2007年 04月 13日
伝統技保存師範 |
日本館 総本部館長コラムから抜粋してご紹介します。
20年ほど前まで、日本館に飛び込み稽古にやってくる3級程度以上の人なら、まず間違いなく上部指導者の名前を当てる事が出来ました。例えば「貴方の先生は00師範ですね」とか「貴方の先生は00師範の門下生ですね」の様にです。
それは、その訪問者が道場に入り稽古が始まる前にする訪問者個人の動きで殆どわかりました。転換や舟こぎ運動、正座をして叩いたり捻ったりしている様子でわかったのです。以前は指導する師範によって随分と特徴があったのです。開祖がお元気な頃の本部道場でさえ、師範によって個性のある動きと指導法がなされていました。
この世を去った師範も含め、人柄が技に出た故大沢師範、しなやかな動きの故山口師範、反対に豪快であった故有川師範、本部日曜稽古で評判となった岩間の故斉藤師範、他武道にも富んだ故西尾師範、現役では、合理的に技を説明した、現心身統一合気道の藤平光一先生、千本稽古で知られた多田師範、座り技の小林保雄師範など実にユニークな師範が沢山おりました。
米国の場合、当時合気会師範部長であった藤平光一会長の影響が強いのですが、其々のパイオニア師範は日本で修行当時の師範の癖を持っていました。藤平傘下ではありませんでしたが、現在の日本人パイオニア師範が米国をまとめた頃に渡米した早乙女先生は、故山口師範門下であったため、開祖の動きとは異なるその動きは一目瞭然、山口師範の動きであり、早乙女先生の門下が飛び込み稽古に来た時は直ぐにわかったものです。その他にも富木合気道系、養神館系と其々の特徴有る合気道が展開されていました。
ところが最近は日本館の飛び込み稽古者や、他の講習会の場で他道場の合気道家と出会っても、師範や流派を引き出すのは難しくなりました。つまり師範からの世代が離れるほど特徴が薄れてしまった為です。また週末には何処でも開かれている其々の道場、流派の講習会に頻繁に参加することによって、「技の交配」が進み、派手でユニークな技がもてはやされるようになり、技の数だけは米国やヨーロッパの方が日本よりはるかに豊富になりました。反面、合気道の技に深みや理合がなく平坦となり、豪快であったり繊細であった、今は亡き高段者たちの姿は偲ばれなくなりました。
そんな流れの中で、当時の技を引き継いで指導している指導者との出会いは大変貴重なものとなります。なぜなら、演武会用の技ではない、理合いに会った「武術としての技」が残っているからです。(略)
現在の小手返しは、相手の小手を電球でも回すように捻りながら相手の腕ごと大きく回し、なるべく遠くに派手に飛ぶようになげる「演武受身」が「正統」となっていますが、こういった技は全く他の攻撃を意識しない「ハウスペット」のような技といえます。こういった投げ方をしたら、空手を1年程度やった元気の良い人に、脇腹、側頭部に連発の蹴りを入れられる事でしょう。
いつ頃からこうなったのかは定かではありませんが、大学に合気道部や愛好会ができ、全日本学生合気道演武会がその始まりのような気がします。各大学が派手な受身を競い合ったためです。そういった大学から指導者となった人から広がったと私は考えています。岩間を始めとする古参の開祖の門下生が指導する町道場ではその様な事は見られませんでした。現に開祖の古い写真やフィルムの小手返しは大きく違っています。相手の攻撃を捌き、体を開いて向かい合った時にはすでに相手の小手のすべての指が相手の脈部の方向に巻き込まれて蹴りや突きなどの出来ない状態になるのが伝統的でした。(もちろん、現在もそうした稽古をしている道場は有るでしょうが。)
海外の現地人指導者の中には、過去において古参の日本人師範から指導を受けなんらかの関係で独立し、そのままの状態で、古参の伝統的な技を仕込んだままの指導者がいます。特に余り交流の無い、例えば米国のように幾つもの合気道流派や団体が常にオープンで講習会を開き「ミックスサラダ」となってしまう事の少ない国に多いようです。
この記事のおかしなタイトル「伝統技保存師範」の意味がお解かり戴けたと思います。60年代に国際的指導理念や組織上のルールも整わないまま多くの「大志有る若き合気道家」が世界に飛び出しました。その若き合気道家も70歳代、多くの高段者の方々も後を追うように世を去っています。そういった師範から指導を受けた現地国の指導者は、大切な先駆者達の技を引き継ぎました。特にミックスサラダとならないで活躍している方々には「伝統技保存師範」としてもっと敬意を表すべきと私は考えています。
最近、ともするとこういった指導者を「伝統派」英語ではトレデッショナル.スタイルなど分けて、実際は崩れた技を正当化している若い指導者が多くいます。合気道開祖植芝盛平翁は多くの門下生に自己の修行変化に添った技を残しました。その門下生の中には合気会と異なる団体を起こし、開祖の技を残した指導者も多くいます。勿論、日本人だけが優秀なる合気道家では有りませんし、ましてや血筋だけが正統な合気道とする考えに疑問を感じる人も多いことでしょう。養神館合気道も富木合気道も立派な合気道です。
合気道家は流派、団体にこだわらず、積極的にこういった指導者の教えを受け、伝統技の継承に努める必要が有ると私は思います。そういった寛容な心の持ち方が、結局は合気道界、武道界全体の社会に於ける支持を高めるものと思うのです。
#楽隠居です
たまたま日本館 総本部のHPを見つけたのですが、館長コラムでは、アメリカやヨーロッパの合気道界の問題点などを紹介しておられます。「合気道って何なの?」という疑問をもってしまうのが当然という気もします。じっくり読む価値のあるHPだと思います。
20年ほど前まで、日本館に飛び込み稽古にやってくる3級程度以上の人なら、まず間違いなく上部指導者の名前を当てる事が出来ました。例えば「貴方の先生は00師範ですね」とか「貴方の先生は00師範の門下生ですね」の様にです。
それは、その訪問者が道場に入り稽古が始まる前にする訪問者個人の動きで殆どわかりました。転換や舟こぎ運動、正座をして叩いたり捻ったりしている様子でわかったのです。以前は指導する師範によって随分と特徴があったのです。開祖がお元気な頃の本部道場でさえ、師範によって個性のある動きと指導法がなされていました。
この世を去った師範も含め、人柄が技に出た故大沢師範、しなやかな動きの故山口師範、反対に豪快であった故有川師範、本部日曜稽古で評判となった岩間の故斉藤師範、他武道にも富んだ故西尾師範、現役では、合理的に技を説明した、現心身統一合気道の藤平光一先生、千本稽古で知られた多田師範、座り技の小林保雄師範など実にユニークな師範が沢山おりました。
米国の場合、当時合気会師範部長であった藤平光一会長の影響が強いのですが、其々のパイオニア師範は日本で修行当時の師範の癖を持っていました。藤平傘下ではありませんでしたが、現在の日本人パイオニア師範が米国をまとめた頃に渡米した早乙女先生は、故山口師範門下であったため、開祖の動きとは異なるその動きは一目瞭然、山口師範の動きであり、早乙女先生の門下が飛び込み稽古に来た時は直ぐにわかったものです。その他にも富木合気道系、養神館系と其々の特徴有る合気道が展開されていました。
ところが最近は日本館の飛び込み稽古者や、他の講習会の場で他道場の合気道家と出会っても、師範や流派を引き出すのは難しくなりました。つまり師範からの世代が離れるほど特徴が薄れてしまった為です。また週末には何処でも開かれている其々の道場、流派の講習会に頻繁に参加することによって、「技の交配」が進み、派手でユニークな技がもてはやされるようになり、技の数だけは米国やヨーロッパの方が日本よりはるかに豊富になりました。反面、合気道の技に深みや理合がなく平坦となり、豪快であったり繊細であった、今は亡き高段者たちの姿は偲ばれなくなりました。
そんな流れの中で、当時の技を引き継いで指導している指導者との出会いは大変貴重なものとなります。なぜなら、演武会用の技ではない、理合いに会った「武術としての技」が残っているからです。(略)
現在の小手返しは、相手の小手を電球でも回すように捻りながら相手の腕ごと大きく回し、なるべく遠くに派手に飛ぶようになげる「演武受身」が「正統」となっていますが、こういった技は全く他の攻撃を意識しない「ハウスペット」のような技といえます。こういった投げ方をしたら、空手を1年程度やった元気の良い人に、脇腹、側頭部に連発の蹴りを入れられる事でしょう。
いつ頃からこうなったのかは定かではありませんが、大学に合気道部や愛好会ができ、全日本学生合気道演武会がその始まりのような気がします。各大学が派手な受身を競い合ったためです。そういった大学から指導者となった人から広がったと私は考えています。岩間を始めとする古参の開祖の門下生が指導する町道場ではその様な事は見られませんでした。現に開祖の古い写真やフィルムの小手返しは大きく違っています。相手の攻撃を捌き、体を開いて向かい合った時にはすでに相手の小手のすべての指が相手の脈部の方向に巻き込まれて蹴りや突きなどの出来ない状態になるのが伝統的でした。(もちろん、現在もそうした稽古をしている道場は有るでしょうが。)
海外の現地人指導者の中には、過去において古参の日本人師範から指導を受けなんらかの関係で独立し、そのままの状態で、古参の伝統的な技を仕込んだままの指導者がいます。特に余り交流の無い、例えば米国のように幾つもの合気道流派や団体が常にオープンで講習会を開き「ミックスサラダ」となってしまう事の少ない国に多いようです。
この記事のおかしなタイトル「伝統技保存師範」の意味がお解かり戴けたと思います。60年代に国際的指導理念や組織上のルールも整わないまま多くの「大志有る若き合気道家」が世界に飛び出しました。その若き合気道家も70歳代、多くの高段者の方々も後を追うように世を去っています。そういった師範から指導を受けた現地国の指導者は、大切な先駆者達の技を引き継ぎました。特にミックスサラダとならないで活躍している方々には「伝統技保存師範」としてもっと敬意を表すべきと私は考えています。
最近、ともするとこういった指導者を「伝統派」英語ではトレデッショナル.スタイルなど分けて、実際は崩れた技を正当化している若い指導者が多くいます。合気道開祖植芝盛平翁は多くの門下生に自己の修行変化に添った技を残しました。その門下生の中には合気会と異なる団体を起こし、開祖の技を残した指導者も多くいます。勿論、日本人だけが優秀なる合気道家では有りませんし、ましてや血筋だけが正統な合気道とする考えに疑問を感じる人も多いことでしょう。養神館合気道も富木合気道も立派な合気道です。
合気道家は流派、団体にこだわらず、積極的にこういった指導者の教えを受け、伝統技の継承に努める必要が有ると私は思います。そういった寛容な心の持ち方が、結局は合気道界、武道界全体の社会に於ける支持を高めるものと思うのです。
#楽隠居です
たまたま日本館 総本部のHPを見つけたのですが、館長コラムでは、アメリカやヨーロッパの合気道界の問題点などを紹介しておられます。「合気道って何なの?」という疑問をもってしまうのが当然という気もします。じっくり読む価値のあるHPだと思います。
by centeringkokyu
| 2007-04-13 00:09
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