2007年 04月 25日
大東流合気柔術の技術体系 |
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』大東流合気柔術から抜粋します。
◎体系
大東流合気柔術の技術体系は会派によって異なるが、武田惣角が発行した免状(目録)に従うと次のようになる。但し下記の6種の伝書伝授巻が全て実在するのかは不明である。大東流が武道界に現れた明治32年から昭和初期までは秘伝目録118箇条と秘伝奥義之事36箇条の2巻のみを授ける事が殆どであり、それ以外の伝授巻の存在は不明である。上記の2巻以外の伝授巻が明治32年当時から存在したのか?武田惣角が時代を経るごとに新たに作成して行ったのか?は考証が待たれる。また解釈総伝之事477箇条のように伝授巻自体の存在の確認が不明な物もある。
1.大東流柔術秘伝目録118ヶ條裏表
2.合気之術53ヶ條裏表
3.秘伝奥儀之事36ヶ條裏表
4.秘伝御信用之手84ヶ條上中下
5.解釈総伝之事477ヶ條
6.皆伝之事88ヶ條
このほかに合気二刀流をはじめとする合気武器術(剣術・槍術・棒術・手裏剣術等)がある。※但し会派によっては、最初から伝えられていなかったり、伝えられていても失伝しているものや、一部の技法に特出した形態を伝授している場合も見られる。
また武田惣角から教授代理免許を許された各師範が独自に新たな技術体系や伝授巻(巻物)を制作している場合もある。
武田惣角は生前に英名録(門人帳及び教授記録)と謝礼録などの詳細な資料を残しているが、資料上の記録で武田惣角から大東流の免許皆伝を授けられた事の確認が取れているのは大阪朝日新聞社の道場にて教授を受けた久琢磨と利根館正雄の2名だけである。 また幸道会(堀川幸道の創始した会派)の二代目本部長である井上祐助と堀川幸道の夫人堀川ちゑこらの証言によると、武田惣角の子息の武田時宗は大東流の免許皆伝の巻物を所有しておらず武田惣角門人の堀川幸道の筆写した物を借り受けて複写している。(武田惣角は筆の立つ幾人かの門人に巻物の筆写作成を依頼していた)
◆こうした混乱の原因としては、以下のような要因が考えられる。
1.武田惣角の時代には流派としての組織がなかったため、武田惣角は流派全体を率いる後継者を指名することをしなかったこと。
2.武田惣角が多数の教授代理免許を出しそれぞれの教授代理が各々独自に指導活動を行ったこと。
3.武田惣角は特定の定まったカリキュラムに沿って大東流を教授しなかったこと。
4.弟子は武田惣角の演武を見たり、武田惣角に技を掛けてもらって、技を盗める者は自分で技を盗む…という古典的な教授法だったために、弟子によって習得した技や解釈に違いが生じたこと。
5.武田惣角没後、網走市において大東流の指導を行った子息の武田時宗が大東流合気柔術と大東流合気武道を使い分けたこと。
◆武田惣角が特定のカリキュラムに沿って大東流を教授しなかったこと、相手やその時々で教授法や技の名前が異なったことについては、以下のような説がある。
1.大東流非古流説…大東流は武田惣角が実質的創始者であり、武田惣角の存命中の大東流は発展過程にあった。したがって系統だった合理的な教授法もなく、武田惣角の年齢とともに教授法や技も変遷していった。つまり、武田惣角が教えていた技は継承した技というよりも、そのときどきで武田惣角が創意工夫、思いつきで教えていた技である可能性が高い。
2.大東流古流説…現在のような多人数の弟子の一括指導と異なり、1人1人の弟子への個別指導であったため、それぞれの弟子の体格や体力、性格によって教える技や解釈に違いが出てくるのは当然。また、同じ技であっても内弟子と外弟子によって教え方(特に技の核心となる心の置き方や技の意味)が違うというのは他の古流はや中国拳法の流派でもよく見られることであり、武田惣角もそのように弟子の立場や弟子への信頼度によって技の教え方を変えた。(近藤勝之によると武田時宗も同様に同じ技でも内弟子と外弟子で教授法を変えたという)
現在は大東流非古流説に賛同する意見が多く、大東流は、武田惣角が学んだいくつかの伝統武術をベースに武田惣角が創造した流派であり、古流ではないという説が有力になっている。
他の古流の伝統流派からも、大東流は古流の中でも特異な武術流派、あるいは非古流と見られることが多い。何が正統か、という問題に関しては議論しても結論のでない状況にあり、積極的に正統性を主張する会派もあれば、そうした議論は不毛であるとして加わらずに距離を置いている会派もある。
#楽隠居です
私には詳しいことは分かりませんが、合気の技を創意工夫しながら、思いつきで教えていたという説には納得してしまいます。OS先生に教えて頂いていた頃は、先生に技をかけていただく場合は、何人かで相談して「ふわっと持つ人」「ガッチリ持つ人」「気持ちを動かさないようにして、ぴったり持つ人」と、役割分担して稽古しました。そうすると、先生の技が変わってしまうので、なかなか面白い稽古ができました。勿論、型の保存会には成り得ない稽古方法でした。
前提条件が変わると、当然ですが技が変わってしまう訳です。その上、持ち方の癖や身体の使い方の癖によって、技をかけられた場合の反応の仕方も変わります。ですから、いろいろな持ち方や攻撃の仕方に、臨機応変に対応する稽古が必要で、稽古の中で合気の通りを感じながら、自分も身体内部のつながりや力の出し方を工夫することが大切になります。
佐川先生は、合気はゆっくりかけることが大切だと言っておられたとか・・・
六方会の岡本先生も、同じ技を早くかけたり、ゆっくりかけたりして下さったと書かれていたと思います。
下の表は、六方会の基本技と佐川先生の技を高橋賢先生がまとめられたものとを比較できるようにしたものです。相手の攻撃方法で分類されているだけで、○○投げとは書かれていません。
参照1:合気の体内操作法
参照2:奥伝大東流合気柔術
参照3:幻の神技大東流合気柔術
◎体系
大東流合気柔術の技術体系は会派によって異なるが、武田惣角が発行した免状(目録)に従うと次のようになる。但し下記の6種の伝書伝授巻が全て実在するのかは不明である。大東流が武道界に現れた明治32年から昭和初期までは秘伝目録118箇条と秘伝奥義之事36箇条の2巻のみを授ける事が殆どであり、それ以外の伝授巻の存在は不明である。上記の2巻以外の伝授巻が明治32年当時から存在したのか?武田惣角が時代を経るごとに新たに作成して行ったのか?は考証が待たれる。また解釈総伝之事477箇条のように伝授巻自体の存在の確認が不明な物もある。
1.大東流柔術秘伝目録118ヶ條裏表
2.合気之術53ヶ條裏表
3.秘伝奥儀之事36ヶ條裏表
4.秘伝御信用之手84ヶ條上中下
5.解釈総伝之事477ヶ條
6.皆伝之事88ヶ條
このほかに合気二刀流をはじめとする合気武器術(剣術・槍術・棒術・手裏剣術等)がある。※但し会派によっては、最初から伝えられていなかったり、伝えられていても失伝しているものや、一部の技法に特出した形態を伝授している場合も見られる。
また武田惣角から教授代理免許を許された各師範が独自に新たな技術体系や伝授巻(巻物)を制作している場合もある。
武田惣角は生前に英名録(門人帳及び教授記録)と謝礼録などの詳細な資料を残しているが、資料上の記録で武田惣角から大東流の免許皆伝を授けられた事の確認が取れているのは大阪朝日新聞社の道場にて教授を受けた久琢磨と利根館正雄の2名だけである。 また幸道会(堀川幸道の創始した会派)の二代目本部長である井上祐助と堀川幸道の夫人堀川ちゑこらの証言によると、武田惣角の子息の武田時宗は大東流の免許皆伝の巻物を所有しておらず武田惣角門人の堀川幸道の筆写した物を借り受けて複写している。(武田惣角は筆の立つ幾人かの門人に巻物の筆写作成を依頼していた)
◆こうした混乱の原因としては、以下のような要因が考えられる。
1.武田惣角の時代には流派としての組織がなかったため、武田惣角は流派全体を率いる後継者を指名することをしなかったこと。
2.武田惣角が多数の教授代理免許を出しそれぞれの教授代理が各々独自に指導活動を行ったこと。
3.武田惣角は特定の定まったカリキュラムに沿って大東流を教授しなかったこと。
4.弟子は武田惣角の演武を見たり、武田惣角に技を掛けてもらって、技を盗める者は自分で技を盗む…という古典的な教授法だったために、弟子によって習得した技や解釈に違いが生じたこと。
5.武田惣角没後、網走市において大東流の指導を行った子息の武田時宗が大東流合気柔術と大東流合気武道を使い分けたこと。
◆武田惣角が特定のカリキュラムに沿って大東流を教授しなかったこと、相手やその時々で教授法や技の名前が異なったことについては、以下のような説がある。
1.大東流非古流説…大東流は武田惣角が実質的創始者であり、武田惣角の存命中の大東流は発展過程にあった。したがって系統だった合理的な教授法もなく、武田惣角の年齢とともに教授法や技も変遷していった。つまり、武田惣角が教えていた技は継承した技というよりも、そのときどきで武田惣角が創意工夫、思いつきで教えていた技である可能性が高い。
2.大東流古流説…現在のような多人数の弟子の一括指導と異なり、1人1人の弟子への個別指導であったため、それぞれの弟子の体格や体力、性格によって教える技や解釈に違いが出てくるのは当然。また、同じ技であっても内弟子と外弟子によって教え方(特に技の核心となる心の置き方や技の意味)が違うというのは他の古流はや中国拳法の流派でもよく見られることであり、武田惣角もそのように弟子の立場や弟子への信頼度によって技の教え方を変えた。(近藤勝之によると武田時宗も同様に同じ技でも内弟子と外弟子で教授法を変えたという)
現在は大東流非古流説に賛同する意見が多く、大東流は、武田惣角が学んだいくつかの伝統武術をベースに武田惣角が創造した流派であり、古流ではないという説が有力になっている。
他の古流の伝統流派からも、大東流は古流の中でも特異な武術流派、あるいは非古流と見られることが多い。何が正統か、という問題に関しては議論しても結論のでない状況にあり、積極的に正統性を主張する会派もあれば、そうした議論は不毛であるとして加わらずに距離を置いている会派もある。
#楽隠居です
私には詳しいことは分かりませんが、合気の技を創意工夫しながら、思いつきで教えていたという説には納得してしまいます。OS先生に教えて頂いていた頃は、先生に技をかけていただく場合は、何人かで相談して「ふわっと持つ人」「ガッチリ持つ人」「気持ちを動かさないようにして、ぴったり持つ人」と、役割分担して稽古しました。そうすると、先生の技が変わってしまうので、なかなか面白い稽古ができました。勿論、型の保存会には成り得ない稽古方法でした。
前提条件が変わると、当然ですが技が変わってしまう訳です。その上、持ち方の癖や身体の使い方の癖によって、技をかけられた場合の反応の仕方も変わります。ですから、いろいろな持ち方や攻撃の仕方に、臨機応変に対応する稽古が必要で、稽古の中で合気の通りを感じながら、自分も身体内部のつながりや力の出し方を工夫することが大切になります。
佐川先生は、合気はゆっくりかけることが大切だと言っておられたとか・・・
六方会の岡本先生も、同じ技を早くかけたり、ゆっくりかけたりして下さったと書かれていたと思います。
下の表は、六方会の基本技と佐川先生の技を高橋賢先生がまとめられたものとを比較できるようにしたものです。相手の攻撃方法で分類されているだけで、○○投げとは書かれていません。
参照1:合気の体内操作法
参照2:奥伝大東流合気柔術
参照3:幻の神技大東流合気柔術
by centeringkokyu
| 2007-04-25 00:00
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