先生は間違ってます |
「中村天風と植芝盛平 氣の確立」藤平光一著 よりご紹介します。
あるとき私は天風先生に、クンバハカのような、あんな呼吸法はダメですよ、と言ったことがある。
すると先生は、「どういう意味だ?」と私の顔を見た。
クンバハカとは、天風先生が弟子たちに教えたヨガの呼吸法で、不動の心と身体をつくることを目的としていた。つまり、これができれば、リラックスも心身統一体もできるということである。しかし、私にはそうは思えなかったのだ。
「いや、先生、クンバハカというのは間違っていますよ。だって先生、クンバハカをやっていますか?」
「いや、やっておらん」
「じゃあ先生は、自分でやっていないことを人にやれと言うんですか?」
「うーん・・・わしはいつでもできるからいいんだ」
「ねえ、先生、いつでもできる状態にあるということは、つまり、いつでも完全にリラックスしている状態にあるということですね」
ちょうど、そのとき、中村天風先生の高弟が二人いた。そこで二人にクンバハカを実際にやってもらってから、私が二人の胸を押すと、二人とも簡単にひっくり返った。
「先生、クンバハカは 安定打坐、すなわち心身統一でしょう。こんなクンバハカはないでしょう」と私が申上げると、天風先生は「そのとおり」と答えられた。
「それでは次に私がやってみます」と言って、私があぐらをかき、そのまま両脚を上げ、不安定な姿勢になった。
そして、私の両肩を、先生の高弟に二人がかりで押させた。ところが、統一体になった私がビクともしないでいると。
「おまえ、それは何だ」
と天風先生が聞かれた。
「これが本当のクンバハカでしょう、先生が教えたいのはこれでしょう」
私がそう言ったら、先生は「そうだ」と返事をされた。
「先生、これが正しいのでしたら、今のクンバハカは間違っていますよ」
当時、クンバハカ法は下腹に力をこめろと教えられていた。しかし、力をこめたのではリラックスなどできるはずがない。
尻の穴を締めるということは正しい。人間は死ぬと、尻の穴から便が出る。つまり、生きている以上は尻の穴を締めているのが正しい状態である。リラックスしていれば、自然に尻の穴は固く締まっている。
しかし、下腹に力を入れれば、必ずみぞおちにも力が入る。これでリラックスなど、できるはずがない。下腹はこころをしずめるところであって、力を入れるところではないのである。
もしも天風先生の教えどおりに坐れば、どうしても身体は安定しない。それは読者も実際にやってみればすぐに理解できるはずだ。
この状態で身体を押されれば、簡単にひっくり返ってしまうのである。もしも自然体ができていたなら、まさしく不動でなければならないはずなのだ。
ところが天風先生は、リラックスした結果としてビクともしない不動体になるのに、弟子たちにその出来上がった“形”から教えようとしたために、弟子たちはかえって不動体にならない。力んだもろい姿になっていた。
つまり、結果として、天風先生の教えとはまるで逆のことを弟子がやっていることになるのである。
「それは弟子の罪じゃなくて、教えている先生の罪ですよ」
私がそう言うと、「それはそうだ」と言って、先生は即座に、氣をしずめてというふうに教え方を変えた。そういうことが簡単にできる人だった。
天風先生は、はるかに年下の私から、杖術も含め、いろいろなことを習うのも、全然こだわりのない心でおられた。
そういう点は本当に立派だったと思う。
私が遠慮なくものごとを言うと、「負うた赤子に浅瀬を教わるか」と言われていた。私の言うことは決して粗末にはしなかったし、やはり常にそこには何かがあると思っていたのだろう。
クンバハカにしても、天風先生は、最終目標である心の使い方ができるようにするために、あくまでも便法としてやらせているつもりだったのだ。
先生は、いろいろ苦労して立身出世した人だ。
たとえば朝早くから新聞配達をし、努力して食うや食わずで立身出世した人は、自分の子供や孫には同じ苦労をさせたくないと願う。だから、どうしても乳母日傘で自家用車で学校にも通わせるようになって、甘えの抜けない子供をつくるようにもなる。
天風先生も、さんざん苦労して会得してきたものだから、弟子は自分と同じような苦労には耐えられないと思ったのだろう。だから、もっと楽に学べるようにと、言葉をつくって教えた。
もちろんそれは先生の親心に違いない。しかし、私が先生に「親心が逆になりましたね。どら息子ばかりつくっているじゃないですか」と言ったときには、「うーん」と唸られるばかりだった。
ところがそんなクンバハカも、天風先生が亡くなったあと、いつのまにかまた元の誤った形へ戻ってしまった。本などでも誤ったやり方がそのまま説明されている。
天風先生は亡くなる前に弟子を呼んで、「おれが長年教えたことはみんな忘れろ」とおっしゃったはずだ。
つまりそれは、クンバハカのやり方も忘れろということだ。人間、死の間際に、それまで自分がやってきたこと、教えてきたことを忘れろなどと言えるものではない。
ところが天風先生は、はっきりと、おれが教えたことはみんな忘れろとおっしゃったのである。
中村天風は、ヨーガの聖者カリアッパ師に出会い、その弟子に
なって修行をしたといいますね。
どなたかカリアッパ師が実在の人物であることを証明して下さい。
中村天風の心身統一法は、すばらしいと思います。
積極的に生きる姿を人生の手本としたい。
しかし、カリアッパ師という師匠は本当は存在しないのではないかと思います。
カリアッパ師は、ラマ教=チベット仏教の管長であるという。
しかし、弟子を指導しているのは、なぜかヒンズー教のウパニシャッドに基づいた修行方法=ラージャヨーガであるという。
チベット仏教の彼らから見たら「外道」であるヒンズー教の方法で弟子を指導している?おかしい。
排他的秘密主義のチベット密教の管長がいきなり外国人を弟子にするだろうか?おかしい。
ここに矛盾がある。
金剛大乗仏教一宗の管長ともあろうお方が、弟子を取って、何で仏教の修行をさせずに外道の修行をさせるのでしょうか?おかしい。
ヨガの聖者と言ったり、ラマ教=チベット仏教の管長と言ったりおかしいではないですか? (以下省略)
梵:कुम्भक kumbhaka
英:retention, holding the breath
止息。
呼吸法の実践の中で、呼気(レーチャカ)または吸気(プーラカ)のあとに息を止める場合があり、これをクンバカと呼ぶ。
現代ヨガでは一般的に、クンバカは「止息」、プラーナーヤーマは「呼吸法」の意味で用いられることが多い。ハタヨーガプラディピカーの中ではクンバカとプラーナーヤーマはほぼ同義で扱われる。
ヨーガの目的である「心の作用を止める」に至るには、エネルギー(プラーナ)の流れを止める必要がある。「アーヤーマ」は「抑制」などの意味で、プラーナーヤーマはまさにプラーナの流れを抑制しコントロールするための実践である。
瞑想や呼吸法の実践によって心が落ち着いてくると、呼吸は非常にゆっくりになり、さらに呼気と吸気の間で自然に息を止めたくなってくる。この自然に息が止まった状態を「ケーヴァラ・クンバカ」と呼び、これこそが目指すべき状態である。
呼気のあとに行うか、吸気のあとに行うかによって、クンバカには下記の2種類がある。
息を吐ききってから止める:バーヒャ・クンバカ
息を吸ってから止める:アンタラ・クンバカ
また、意識的に行われるか無意識的に行われるかによって、下記の2種類に分けられる。
意識的なクンバカ:サヒタ・クンバカ
無意識的なクンバカ:ケーヴァラ・クンバカ
クンバカ・プラーナーヤーマと、アーサナ・バンダを組み合わせることで、ムドラーと呼ばれるハタヨーガの中でも最重要な業法につながる。
◆感想文76
観照塾 2011.10.29
昨日の観照塾では、太極棒を用いた稽古がありました。
最初に、立位で、足幅や足趾の向きを変えることによって、肛門の締めやすさにどのような変化が出るかを観察しました。
「雑巾絞り」や「発勁」では、息を吸いながら外肛門括約筋を収縮させ、吐きながらそれを維持し、動作の最後に緩めるということを意識しながら行ないました。
肛門を内部へ引き込むと、大腿がかすかに引き上げられることによって下肢内側に張りが生まれ、さらに骨盤の締めと連動して体幹の骨格も締まることが感じられました。
同様に、合気上げにおいても「吸い込み」の後に肛門を締めてから「入れる」ことで、腹部の吸気が上方に向かって圧縮され相手に大きな力として伝わることが分かりました。
そして、相手を浮かせた後でも、肛門の締めを緩めると、途端に繋がりが途切れてしまうことも体感させて頂き、その重要性を感じることが出来ました。
稽古を通して、身体の内部は締めながらも、体表の筋肉は緩めておくことで、自分自身の軸を保ったまま柔軟な運動が実現できることを学びました。
◆プラナヤマへの導入
・プラナヤマという言葉はプラナの次元の拡大、あるいは拡張を意味します。従って、プラナヤマのテクニックは、生命力を活性、規則正しくさせ、個々の通常の境界や限界を越えてより高い次元の振動エネルギーや意識に到達するための方法をもたらすものです。
・プラナヤマの4つの特徴
プラナヤマには、4つの重要な呼吸法が用いられています。
1.プーラカ(吸う息)
2.レチャカ(吐く息)
3.アンタル・クンバカ(息を吸って止めること)
4.バヒール・クンバカ(息を吐いて止めること)
プラナヤマとは、この4つの呼吸法を用いたさまざまなテクニックとなります。また、これとは別に無意識に呼吸が止まるケバラ・クンバカというプラナヤマもあります。これは上級レベルのプラナヤマになり、瞑想中の非常に高い段階にあるときにおこります。この段階ではプラナの動きというものは消えます。そして、真実を見えなくしているベールは取り払われ、より高いビジョンに到達します。
・プラナヤマにおいて、最も重要なことは、クンバカ(呼吸の保持)になります。
参照1:合気道入門
参照2:呼吸の隙間での脱力
参照3:テレパシー
参照4:生活の中の合気道
参照5:“思い”はなぜ伝わるのか?
参照6:「ていこう」と「せんのそうしつ」
参照7:正しい姿勢
参照8:呼吸法 レッスンの要点
参照9:センタリング呼吸法再考
参照10:心身の不必要な緊張をやめるために
参照11:クンバハカ=クムバク=保留息