2005年 02月 06日
嶺谷之事 |
新陰流截相口伝書(柳生新陰流道眼参照)に嶺谷之事、付(つけたり)三寸二ツ之事、十文字之事という教えがあります。
嶺谷とは、正しい太刀筋を斬り込むときの目付を示したもので、古い介者剣法時代には腕(かいな)の左右の屈(かが)みのことを意味していたようです。
しかし、新陰流では真直・順・逆の三つの太刀筋を重んじ、それを截り透す時の目付を嶺谷といっています。この目付が確実にならないと正しい太刀筋を截り透せないのです。
真直ぐに拝み切りの時は、敵の頭の上(嶺)から拳(谷)まで截り透し、順・逆の斜め斬り(袈裟斬り)の時は、肩(嶺)から拳(谷)までを截り透すのです。
習っていた当時、私が本に書き込んだメモには、「太刀の角度が決まると、手の内も決まる。太刀を挙げた時に勝。」と付け加えてあります。
「嶺と谷」の範囲を広げると、「観と見」という考え方も出来ると思いますし、嶺から谷にかけて、直線ではなく太刀の反りに合わせて、円弧で結ぶイメージも可能です。そのようなイメージが立体的になれば、太刀が敵の身体を截り透して入っていくような感覚が現れるかもしれません。
イメージを立体的にする場合には、「分け目」と「もの打ち」。そして「丹田」と「寸田(上丹田)」への意識も大切になってくると思います。
「三寸二ツ之事」 … 当時は拳を斬ることを極秘して、口伝だけで伝え、文書には書かなかったようです。介者剣法では、特に自分の拳を守り、敵の拳を斬り落とすことを極意としました。
敵がこちらに斬りつけて来るとき、一番先に、こちらの身体近くに来るのは、敵の身体の中では、拳なのですから、敵の拳に意識を付けておくことは大切なことです。
どのような時でも、相手の中心から意識までを含めて、立体的に見ておくことが肝心なようです。
「イチローは天才ではない」「釣り合い」などの配付資料もお読み下さい。
十文字之事については、次回にご紹介します。
嶺谷とは、正しい太刀筋を斬り込むときの目付を示したもので、古い介者剣法時代には腕(かいな)の左右の屈(かが)みのことを意味していたようです。
しかし、新陰流では真直・順・逆の三つの太刀筋を重んじ、それを截り透す時の目付を嶺谷といっています。この目付が確実にならないと正しい太刀筋を截り透せないのです。
真直ぐに拝み切りの時は、敵の頭の上(嶺)から拳(谷)まで截り透し、順・逆の斜め斬り(袈裟斬り)の時は、肩(嶺)から拳(谷)までを截り透すのです。
習っていた当時、私が本に書き込んだメモには、「太刀の角度が決まると、手の内も決まる。太刀を挙げた時に勝。」と付け加えてあります。
「嶺と谷」の範囲を広げると、「観と見」という考え方も出来ると思いますし、嶺から谷にかけて、直線ではなく太刀の反りに合わせて、円弧で結ぶイメージも可能です。そのようなイメージが立体的になれば、太刀が敵の身体を截り透して入っていくような感覚が現れるかもしれません。
イメージを立体的にする場合には、「分け目」と「もの打ち」。そして「丹田」と「寸田(上丹田)」への意識も大切になってくると思います。
「三寸二ツ之事」 … 当時は拳を斬ることを極秘して、口伝だけで伝え、文書には書かなかったようです。介者剣法では、特に自分の拳を守り、敵の拳を斬り落とすことを極意としました。
敵がこちらに斬りつけて来るとき、一番先に、こちらの身体近くに来るのは、敵の身体の中では、拳なのですから、敵の拳に意識を付けておくことは大切なことです。
どのような時でも、相手の中心から意識までを含めて、立体的に見ておくことが肝心なようです。
「イチローは天才ではない」「釣り合い」などの配付資料もお読み下さい。
十文字之事については、次回にご紹介します。
by centeringkokyu
| 2005-02-06 16:07
| 合気観照塾