2005年 02月 09日
十文字之事 |
当流に「あばら一寸」という刀法の習訓がある。世にいう肉を斬らせて骨を断つという太刀である。敵が左右横から払うように斬ってくる。或いは左右斜に袈裟に斬ってくる。または左右下から弾ねてきても、われは斬り出す敵の拳をしっかり明観して、相手の太刀の拍子に合わせて、敵と正対してわが人中路(中心線)を一拍子に斬り透せば、必ず彼我の太刀が十文字に交わり、わが太刀が上太刀となり敵の拳を斬り落として勝つことができる。これを十文字勝といい、「あばら一寸」ともいう。敵がわがあばらを斬ること一寸に及べば、敵の拳はわが太刀により截断されている。因ってあばらを敵に与えて敵の死命を制せよとの教えである。
若し敵が真直ぐに中筋を斬り込んできた場合は、どう対応するか。勿論われも中筋人中路をはずさずに『わずかの時間差』をとり敵の太刀の上に乗って合し打に勝つか、またはわれは少し左、右に身を替わり、順、逆勢のはす打に敵の柄中へ勝てば、これも十文字勝となる。
このわざを充分に習練し体得すると共に、心の十文字を身につけなければならない。口伝書にも「わざにも、心にも、十文字有り。わざより教へ、位を見合せ、心の十文字は教ゆべし。」とある。心の十文字とは、立合の前に心に下作(用意)して何の迷いもなく充分に備えもっているのである。この用意があればこそ緊迫した場で伸び伸びと十文字のわざが遣えるわけである。
十文字の勝ちは皆当流の極意「転」(まろばし)の働きであるので、転勝ともいう。
私のメモには、「直角に交わらなくても良い。後出しジャンケンに徹する為の、身体と心の下作りが大切。」と書いてあります。
色につき 色に随ふ 風情こそ これ新陰の 心なりけれ
待ちもすな 懸る心も さだむなよ 味は敵より 出る物なり
このような道歌も武道歌撰集にあります。
下の写真は、「柳生鍔」三十六歌仙の最後「水車」です。試合勢法の水車勢からの意匠。十文字は、あまりにも十文字そのままですので、こちらをご紹介します。しかし、「水車」も、やっぱりそのままですかね?
若し敵が真直ぐに中筋を斬り込んできた場合は、どう対応するか。勿論われも中筋人中路をはずさずに『わずかの時間差』をとり敵の太刀の上に乗って合し打に勝つか、またはわれは少し左、右に身を替わり、順、逆勢のはす打に敵の柄中へ勝てば、これも十文字勝となる。
このわざを充分に習練し体得すると共に、心の十文字を身につけなければならない。口伝書にも「わざにも、心にも、十文字有り。わざより教へ、位を見合せ、心の十文字は教ゆべし。」とある。心の十文字とは、立合の前に心に下作(用意)して何の迷いもなく充分に備えもっているのである。この用意があればこそ緊迫した場で伸び伸びと十文字のわざが遣えるわけである。
十文字の勝ちは皆当流の極意「転」(まろばし)の働きであるので、転勝ともいう。
私のメモには、「直角に交わらなくても良い。後出しジャンケンに徹する為の、身体と心の下作りが大切。」と書いてあります。
色につき 色に随ふ 風情こそ これ新陰の 心なりけれ
待ちもすな 懸る心も さだむなよ 味は敵より 出る物なり
このような道歌も武道歌撰集にあります。
下の写真は、「柳生鍔」三十六歌仙の最後「水車」です。試合勢法の水車勢からの意匠。十文字は、あまりにも十文字そのままですので、こちらをご紹介します。しかし、「水車」も、やっぱりそのままですかね?
by centeringkokyu
| 2005-02-09 23:25
| 合気観照塾