、両手刀が、同時に攻・守二つの働きをするときにも、その動きは、これを、一、二と、二段階あるいは二呼吸に分けてやるのではなく、すっと、同時に、一呼吸でやれというところにあるのである。
大東流には、両手を用いて施す技は無数にある。その全部が全部、二刀流に通ずるものであるとは言えないかもしれないが、少なくとも両小手を同時に動かして、相手を投げ、あるいはその動きを制する技の中には、この二刀流の秘伝が隠されているのではないかと考えられる。』
【楽隠居】一呼吸で真っ直ぐ斬り降ろす為の稽古が、合し打ちだと思います。肚と腰。息を吸いながら剣を振り上げ、呼吸の隙間で鎖骨を弛め、横隔膜を弛めながら息を吐いていくと、剣が自然に落ちてくる。丹田と寸田。手の内ともの打ち。などのつながりを感じる必要があります。
外側の筋肉を使って動くのではなく、呼吸をするために必要な身体内奥の筋肉を使い、体軸をぶらさないで剣の上げ下げが出来なければならないのです。ゆっくり丁寧に、うすらぼんやりと身体全体を感じながら動けるようになると、自然に呼吸と動作が一致するようになります。そうなれば、実際に呼吸をしなくても呼吸をした時と同じように筋肉が動き、意識と動作が一致した瞬間の動きになるかもしれません。その為のレッスンがセンタリング呼吸法であり、その結果が神力徹眼心になるかもしれないと考えて稽古しているのですが・・・
◆KMさんからのメール
剣はすごく面白いです。体術ほど誤魔化しがきかず、基礎の重要性を改めて認識しました。身体作りから始めます。またセンタリング呼吸法も教えて下さい。
毎回、多くのことをM岡さんが教えて下さるのでついていくのがやっとの状態ですが、一つずつ身につけて行きたいと思います。宜しくご指導お願い致します。
合気道の基本から抜粋します。
『以前、「舟漕ぎ運動」に付いての私の考え方は、書いた事があります。最近久しぶりに気の研究会時代に習った、「面打ち一教運動」や「前後運動」と「八方運動」に興味を持っています。
気の研究会時代に習った剣の使い方は、新陰流を習い始めた時に忘れる事にしました。柔らかい手の内を目指していたのですが、やはり一度は思い切り糞握りにして稽古するべきだと考え、バンバン打ち込んで、稽古が終わって剣を離す時に、指が開かなくなるような状態になりました。本当は間違った稽古なのでしょうが、力ずくでは駄目なことを実感しました。
最近は、何故「座取り正面打ち」が重要なのか、少し考えるようになりました。今までは、正面打ちや横面打ちの稽古も、身体の使い方が雑になりかねないので、あまりしませんでした。しかし、前回の稽古で体験して頂きましたように、打ち手は、相手の腕に接触した状態から、全身を使って斬り押さえるような攻め方をして、受け手(仕手)は、その五分五分の状態から相手の中心を崩して力を返していくための必要条件を満たしていくと面白いのではないかと考えたのです。』
【楽隠居】横面打ちの場合は、合気二刀剣の応用ではないかと考えています。自分の中心軸と相手の中心軸の位置関係。力のベクトルと意識のベクトルの合成。相手の腕の弛みを取って、相手の頸椎に衝撃を与える方法を工夫する必要があります。そして、相手が動くポイントは一ヵ所しかないと思われます。しかも、相手の反応状況によって刻々と変化します。
同時打ち(合気二刀流)から抜粋します。
『剣技教授のときもそうであったが、師は、師の技を懸命に真似る私の両手刀の動きを見ておられ、その左右の手の動きに少しでも時間的ズレが生ずると、それでは駄目だと制止して見本を示され、さらに次のように言われたのである。
「動きに時間差をつけてはいけない。武田先生は、この技の二刀の動きについて、交互に打つのは芸者の太鼓、大東流は同時打ち、と言われていた」
武田先生が言われた「二刀同時打ち」とは具体的にはどのような動きなのか、久師によれば、例えば剣の場合、二刀を振るって相手に打ち込むとき、それが、真っ向・袈裟・横胴、いずれの斬り方であっても、両手で二刀を揃え持って、一呼吸で、同時に、同方向に斬りつけることを言うのである。
注目すべき点は、この「同時打ち」を相手方から見た場合、相手方は、こちらの二刀によって、体のニヵ所を同時に攻撃されることになることである。
私はこれを初めて教えられたとき、二刀のこのような技法、とくに「同方向」の打ち込みが、形の上であまりにも単純素朴で芸がなく、一瞬、はなはだ奇抜な教えを受けたように思えたのであるが、その後、冷静に考察をしているうちに、だんだんと考えが変わってきた。
これは、攻防の手段としては、まさに意表をついた「鬼手」とも言えるものであり、相手方は、体のニカ所を同時に攻撃されることにより、心理的な打撃を受け、一瞬、運動意識が分裂して動きが止まるのである。その現象には、合気の極意に通ずる何か大切なものが潜んでいるのではないかとさえ思わせるものがある。
最初、奇抜に思えた剣の操法そのものも、人体の構造や運動神経・運動方法などから見て、むしろこのほうが合理的であり、自然ではないかとさえ思えるようになった。
この剣の術理は、合気柔術のときにもまったく同じように用いられる。
たとえば、「両手捕りの各種合気投げ」を想起すればわかるように、相手に捕られた両小手を伸ばして投げる瞬間の形は、二刀を揃え持って切りつけるのと同じであるし、「総伝の一本捕り」のように、相手の正面打ちを一方の手で手刀受けをして、もう一方の手で当て身を入れる場合、あるいは「横面打ち合気投げ」のように、一方の手刀で横面を打ってくる相手の手を払い受けし、もう一方の手刀で相手の首を打つ場合など、こちらの両手刀が「相手の攻撃を防ぐ働きと相手を攻撃する働き」を同時に行なっているところは、二刀で「打ち払いと攻撃」を同時に行なうのとまったく同じである。
久師のこの「同時打ち」の教えのポイントは、両小手を伸ばし、同じ方向に切り下ろすようにして合気投げをする場合は当然のことであるが、両手刀が、同時に攻・守二つの働きをするときにも、その動きは、これを、一、二と、二段階あるいは二呼吸に分けてやるのではなく、すっと、同時に、一呼吸でやれというところにあるのである。
大東流には、両手を用いて施す技は無数にある。その全部が全部、二刀流に通ずるものであるとは言えないかもしれないが、少なくとも両小手を同時に動かして、相手を投げ、あるいはその動きを制する技の中には、この二刀流の秘伝が隠されているのではないかと考えられる。』
【楽隠居】一呼吸で真っ直ぐ斬り降ろす為の稽古が、合し打ちだと思います。肚と腰。息を吸いながら剣を振り上げ、呼吸の隙間で鎖骨を弛め、横隔膜を弛めながら息を吐いていくと、剣が自然に落ちてくる。丹田と寸田。手の内ともの打ち。などのつながりを感じる必要があります。
外側の筋肉を使って動くのではなく、呼吸をするために必要な身体内奥の筋肉を使い、体軸をぶらさないで剣の上げ下げが出来なければならないのです。ゆっくり丁寧に、うすらぼんやりと身体全体を感じながら動けるようになると、自然に呼吸と動作が一致するようになります。そうなれば、実際に呼吸をしなくても呼吸をした時と同じように筋肉が動き、意識と動作が一致した瞬間の動きになるかもしれません。その為のレッスンがセンタリング呼吸法であり、その結果が神力徹眼心になるかもしれないと考えて稽古しているのですが・・・
◆KMさんからのメール
剣はすごく面白いです。体術ほど誤魔化しがきかず、基礎の重要性を改めて認識しました。身体作りから始めます。またセンタリング呼吸法も教えて下さい。
毎回、多くのことをM岡さんが教えて下さるのでついていくのがやっとの状態ですが、一つずつ身につけて行きたいと思います。宜しくご指導お願い致します。
by centeringkokyu
| 2007-06-25 23:24
| 合気観照塾