2007年 03月 24日
合気について、その理論と実際 |
「柔と拳と道」わが生涯の武道を語る 佐藤金兵衛著から抜粋してご紹介します。
ここまで古流の伝書に見られる合気について羅列してみた。中でも一刀流剣術の「松風の事」は相手につられて合気になるな、と教えている。どうすれば合気にならないか、と教えているのでこれを逆に読めば合気のかけ方がわかるというものである。
相手が強い剛にて攻めてくるのを、より強い我が剛にてこれをはねかえして取り挫しぐ。敵が大剛にて攻めてくるを、力を抜かせ抜かせる。敵は益々ムキになって力を入れ、合気にかかって自滅してしまう。即ち「松風ハ松ノ鳴ル事、風強ケレバ松ノ鳴ル音強ク、風弱ケレバ鳴ル音モ弱シ、向ウナリニ応ズルト云り心ナリ。」とあるように相手次第によって応ずるのである。
また敵が剛でくるのを我は風に柳と受け流す法がある。これは「柔能制剛で合気ではなく気合である。敵剛で我は柔でこれを流しなやし、我は剛となって反撃する。合気は山の上の強風の中に立ってヒュウヒュウと松風を鳴らし、風雪に耐えて何ものもをおそれず、孤高を守り毅然と立っている。いくら相手が大剛であっても、相手がムキになって(合気にかかって)益々力を入れてカサにかかってくるのを、力を抜かせ無力にしてしまうので「柔能ク剛ヲ制ス」とは全く別の理合によるものである。この合気の法はすべての武術に応用できるのである。
ついでに柳の技の風になびくのを主旨として理を説く流派もある。例えば、楊心流の祖、秋山四郎兵衛由時は天満宮に百日聞こもって思いをこらした。満願の日に大雪だったが境内の柳の技に雪の積もらないのを見て悟るところがあり、楊心流と名付けたとある。古歌に
根をしめて 風に任する 柳見よ なびく技には 雪折れもなし
とあるのは至柔の境地を詠んだものであろう。また、
降ると見ば つもらぬ先に 払いかし なびく技には 雪折れもなし
合気を詠んだ歌である。
合気の術も剛柔の理も、伝統を継ぐ良師について学ばなければ習得は困難である。武術の修行によって得られる真理は陰陽、剛柔の理を尽くし、合気の法も知り尽くし、けいこも尽くして、
われ知らず 捕るはまことの 柔なり 無我無心の 心よりして
敵もなく 我もなぎさの 海女小舟 漕ぎゆく先は 浪のまにまに
の心境に至る。
わけのぼるふもとの道は多いが、登って頂上に至れば同じ真如の月を見ることが出来る。しかしふもとの道で迷ってしまっては、頂上を極めることは一生不可能であろう。
#楽隠居です
この本で引用されている道歌と関連すると思われるものをご紹介します。
北辰一刀流十二箇条目録
相気をば 避けて勝つべき 道なるに 何とて松の 風にさわげる
念流兵法心得
分け登る 麓の道は 多けれど 同じ雲井の 月を見るかな
楊心流理合全書
自ずから 移れば移る 移るとも 月もおもはず 水もおもはず
雲晴れて 後に出づると 思ふなよ もとより真に 有明の月
天心の 誠の外に 物なきに おのが心で おのがたづぬる
容(かたち)なき ものかと見れば 松風の 枝も動くぞ 音もこそすれ
角なるを ひしに見なして 三角とる 其の身は丸く 玉の浮き橋
捕られては 水に浮木の 身を持てよ 風にまかせつ 浪にまかせつ
武道歌撰集一之巻より制剛流
むりにただ 力を頼む 人こそは 勝身にうとき 心なりけり
ふしぎなる 極意ばかりを 尋ねつつ 表にあるを 知らぬはかなさ
やはらかに 敵のなす手に 任せつつ 後に勝こそ 陰中の陽
忘れても 力いだすな いたづらに 敵の力ぞ 我が力なる
われとわが 心に伝ふ 鍛錬に 妙も不思議も あるとしるべし
動きなき 心を思ひ 悟らずば 皆いたづらの 稽古なるべし
参照1:合気之術
参照2:合気とは何か
参照3:武道歌撰集二之巻
ここまで古流の伝書に見られる合気について羅列してみた。中でも一刀流剣術の「松風の事」は相手につられて合気になるな、と教えている。どうすれば合気にならないか、と教えているのでこれを逆に読めば合気のかけ方がわかるというものである。
相手が強い剛にて攻めてくるのを、より強い我が剛にてこれをはねかえして取り挫しぐ。敵が大剛にて攻めてくるを、力を抜かせ抜かせる。敵は益々ムキになって力を入れ、合気にかかって自滅してしまう。即ち「松風ハ松ノ鳴ル事、風強ケレバ松ノ鳴ル音強ク、風弱ケレバ鳴ル音モ弱シ、向ウナリニ応ズルト云り心ナリ。」とあるように相手次第によって応ずるのである。
また敵が剛でくるのを我は風に柳と受け流す法がある。これは「柔能制剛で合気ではなく気合である。敵剛で我は柔でこれを流しなやし、我は剛となって反撃する。合気は山の上の強風の中に立ってヒュウヒュウと松風を鳴らし、風雪に耐えて何ものもをおそれず、孤高を守り毅然と立っている。いくら相手が大剛であっても、相手がムキになって(合気にかかって)益々力を入れてカサにかかってくるのを、力を抜かせ無力にしてしまうので「柔能ク剛ヲ制ス」とは全く別の理合によるものである。この合気の法はすべての武術に応用できるのである。
ついでに柳の技の風になびくのを主旨として理を説く流派もある。例えば、楊心流の祖、秋山四郎兵衛由時は天満宮に百日聞こもって思いをこらした。満願の日に大雪だったが境内の柳の技に雪の積もらないのを見て悟るところがあり、楊心流と名付けたとある。古歌に
根をしめて 風に任する 柳見よ なびく技には 雪折れもなし
とあるのは至柔の境地を詠んだものであろう。また、
降ると見ば つもらぬ先に 払いかし なびく技には 雪折れもなし
合気を詠んだ歌である。
合気の術も剛柔の理も、伝統を継ぐ良師について学ばなければ習得は困難である。武術の修行によって得られる真理は陰陽、剛柔の理を尽くし、合気の法も知り尽くし、けいこも尽くして、
われ知らず 捕るはまことの 柔なり 無我無心の 心よりして
敵もなく 我もなぎさの 海女小舟 漕ぎゆく先は 浪のまにまに
の心境に至る。
わけのぼるふもとの道は多いが、登って頂上に至れば同じ真如の月を見ることが出来る。しかしふもとの道で迷ってしまっては、頂上を極めることは一生不可能であろう。
#楽隠居です
この本で引用されている道歌と関連すると思われるものをご紹介します。
北辰一刀流十二箇条目録
相気をば 避けて勝つべき 道なるに 何とて松の 風にさわげる
念流兵法心得
分け登る 麓の道は 多けれど 同じ雲井の 月を見るかな
楊心流理合全書
自ずから 移れば移る 移るとも 月もおもはず 水もおもはず
雲晴れて 後に出づると 思ふなよ もとより真に 有明の月
天心の 誠の外に 物なきに おのが心で おのがたづぬる
容(かたち)なき ものかと見れば 松風の 枝も動くぞ 音もこそすれ
角なるを ひしに見なして 三角とる 其の身は丸く 玉の浮き橋
捕られては 水に浮木の 身を持てよ 風にまかせつ 浪にまかせつ
武道歌撰集一之巻より制剛流
むりにただ 力を頼む 人こそは 勝身にうとき 心なりけり
ふしぎなる 極意ばかりを 尋ねつつ 表にあるを 知らぬはかなさ
やはらかに 敵のなす手に 任せつつ 後に勝こそ 陰中の陽
忘れても 力いだすな いたづらに 敵の力ぞ 我が力なる
われとわが 心に伝ふ 鍛錬に 妙も不思議も あるとしるべし
動きなき 心を思ひ 悟らずば 皆いたづらの 稽古なるべし
参照1:合気之術
参照2:合気とは何か
参照3:武道歌撰集二之巻
by centeringkokyu
| 2007-03-24 00:00
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