2007年 01月 20日
いまこのときがすばらしい一瞬(ひととき) |
今回も、微笑みを生きる <気づき>の瞑想と実践 ティク・ナット・ハン著から抜粋してご紹介します。
毎日の繁雑な生活のなかで、ときどき息に気づいてみることはすばらしい体験です。意識的な呼吸の練習は瞑想室だけで行うものではなく、会社にいるときでも、家庭にいるときや、車を運転したりバスに乗っているときでも、一日じゅう、いつでもどんな場所でもできるのです。
意識的な呼吸法は、ほかにもいろいろな方法があります。簡単な「入出息」の練習のほかに、息を吸ったり吐いたりするときに、次のような詩をくちずさんでみることもできます。
息を吸って 私はしずか
息を吐いて 私は微笑む
このいまに生きることこそが
私には すばらしい一瞬(ひととき)
「息を吸って 私はしずか」。この行をくちずさむと、暑い夏の日に冷たく冷えたレモネードを飲んだときのように、涼しさが体に染みこんできます。私は息を吸いながらこの一行をくちずさんでいると、本当に息が体とこころを静めてゆくのを感じることができます。
「息を吐いて 私は微笑む」。微笑みは何百という顔面の筋肉を緩めます。顔面いっぱいの微笑みは、あなたがあなた自身の主人であることの証拠なのです。
「このいまに生きることこそが」。私はこうしてここに坐っているとき、ほかのことは何も考えません。私はここに坐って、私がこうしてここにいることに気づいているだけです。
「私には すばらしい一瞬」。しっかりと落ちついて坐り、自分の息と微笑み、そして自分の真のすがたに立ち戻ることは喜びです。いま、この瞬間こそが、私たちのいのちの実在の瞬間です。私たちは、いま、ここ、この瞬間でしか生きられません。いま、このときにしずかなこころと喜びを味わうのでなければ、いつそのような時が来るのでしょうか。明日、それとも明後日でしょうか。いまこのときの幸せをさまたげているものはなんでしょうか。自分の息に気づいていつも離れずにいられたら、「身もこころもしずかに微笑む、いま、このままが、すばらしい一瞬」と、こころからいえるのです。
この練習は初心者だけのものではありません。40年、50年と意識的呼吸法や瞑想を修行してきた人でも、この同じ練習をたゆまずつづけています。この息に気づく練習は、それほど大切なものであり、しかも、だれにでも容易にできる練習なのです。
毎日の繁雑な生活のなかで、ときどき息に気づいてみることはすばらしい体験です。意識的な呼吸の練習は瞑想室だけで行うものではなく、会社にいるときでも、家庭にいるときや、車を運転したりバスに乗っているときでも、一日じゅう、いつでもどんな場所でもできるのです。
意識的な呼吸法は、ほかにもいろいろな方法があります。簡単な「入出息」の練習のほかに、息を吸ったり吐いたりするときに、次のような詩をくちずさんでみることもできます。
息を吸って 私はしずか
息を吐いて 私は微笑む
このいまに生きることこそが
私には すばらしい一瞬(ひととき)
「息を吸って 私はしずか」。この行をくちずさむと、暑い夏の日に冷たく冷えたレモネードを飲んだときのように、涼しさが体に染みこんできます。私は息を吸いながらこの一行をくちずさんでいると、本当に息が体とこころを静めてゆくのを感じることができます。
「息を吐いて 私は微笑む」。微笑みは何百という顔面の筋肉を緩めます。顔面いっぱいの微笑みは、あなたがあなた自身の主人であることの証拠なのです。
「このいまに生きることこそが」。私はこうしてここに坐っているとき、ほかのことは何も考えません。私はここに坐って、私がこうしてここにいることに気づいているだけです。
「私には すばらしい一瞬」。しっかりと落ちついて坐り、自分の息と微笑み、そして自分の真のすがたに立ち戻ることは喜びです。いま、この瞬間こそが、私たちのいのちの実在の瞬間です。私たちは、いま、ここ、この瞬間でしか生きられません。いま、このときにしずかなこころと喜びを味わうのでなければ、いつそのような時が来るのでしょうか。明日、それとも明後日でしょうか。いまこのときの幸せをさまたげているものはなんでしょうか。自分の息に気づいていつも離れずにいられたら、「身もこころもしずかに微笑む、いま、このままが、すばらしい一瞬」と、こころからいえるのです。
この練習は初心者だけのものではありません。40年、50年と意識的呼吸法や瞑想を修行してきた人でも、この同じ練習をたゆまずつづけています。この息に気づく練習は、それほど大切なものであり、しかも、だれにでも容易にできる練習なのです。
by centeringkokyu
| 2007-01-20 00:01
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