2007年 05月 10日
根本は自分の中心力 |
この写真は、合気ニュースに掲載されたものだったと思います。
養神館合気道「極意」 塩田剛三著から抜粋してご紹介します。
◎齢をとったら筋肉は衰える。すると、上げたり引っ張ったりというのはできなくなる。
結局そういう生の力というのは、いくら作っても限界がある。
だから、永遠の力というのは、植芝先生が言うには呼吸力だ、と。
つまり、自然の理にかなっているということ。
向こうが強い力で来ても、それに対応してフワッと自分の力にしてしまえば、ちっとも苦労はいらない。
◎基本はあくまでも原則であって、その人の体質に合った体勢というのがいちばん強い。
それは誰に教わるものでもなく、自分でみつけにゃいかん。
足が開こうがせまくなろうが問題じゃないんだ、本当をいえばね。
しかし、人間は楽な方にいくから、放っておくとただの我流になってしまう。
だから、常に基本に立ち返るということ、これが大切。
◎皆さん、この技はどうしよう。あの技はどうしようと考えているが、大切なのは、技はいっぱいあるけれども、その根本に流れているものをつかまえるということ。
つまり、重心のすみやかな移動や、手・足・腰の一致といったことに帰着する。根本は四方投げなんですよ。
植芝先生が言うには、四方に投げる、これが合気道の根本なんです。
だから、四方投げ一本が充分にできればもういいんだ、とおっしゃってた。
◎あの人の技は早い、あの人は遅いというのは、ひとつの形態を見ているだけであって、自分においては、早いとか遅いとかの観念はなくならにゃいかん。
相手の気(機)に合わせるということで、本当に相手と合ったときには、早くもなり遅くもなる。これが植芝先生のいう「自然と一体になる」ということ。
◎合気道は和の武道と言われますが、その解釈は簡単だと思うんですよ。
人と相対したときに、相手の敵愾心をなくすような自分の人柄と実力を持っている、と。
これがひとつの和になるんです。けっして妥協じゃない。
和というのはちゃんとひとつ自分に強いもんがあって、そして相手を見方にする。協力者にしてしまう。これが“対すれば相和す”です。
それにはよっぽど自分の徳を積まんとできない。結局ね、根本は自分の中心力なんです。
参照1:合気道修行
参照2:合気道の理合
by centeringkokyu
| 2007-05-10 00:10
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