2007年 03月 07日
体全体が呼吸をする |
大東流合気柔術 小川道場 小川忠男の合気の世界2
合気ニュースの記事から抜粋してご紹介します。
-ー呼吸というのは、どういった鍛錬法があるのですか。
小川 呼吸と言ったって「ふいご」と同じなんですよ。ふっと息を吹き込む感じなんです。自分の体を空洞にする。だから力んではだめというのは、体を楽にすれば呼吸が普通にできるからです。ちょっとしたことなんです。目に見えるようなことではないんです。
中心線を締めると脇も手も締まるんです、力で締まるんじゃなくて。息を吐くというのは、中心なんですよ。すると簡単に中心線が出るんです。そういう感性が必要なんです、ほんのちょっとしたことを感じる。おおざっぱな人にわからないと言うのはそこなんです。
原理がわかってくると、足の内側をちょっと張るような感じになるわけですよ。自分の気持ちをふっと締めるような感じなんです。そうすると足の内側の筋肉がすこし張る状態になるんですね、外側の筋肉でなく。一番の問題は出すという考え方なんですよ。
うっと固まっちゃうと関節技も効きません。相手にそういう力がいかなくなる。だいたい関節というのはすきまがあるから、そこに紙一枚がすっとはいるような指の使い方ができると、すっと落ちるのです。
呼吸ができるってことは体がのびのびしている状態なんです。そうすると技は掛かるんです。指一本でも落ちるということはそういうことなんです。
日本の武道で小さな人が大きな人に勝つというのはそういうことじゃないかと思います。力をとってすっと返す。“引きと攻め”を一緒に一瞬にやるだけなんです。大きな動作だとそれをしてないんですよ。小さな動作でやるからわからない人から見ると不思議だとなるのですが、原理はむずかしくないんですよ。
-ー“引きと攻め”という言葉も今回はじめてですね。
小川 岡本正剛先生が使っていらしたから私も使いました。実際その他に言いようがないのです。植芝先生にしても佐川先生、井上方軒先生、堀川先生にしても、指が伸びているじゃないですか。そうすると起点ができるから、この中を呼吸が通るから手がぴしっとくっつくようになるわけですよ。体全体が呼吸をする。皮膚呼吸と言うと表面だけになりますが、骨の中で呼吸する、骨の中に息を通しているような感じなんです。
ただ、武道をやってる人たちが逆のほうへいってるだけなんです。私も昔ガチガチ鍛えていたときは、ぜんぜんそんなことはわからなかった。だから武道をやってない人のほうがいいと言うのは、そこなんです。力まないでのびのびやると体が統一できるんです。
だけど今の世の中、スポーツ的な考え方が強いんです。合気道はスポーツではないと言っていても、けっこう部分的なところではスポーツになっている。だからどんどん変わった形になる。指導者も呼吸法をやらなくなる。そうすると呼吸法というものを入れないで派手な動きをやるようになる。
だから、今は合気道は大きく動くという形になっちゃってるんですが、合気というのは、相手の中でもってほんのちょっとした操作だけなんですよ。最小限に動かすということです。だからこちらの体とか心の持ち方が大切になってくるのです。
試合をやるとどうしても本能がでる、そうすると体の中とか、そういう細かいことが使えなくなってしまうんですよね、術にならない。
その点、合気というのは身を守るものですから、掛かってこない者に掛ける必要はない。これが合気の肝心なところじゃないですか。やっつけようとするとどうしても自分の体もいい状態になりません。ということはある面、技そのものが精神的でもあるわけですね。
熟練してくると心境も座禅のような境地になるんじゃないでしょうか。だから呼吸もは一っと吐くときに体が合気で楽になってくると、体のなかがすごくゆるみます。昔の自分は筋肉も硬かったんでしょうね、だから息が苦しくなるんですね。
だから結局は指を使って楽になって、そのなかに気を入れる、だいたいそういうことじゃないですか。
合気ニュースの記事から抜粋してご紹介します。
-ー呼吸というのは、どういった鍛錬法があるのですか。
小川 呼吸と言ったって「ふいご」と同じなんですよ。ふっと息を吹き込む感じなんです。自分の体を空洞にする。だから力んではだめというのは、体を楽にすれば呼吸が普通にできるからです。ちょっとしたことなんです。目に見えるようなことではないんです。
中心線を締めると脇も手も締まるんです、力で締まるんじゃなくて。息を吐くというのは、中心なんですよ。すると簡単に中心線が出るんです。そういう感性が必要なんです、ほんのちょっとしたことを感じる。おおざっぱな人にわからないと言うのはそこなんです。
原理がわかってくると、足の内側をちょっと張るような感じになるわけですよ。自分の気持ちをふっと締めるような感じなんです。そうすると足の内側の筋肉がすこし張る状態になるんですね、外側の筋肉でなく。一番の問題は出すという考え方なんですよ。
うっと固まっちゃうと関節技も効きません。相手にそういう力がいかなくなる。だいたい関節というのはすきまがあるから、そこに紙一枚がすっとはいるような指の使い方ができると、すっと落ちるのです。
呼吸ができるってことは体がのびのびしている状態なんです。そうすると技は掛かるんです。指一本でも落ちるということはそういうことなんです。
日本の武道で小さな人が大きな人に勝つというのはそういうことじゃないかと思います。力をとってすっと返す。“引きと攻め”を一緒に一瞬にやるだけなんです。大きな動作だとそれをしてないんですよ。小さな動作でやるからわからない人から見ると不思議だとなるのですが、原理はむずかしくないんですよ。
-ー“引きと攻め”という言葉も今回はじめてですね。
小川 岡本正剛先生が使っていらしたから私も使いました。実際その他に言いようがないのです。植芝先生にしても佐川先生、井上方軒先生、堀川先生にしても、指が伸びているじゃないですか。そうすると起点ができるから、この中を呼吸が通るから手がぴしっとくっつくようになるわけですよ。体全体が呼吸をする。皮膚呼吸と言うと表面だけになりますが、骨の中で呼吸する、骨の中に息を通しているような感じなんです。
ただ、武道をやってる人たちが逆のほうへいってるだけなんです。私も昔ガチガチ鍛えていたときは、ぜんぜんそんなことはわからなかった。だから武道をやってない人のほうがいいと言うのは、そこなんです。力まないでのびのびやると体が統一できるんです。
だけど今の世の中、スポーツ的な考え方が強いんです。合気道はスポーツではないと言っていても、けっこう部分的なところではスポーツになっている。だからどんどん変わった形になる。指導者も呼吸法をやらなくなる。そうすると呼吸法というものを入れないで派手な動きをやるようになる。
だから、今は合気道は大きく動くという形になっちゃってるんですが、合気というのは、相手の中でもってほんのちょっとした操作だけなんですよ。最小限に動かすということです。だからこちらの体とか心の持ち方が大切になってくるのです。
試合をやるとどうしても本能がでる、そうすると体の中とか、そういう細かいことが使えなくなってしまうんですよね、術にならない。
その点、合気というのは身を守るものですから、掛かってこない者に掛ける必要はない。これが合気の肝心なところじゃないですか。やっつけようとするとどうしても自分の体もいい状態になりません。ということはある面、技そのものが精神的でもあるわけですね。
熟練してくると心境も座禅のような境地になるんじゃないでしょうか。だから呼吸もは一っと吐くときに体が合気で楽になってくると、体のなかがすごくゆるみます。昔の自分は筋肉も硬かったんでしょうね、だから息が苦しくなるんですね。
だから結局は指を使って楽になって、そのなかに気を入れる、だいたいそういうことじゃないですか。
by centeringkokyu
| 2007-03-07 00:00
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