2007年 05月 23日
怪我と身体の意識 |
IYさんからの投稿をご紹介します。
誠に生意気ですが、怪我に苦しむ会員さんに何かきっかけになればと思います。
私は少林寺拳法を修行していますが、まだ私が学生の頃、先輩や本部の方針を疑わずに錬磨した結果身体の外で起こる力しか意識出来ていないことに気付いたのです。
また私の大学の監督であったOM師範の柔法は、本部や他の高段者がしている柔法とは違い、まさに真綿に入れられるような技で、身長160センチ弱の体で自在に技をかけるのを目の当たりにし、「このまま少林寺だけでは師範のような技には到達できない」と思い知らされたのです。
私は少林寺以外からなんとか技のヒントを得ようと必死で探し回りました。
OM先生は、幼少の頃から柔道に勤しみ、戦前、二十歳前に海軍に入隊し銃剣道と剣道をして、戦後少林寺の修行をはじめました。
自身も「儂の技は自分で考えた」と言ってはばかりませんでしたし、剣道で縦の動きを身につけたと言っていました。
私もOM先生のような技を身に付けたいと思い、異流派を学ぼうと考えたのです。
そんなとき、YS館合気道のS田先生の合気道修行という本を読み、演武のビデオを見て、武道の世界感が変わったのです。
加来耕三著「武闘伝」という、近代武道の達人の伝記や「大東流合気柔術」、合気ニュース発行「植芝盛平とその弟子達」等読みあさりました。
その結果、自分の目から見て本当に技がかかってると見える、S田先生のYS館合気道を修行をしようと思ったのですが、当時大阪にはYS館の支部がありませんでした。
そこで、合気道の基本となる素振りをとにかくすることにして、見よう見まねでYS館の逆三角立ちの構えをして、素振り木刀で日に千本の素振りを始めたのです。
今考えると、ただでさえ少林寺拳法で広がりつつあった股関節は、この外見をまねただけの素振りによって致命傷を負わされたのです。
当時私は就職浪人中であったので、毎日素振りばかりして、少しばかり器用に縦に動けるようになったことで満足していたのかもしれません。
私は、素振りに飽きたらず、近所にあった合気会系の道場に通い、ひたすら受け身の日々をおくりました。
大東流TM会にも見学に行きましたが、柔術の要素しか垣間見ることができませんでしたので、通いませんでした。
大東流合気柔術KS塾にも見学に行きましたが、なんだか勢いでかけているように見えましたので、通いませんでした。
そして、大東流OO会へ見学へ行き、入会することにしたのです。
第1日目にK野先生の合気上げを受け、完全に首がむちうちになりました。
私は、何が何だか分からず、とりあえず「どのような原理なのか分かるまで通おう」と思い、通うことにしたのです。そして就職が決まり、合気会へ通うのは辞めました。
仕事を始めて、下半身を鍛えることにし、毎日相当の距離を走ることにして、私の体形から信じられませんが、1500メートル5分20秒で走れるようになりました。
ここでようやく怪我の話になるのですが、そんな強靱な肉体になったはずの私の左足の土踏まずに痛みが走るという、異変が起こり始めたのです。
ごまかしごまかし生活していましたが、不慮の事故で左足の中足骨を折ってしまいました。
その骨折は2週間ほどで完治したのですが、平成13年9月のある朝、左足の土踏まずが刃物が刺さっているかのように痛んだのです。
その痛みは日に日に増して行き、歩行すら困難にし、仕事も休んで、整形外科へ行き痛み止めを打つ生活になったのです。整形外科をハシゴして、いろんな理学療法もしましたが、一向によくならず、結局身体障害者センターへ行く羽目になりました。
そこではレントゲンをとられて、「骨にこれといって以上はないが、扁平足なのが原因です。もう扁平足は治りませんから、義足の係へ行って、ソールを特注して下さい。」言われ、目の前が真っ暗になりました。
その特注のソールも効いていたのは最初のうちで、すぐに効き目はなくなり、毎日朝起きる度に、左足が痛み朝一番にどん底に突き落とされたように生きていました。
そんな中でも、少林寺や大東流の稽古をしていると、足がぬくもり、痛みが和らぐので稽古だけは通い、歩き方を変えたりしながら思考錯誤していたのです。
そして平成16年の1月頃までその痛みとともに生活していましたが、私が運転する車の助手席にK野先生が乗られた時におもむろに私の左足を指して、「左足の股関節が開いているから」とおっしゃったのです。
私はその日から左足の股関節だけを必死で閉じるように心がけて生活を送り、数年苦しめられた足の痛みがたった2週間で消えてしまったのです。
私はその痛みを通じて、私の左足の股関節が開いていたことが骨身に染みて分かったのです。その痛みが消えるまで、何度も先輩方に股関節が開いていると注意をされましたが、意識ないまま開いてしまった股関節は、意識的には閉じにくいものと思われたのです。
そして、平成18年1月剣道をすることがあり、思いっき踏み込んで面を一本調子よく決めたのですが、その踏み込んだ右足の裏が刃物が刺さったように痛みはじました。
それからも、痛みは日に日に増して行き、歩き方を変える等試行錯誤を行いましたが、一向によくなりませんでした。しかし整形外科等へは行かず、以前の足が治った記憶を頼りに「必ず、自分の体の遣い方が悪いから、それを教えてくれているのだ。」と思い、稽古し続けていました。
しかし事態は好転の色を見せるどころか、足だけではなく右足の股関節さえも痛みだし、平成19年4月にあっては、尾てい骨さえも痛みはじめたのです。
これは明らかに、自分の右足の股関節が広がっているからだと分かっていても、以前左足を閉じた時のように閉じて生活しても一向によくなりませんでした。
そんななか、尾てい骨と股関節までもが痛み出し仕事でデスクワークすることすら辛くなってきたのです。しかし、観照塾の帰宅途中に御堂筋線の電車の中で椅子に座りながら、K野先生に椅子を使った股関節調整法を教えていたただき、股関節と尾てい骨が楽になる感覚をおぼえたので、「逆算すれば、右足は治るはずだ」と思い、暇があれば股関節を椅子で調整しました。
すると読みは的中して、私の右足の痛みは消えて、それまで回すとゴキゴキと音を立てた足首も、現在は回してもうんともすんとも言いません。
このように私は長く痛みと戦い続けてきましたが、現在は「痛みは体の最高の機械警備システム」と思っています。この警報機はいったん鳴り出すと、止めることは至難ですが、これほど危険を知らせてくれるものはなく、この警報機を近所の人に止めて貰おうとはせずに、心穏やかに、耳を傾け、どこをどう危険だと警告しているかを聞き、分からなければ試行錯誤すれども、右往左往しなくてもよく、自分の味方であると認識して体と対話して行かなければいけないと思います。
ですから私は、稽古に行き体の調子が悪い時にはその悪いままを楽しんで稽古をしています。あまりに悪い時には、K野先生がしっかり技をかけてくれますので、その受けだけで充分に私の経絡は伸び、それでも見かねる時にはK野先生が治してくれますので、安心して黙って先生の整法を感じます。
ですから私は自分から体の不調を治して貰おうとしないことにしています。
現在怪我や痛みでお悩みの方も、試しにもう少しだけ痛みに優しくなって、眉間のしわを緩めてあげれば、自分の体の声が聞こえるかもしれません。
これは分かっているようで、なかなか実感できないことだと思いましたので、僭越ながら文章にしてみました。
こちらもよろしく!
誠に生意気ですが、怪我に苦しむ会員さんに何かきっかけになればと思います。
私は少林寺拳法を修行していますが、まだ私が学生の頃、先輩や本部の方針を疑わずに錬磨した結果身体の外で起こる力しか意識出来ていないことに気付いたのです。
また私の大学の監督であったOM師範の柔法は、本部や他の高段者がしている柔法とは違い、まさに真綿に入れられるような技で、身長160センチ弱の体で自在に技をかけるのを目の当たりにし、「このまま少林寺だけでは師範のような技には到達できない」と思い知らされたのです。
私は少林寺以外からなんとか技のヒントを得ようと必死で探し回りました。
OM先生は、幼少の頃から柔道に勤しみ、戦前、二十歳前に海軍に入隊し銃剣道と剣道をして、戦後少林寺の修行をはじめました。
自身も「儂の技は自分で考えた」と言ってはばかりませんでしたし、剣道で縦の動きを身につけたと言っていました。
私もOM先生のような技を身に付けたいと思い、異流派を学ぼうと考えたのです。
そんなとき、YS館合気道のS田先生の合気道修行という本を読み、演武のビデオを見て、武道の世界感が変わったのです。
加来耕三著「武闘伝」という、近代武道の達人の伝記や「大東流合気柔術」、合気ニュース発行「植芝盛平とその弟子達」等読みあさりました。
その結果、自分の目から見て本当に技がかかってると見える、S田先生のYS館合気道を修行をしようと思ったのですが、当時大阪にはYS館の支部がありませんでした。
そこで、合気道の基本となる素振りをとにかくすることにして、見よう見まねでYS館の逆三角立ちの構えをして、素振り木刀で日に千本の素振りを始めたのです。
今考えると、ただでさえ少林寺拳法で広がりつつあった股関節は、この外見をまねただけの素振りによって致命傷を負わされたのです。
当時私は就職浪人中であったので、毎日素振りばかりして、少しばかり器用に縦に動けるようになったことで満足していたのかもしれません。
私は、素振りに飽きたらず、近所にあった合気会系の道場に通い、ひたすら受け身の日々をおくりました。
大東流TM会にも見学に行きましたが、柔術の要素しか垣間見ることができませんでしたので、通いませんでした。
大東流合気柔術KS塾にも見学に行きましたが、なんだか勢いでかけているように見えましたので、通いませんでした。
そして、大東流OO会へ見学へ行き、入会することにしたのです。
第1日目にK野先生の合気上げを受け、完全に首がむちうちになりました。
私は、何が何だか分からず、とりあえず「どのような原理なのか分かるまで通おう」と思い、通うことにしたのです。そして就職が決まり、合気会へ通うのは辞めました。
仕事を始めて、下半身を鍛えることにし、毎日相当の距離を走ることにして、私の体形から信じられませんが、1500メートル5分20秒で走れるようになりました。
ここでようやく怪我の話になるのですが、そんな強靱な肉体になったはずの私の左足の土踏まずに痛みが走るという、異変が起こり始めたのです。
ごまかしごまかし生活していましたが、不慮の事故で左足の中足骨を折ってしまいました。
その骨折は2週間ほどで完治したのですが、平成13年9月のある朝、左足の土踏まずが刃物が刺さっているかのように痛んだのです。
その痛みは日に日に増して行き、歩行すら困難にし、仕事も休んで、整形外科へ行き痛み止めを打つ生活になったのです。整形外科をハシゴして、いろんな理学療法もしましたが、一向によくならず、結局身体障害者センターへ行く羽目になりました。
そこではレントゲンをとられて、「骨にこれといって以上はないが、扁平足なのが原因です。もう扁平足は治りませんから、義足の係へ行って、ソールを特注して下さい。」言われ、目の前が真っ暗になりました。
その特注のソールも効いていたのは最初のうちで、すぐに効き目はなくなり、毎日朝起きる度に、左足が痛み朝一番にどん底に突き落とされたように生きていました。
そんな中でも、少林寺や大東流の稽古をしていると、足がぬくもり、痛みが和らぐので稽古だけは通い、歩き方を変えたりしながら思考錯誤していたのです。
そして平成16年の1月頃までその痛みとともに生活していましたが、私が運転する車の助手席にK野先生が乗られた時におもむろに私の左足を指して、「左足の股関節が開いているから」とおっしゃったのです。
私はその日から左足の股関節だけを必死で閉じるように心がけて生活を送り、数年苦しめられた足の痛みがたった2週間で消えてしまったのです。
私はその痛みを通じて、私の左足の股関節が開いていたことが骨身に染みて分かったのです。その痛みが消えるまで、何度も先輩方に股関節が開いていると注意をされましたが、意識ないまま開いてしまった股関節は、意識的には閉じにくいものと思われたのです。
そして、平成18年1月剣道をすることがあり、思いっき踏み込んで面を一本調子よく決めたのですが、その踏み込んだ右足の裏が刃物が刺さったように痛みはじました。
それからも、痛みは日に日に増して行き、歩き方を変える等試行錯誤を行いましたが、一向によくなりませんでした。しかし整形外科等へは行かず、以前の足が治った記憶を頼りに「必ず、自分の体の遣い方が悪いから、それを教えてくれているのだ。」と思い、稽古し続けていました。
しかし事態は好転の色を見せるどころか、足だけではなく右足の股関節さえも痛みだし、平成19年4月にあっては、尾てい骨さえも痛みはじめたのです。
これは明らかに、自分の右足の股関節が広がっているからだと分かっていても、以前左足を閉じた時のように閉じて生活しても一向によくなりませんでした。
そんななか、尾てい骨と股関節までもが痛み出し仕事でデスクワークすることすら辛くなってきたのです。しかし、観照塾の帰宅途中に御堂筋線の電車の中で椅子に座りながら、K野先生に椅子を使った股関節調整法を教えていたただき、股関節と尾てい骨が楽になる感覚をおぼえたので、「逆算すれば、右足は治るはずだ」と思い、暇があれば股関節を椅子で調整しました。
すると読みは的中して、私の右足の痛みは消えて、それまで回すとゴキゴキと音を立てた足首も、現在は回してもうんともすんとも言いません。
このように私は長く痛みと戦い続けてきましたが、現在は「痛みは体の最高の機械警備システム」と思っています。この警報機はいったん鳴り出すと、止めることは至難ですが、これほど危険を知らせてくれるものはなく、この警報機を近所の人に止めて貰おうとはせずに、心穏やかに、耳を傾け、どこをどう危険だと警告しているかを聞き、分からなければ試行錯誤すれども、右往左往しなくてもよく、自分の味方であると認識して体と対話して行かなければいけないと思います。
ですから私は、稽古に行き体の調子が悪い時にはその悪いままを楽しんで稽古をしています。あまりに悪い時には、K野先生がしっかり技をかけてくれますので、その受けだけで充分に私の経絡は伸び、それでも見かねる時にはK野先生が治してくれますので、安心して黙って先生の整法を感じます。
ですから私は自分から体の不調を治して貰おうとしないことにしています。
現在怪我や痛みでお悩みの方も、試しにもう少しだけ痛みに優しくなって、眉間のしわを緩めてあげれば、自分の体の声が聞こえるかもしれません。
これは分かっているようで、なかなか実感できないことだと思いましたので、僭越ながら文章にしてみました。
こちらもよろしく!
by centeringkokyu
| 2007-05-23 00:10
| 合気観照塾