2007年 06月 12日
基本の練習 |
「かな描法」田中塊堂著 昭和39年4月初版発行
鮨屋が鮨を切るのを見ていると、あれで切れているのかなと思われるほど手ぎわがよい。もとより熟練であるが、いくらよく切れる包丁でも、上から押さえたのでは切れない。サッと前後にすべらした瞬間に切れるのである。日本刀を振っても、刃筋が正しく通ったときは「ヒュッ」と鳴る。このときがよく切れているのである。そしてその刀先は必ず円弧を描いて通る。
筆もこれと同じで、墨を含ませて上からまっすぐに紙に当てただけでは線にならない。どちらかへ引くことによって、点となり線となる。ここに線の誕生がある。点と線とは同じもので、線の短かいものが点であり、点の長いものが線であると考えればよい。
上図の二本の線を見る。同じ水平の線であるが、見たときに受ける感じはそれぞれ違う。上の方は始めから終りまで同じ筆圧が加わっているが、下の方は圧力に不同がある。中央に最も圧が加わっていて、両端は軽くとがっているから鋭い。上は平板なものに定規でもあてて引いたような感じであり、下は筆が円弧を描いて通っているから速度もこの方が速い。そして両端のとがりから受ける感じは、筆が紙面から離れても、なおかつ空間の働きを見せている。あたかも柱時計の振子のように大きな円弧を描きながら、左右の運動をしている。鋒先が線の中央を通るので字肌が美しい。そして鋭鋒が空間の動きを頭に描かしめるのである。
「かな」はほとんどこの線であると思ってよい。昔から「かな」は女文字とさえいわれているが、それは漢字に比較して線条が美しいし、大きく書くことはほとんどなく、全体に女性的な感じがするからである。女性的といっても弱々しいことではなく、その線は、はちきれそうな弾力性のあるものでなければならぬ。少女の肌のように、圧すればただちにはじきかえす若々しさを感ぜしめるのが「かな」の線である。上図の下の線がそれである。
まず手はじめに、この線から行こう。この時の筆の入り方は、遠くから勢をつけてやって、徐々に紙面に触れてゆく。ちょうど関門トンネルのように、いつの間に入ったのか気がつかないでいると、次第に音響が高くなって、もう中央を走っている如く、また紙面を次第に離れてゆき、離れてからも筆は空間を直線に走っていなければ、この線はできない。それが息をころした一瞬にできる仕事である。この一呼吸の間にサッと引き終わって、筆の跡の吸われてゆく墨を見守っているひとときの心地よさ、これは書を楽しむ者よりほかには味わいえられない境地である。この呼吸は直線ばかりでなく、曲線も、いな仮名、漢字の別なく、書全体がそうである。
#楽隠居です
線の勢いというのは、「嶺谷」や「合気上げ下げ」そして「斬り」のイメージに共通する要素だと考えています。力で薙ぎ払うという感じではなく、接点が線になって吸い込まれていくイメージでしょうか。
センタリング呼吸法での動作も同じで、痛いところや固まっているところから動かすのではなく、身体全体のつながりを感じるような動きを、呼吸を使いながらすることが大切です。息をするのではなく、あくまでも呼吸を使う。もっと言えば、呼吸の隙間を使ったセンタリングということなのです。
浪や風のイメージかもしれません。
by centeringkokyu
| 2007-06-12 00:00
| 書き方関連