2007年 02月 02日
型ができる以前を考える |
新陰流第二十世 柳生厳長伝述 「新陰流兵法太刀伝」から抜粋してご紹介します。
礼法
坐礼
韜竹杖を左手に提げ、場の中央(相手と距たる「立合い間合い」※)に立ち、両膝をつき坐し、シナイを抜出して右手で真直ぐに床あるいは地に近くおき、両手の拳を軽く握り、中指と拇指頭とを接し、その四指の爪を両膝わきで軽く床につけ、頭・首を低く下げ屈げず、ただ「目つけ」を相手の膝の辺りに付ける(目礼)。そして両手でシナイを執り、右足から立つ。
※「立合い間合」は三間乃至五間
立礼
場の中央後ろに右足を一足長前にし(=「足を活かし」)立ったまま、目付けを相手の双手に付ける(目礼)。直ぐに左手に提げたシナイを前へ抜き出し、「人中路」の最低位に双手で提げる(少しも構えるという心持ちがない「無形之位」で双手を素直に下げ伸ばし、太刀先を低く垂れて「手の内」を柔らかくしっかりと締め執る)。
上の無形之位の刀法・身勢が「手の内」(執刀法)即ち、上・中・下段位の「太刀之位」(構え)の基本法勢※※となるから大事である。
※※法も勢もハタラキ
#楽隠居です
土曜日の観照塾では、この礼法をじっくり稽古しようと考えています。先人はきっと、同じ動作を繰り返させることで、何かを教えようとしているのだと思います。制剛流抜刀術でも、納刀までの一連の動作は、全ての型で繰り返し稽古させるようになっています。
一刀流でも、一つの型が終わった後は、左手だけで木刀を持ち、残心したまま後退する動作が共通だったと記憶しています。これも「無形之位」の稽古だと言えるかもしれません。
勢法(型)を覚えるだけではなく、先人が我々に何を稽古させる為にこの勢法を作ったのだろうかと考えるのも楽しいです。そして、その考えもある時ころっと変わってしまうかもしれません。型が一番先にあったはずはない。そのことだけは確かですから・・・
参照:分目と搦
礼法
坐礼
韜竹杖を左手に提げ、場の中央(相手と距たる「立合い間合い」※)に立ち、両膝をつき坐し、シナイを抜出して右手で真直ぐに床あるいは地に近くおき、両手の拳を軽く握り、中指と拇指頭とを接し、その四指の爪を両膝わきで軽く床につけ、頭・首を低く下げ屈げず、ただ「目つけ」を相手の膝の辺りに付ける(目礼)。そして両手でシナイを執り、右足から立つ。
※「立合い間合」は三間乃至五間
立礼
場の中央後ろに右足を一足長前にし(=「足を活かし」)立ったまま、目付けを相手の双手に付ける(目礼)。直ぐに左手に提げたシナイを前へ抜き出し、「人中路」の最低位に双手で提げる(少しも構えるという心持ちがない「無形之位」で双手を素直に下げ伸ばし、太刀先を低く垂れて「手の内」を柔らかくしっかりと締め執る)。
上の無形之位の刀法・身勢が「手の内」(執刀法)即ち、上・中・下段位の「太刀之位」(構え)の基本法勢※※となるから大事である。
※※法も勢もハタラキ
#楽隠居です
土曜日の観照塾では、この礼法をじっくり稽古しようと考えています。先人はきっと、同じ動作を繰り返させることで、何かを教えようとしているのだと思います。制剛流抜刀術でも、納刀までの一連の動作は、全ての型で繰り返し稽古させるようになっています。
一刀流でも、一つの型が終わった後は、左手だけで木刀を持ち、残心したまま後退する動作が共通だったと記憶しています。これも「無形之位」の稽古だと言えるかもしれません。
勢法(型)を覚えるだけではなく、先人が我々に何を稽古させる為にこの勢法を作ったのだろうかと考えるのも楽しいです。そして、その考えもある時ころっと変わってしまうかもしれません。型が一番先にあったはずはない。そのことだけは確かですから・・・
参照:分目と搦
by centeringkokyu
| 2007-02-02 00:01
| 本などの紹介