2007年 02月 01日
宗家養成の為の身体作り |
テレビの特別番組などで、宗家の子供や孫などに伝統芸能を受け継がせる為に、厳しい稽古を繰り返す様子を放送されることがあります。それをみていると、宗家(又は一門の長)の一族だけが幼い頃から順番に演じる演目があるようです。そのような演目の稽古をしている様子を見ていると、先人は本当に良く身体作りのことを考えているとつくづく思います。
狂言の野村万作さん萬斎さんそして、萬斎さんの息子さんが靫猿の稽古をしている様子を紹介した番組をたまたま見ましたが、お祖父さんが孫に教えている時と、お父さんが子供に教えている時とでは、全く雰囲気が違いました。
稽古の様子を見ていて、小猿が舞台から落ちないようにするために、小猿には紐を結び付け、その紐を父親の萬斎さんがもって合図を送るようにしているのではないかと感じました。なぜなら、お猿さんの面をつけているので、正面しか見えないから視線は決まりますが、舞台の状況は見えにくいはずですから。
小猿の所作では、片足で交互に立って、両手を上げたり下げたりする動作や、幣(ぬさ)を持ったままで、左右にころがり、すぐに起きあがって、身体の中心線上で幣を捧げ持つといった動作も繰り返されます。(最初の稽古の時には、確か棒だけを持っていました。)
横座りしたままで、右手をかざして月を見たり、座り直して左手をかざして月をみたりと、身体の左右を均等に使いながら動くようにもできているようですし、視線や意識の使い方の基礎を教えているようでもあります。
お祖父さんとお父さんが掛け合いを演じている間に、小猿は左右の手足やお尻など、身体のあちこちを順番に掻くという動作をして身体を動かし続けていましたので、これは意識を切らない稽古にもなっているのだと感じました。
また10数年前に、宝生流宗家の幼い息子さんが、稽古をしているところを紹介していた番組では、衣装や持ち物にもいろいろ工夫を凝らされているように感じましたし、極めつけは、金属板に龍の彫り物をした冠り物を頭に括り付けて稽古しているところでした。子供の時から、こんな冠り物を頭に乗せて演じれば、いやでも中心軸ができるはずですよね!
幼少の頃から、特殊な道具を使った演目をさせるというのは、ある意味では宗家養成ギブスになっているのではないかと思ってしまいました。そのような稽古を経た人と、20歳以降から何も知らずに稽古を始めた人では、相当な開きが出てくるに違いありません。
もっとも、伝統や親に対する反発も出てきますから、最終的な結果が、必ず良い方に出るとも限りません。
私は、歌舞伎の「にらみ」にも同じような意味合いがあるはずだとにらんでいるのですが・・・
野村万作(二世)(狂言師、1931年 生まれ)さんの略歴
•1934年 「靫猿」で初舞台
•1950年 万作襲名。「三番叟」「奈須与市語」を被く。
•1956年 「釣狐」を被く。
•1960年 「花子」を被く。
•1986年 「狸腹鼓」を被く。
•1993年 「釣狐」連続公演。
参照1:にらみ?
参照2:口伝
参照3:こちらは、金沢に住んでいる叔母の知人で、私の結婚式にもわざわざ出席してくださった高橋先生のサイトです。ご子息は、東京芸大を卒業後、宝生流宗家の内弟子になられたはずです。下の写真は、高橋先生です。高橋先生は、叔母が習っていた先生のところで内弟子をしておられたようです。
狂言師-野村万作・萬斎-DVD-BOXには、「野村万作最後の釣狐に挑む」や「小さな狂言師ー誕生」も入っています。「奈須与市語」や「三番叟」の映像も紹介されていますので、何を伝えるための演目かを考えながらご覧下さい。それぞれの番組は、以前見たのですが、このDVDを発売されていることは、M岡さんに教えていただきました。
狂言の野村万作さん萬斎さんそして、萬斎さんの息子さんが靫猿の稽古をしている様子を紹介した番組をたまたま見ましたが、お祖父さんが孫に教えている時と、お父さんが子供に教えている時とでは、全く雰囲気が違いました。
稽古の様子を見ていて、小猿が舞台から落ちないようにするために、小猿には紐を結び付け、その紐を父親の萬斎さんがもって合図を送るようにしているのではないかと感じました。なぜなら、お猿さんの面をつけているので、正面しか見えないから視線は決まりますが、舞台の状況は見えにくいはずですから。
小猿の所作では、片足で交互に立って、両手を上げたり下げたりする動作や、幣(ぬさ)を持ったままで、左右にころがり、すぐに起きあがって、身体の中心線上で幣を捧げ持つといった動作も繰り返されます。(最初の稽古の時には、確か棒だけを持っていました。)
横座りしたままで、右手をかざして月を見たり、座り直して左手をかざして月をみたりと、身体の左右を均等に使いながら動くようにもできているようですし、視線や意識の使い方の基礎を教えているようでもあります。
お祖父さんとお父さんが掛け合いを演じている間に、小猿は左右の手足やお尻など、身体のあちこちを順番に掻くという動作をして身体を動かし続けていましたので、これは意識を切らない稽古にもなっているのだと感じました。
また10数年前に、宝生流宗家の幼い息子さんが、稽古をしているところを紹介していた番組では、衣装や持ち物にもいろいろ工夫を凝らされているように感じましたし、極めつけは、金属板に龍の彫り物をした冠り物を頭に括り付けて稽古しているところでした。子供の時から、こんな冠り物を頭に乗せて演じれば、いやでも中心軸ができるはずですよね!
幼少の頃から、特殊な道具を使った演目をさせるというのは、ある意味では宗家養成ギブスになっているのではないかと思ってしまいました。そのような稽古を経た人と、20歳以降から何も知らずに稽古を始めた人では、相当な開きが出てくるに違いありません。
もっとも、伝統や親に対する反発も出てきますから、最終的な結果が、必ず良い方に出るとも限りません。
私は、歌舞伎の「にらみ」にも同じような意味合いがあるはずだとにらんでいるのですが・・・
野村万作(二世)(狂言師、1931年 生まれ)さんの略歴
•1934年 「靫猿」で初舞台
•1950年 万作襲名。「三番叟」「奈須与市語」を被く。
•1956年 「釣狐」を被く。
•1960年 「花子」を被く。
•1986年 「狸腹鼓」を被く。
•1993年 「釣狐」連続公演。
参照1:にらみ?
参照2:口伝
参照3:こちらは、金沢に住んでいる叔母の知人で、私の結婚式にもわざわざ出席してくださった高橋先生のサイトです。ご子息は、東京芸大を卒業後、宝生流宗家の内弟子になられたはずです。下の写真は、高橋先生です。高橋先生は、叔母が習っていた先生のところで内弟子をしておられたようです。
狂言師-野村万作・萬斎-DVD-BOXには、「野村万作最後の釣狐に挑む」や「小さな狂言師ー誕生」も入っています。「奈須与市語」や「三番叟」の映像も紹介されていますので、何を伝えるための演目かを考えながらご覧下さい。それぞれの番組は、以前見たのですが、このDVDを発売されていることは、M岡さんに教えていただきました。
by centeringkokyu
| 2007-02-01 00:03
| 日常