2006年 12月 26日
真贋 |
今回も私のHPのコラム(2003-05-03)から転載させていただきます。
前回のコラムをアップした数日後、産経新聞の夕刊に、真贋不明の名作「落札された中川一政コレクション」という記事が、掲載されました。一部の作品の落札価格を紹介し、最後は、『コレクションといえば、すぐに富豪のものが思い浮かぶが、今回は投資や趣味をはるかに越えている。中川一政という、一人の画家の生きざまや情熱、迫力までが伝わってくる内容だった。』ということばで結ばれていました。
真贋不明の名作とは、うまく言ったもので、落札された価格も、本物にしては安すぎるし、ニセモノにしては、高すぎるのではないかと思われる、何とも、ちゅ〜と半端な金額も見受けられました。
たまたま図書館で、「なんでも鑑定団」で鑑定士として出演しておられる、中島誠之助氏の「ニセモノ師たち」を見つけましたので、早速読んでみました。
中島氏曰く、『骨董品というのは、代々伝えられ守られるべき品であり、生産するものではありません。それに対して、技術の継承とか学問としての探求、あるいは盛時の再現とか製作のための研鑽、インテリア調度品としての複製などの目的で復元されたコピーをオリジナル品であると思いこむ錯誤や、故意に古物のように見せかける作為に惑わされることによりニセモノが生まれます。この場合は、品物に罪はなく、欲心や悪心を持った人間サイドに罪があります。』
さらに、『品物の前に人間を見極めよ』 『権威(箱書きや鑑定書)に弱いあなたが騙される』 『目利きほどニセモノ作りが上手い』 『約束事にのっとったニセモノはバレない』 『時代を古くするプロの「汚し屋」』 『書画・掛軸の九割がニセモノ』 などについて、ご自分の経験を詳しく述べておられます。
「目利き」と「鑑定」の違いについては、「目利き」は自分の為にする行為、「鑑定」は人に教えるものであると説明されています。
そして、『目利きの人、あるいはプロの骨董商は鑑定をしません。私は公私にかかわらず個人的な鑑定はいっさいしません。鑑定士の名のもとに鑑定をしているテレビ番組や講演会・鑑定会などの場合、鑑定は私の芸能活動であり公共の使命と割り切っています。なぜならば、鑑定して鑑定料をもらうということは、プロの目利きの社会から見ると骨董商の仕事ではないからです。』と記されています。
芸能活動として、もしくは骨董業界の為に、人の持ち物に値段をつけて、人に教えるという行為は、「鑑定」ではないという理屈なのでしょうね。
「鑑定」の真贋を、「鑑定」する機関が必要なのでしょうか。
「そんなことしても、あカンテ〜」ちゃんちゃん!
#楽隠居です
このブログもある意味では、コラージュみたいなものだと考えています。パッチワークやジグソーパズルという考え方もできると思います。ひょっとすると3Dのように、立体的に何かが見えるのを狙っているのかもしれません。私はエッシャーが好きですから「だまし絵」になっている部分もあります。
まぁ〜どちらにしても、このブログに罪は無く、読まれる人の読み方に全てはかかっているということになっています???
参照:M.C. エッシャー展 ~視覚の魔術師~
前回のコラムをアップした数日後、産経新聞の夕刊に、真贋不明の名作「落札された中川一政コレクション」という記事が、掲載されました。一部の作品の落札価格を紹介し、最後は、『コレクションといえば、すぐに富豪のものが思い浮かぶが、今回は投資や趣味をはるかに越えている。中川一政という、一人の画家の生きざまや情熱、迫力までが伝わってくる内容だった。』ということばで結ばれていました。
真贋不明の名作とは、うまく言ったもので、落札された価格も、本物にしては安すぎるし、ニセモノにしては、高すぎるのではないかと思われる、何とも、ちゅ〜と半端な金額も見受けられました。
たまたま図書館で、「なんでも鑑定団」で鑑定士として出演しておられる、中島誠之助氏の「ニセモノ師たち」を見つけましたので、早速読んでみました。
中島氏曰く、『骨董品というのは、代々伝えられ守られるべき品であり、生産するものではありません。それに対して、技術の継承とか学問としての探求、あるいは盛時の再現とか製作のための研鑽、インテリア調度品としての複製などの目的で復元されたコピーをオリジナル品であると思いこむ錯誤や、故意に古物のように見せかける作為に惑わされることによりニセモノが生まれます。この場合は、品物に罪はなく、欲心や悪心を持った人間サイドに罪があります。』
さらに、『品物の前に人間を見極めよ』 『権威(箱書きや鑑定書)に弱いあなたが騙される』 『目利きほどニセモノ作りが上手い』 『約束事にのっとったニセモノはバレない』 『時代を古くするプロの「汚し屋」』 『書画・掛軸の九割がニセモノ』 などについて、ご自分の経験を詳しく述べておられます。
「目利き」と「鑑定」の違いについては、「目利き」は自分の為にする行為、「鑑定」は人に教えるものであると説明されています。
そして、『目利きの人、あるいはプロの骨董商は鑑定をしません。私は公私にかかわらず個人的な鑑定はいっさいしません。鑑定士の名のもとに鑑定をしているテレビ番組や講演会・鑑定会などの場合、鑑定は私の芸能活動であり公共の使命と割り切っています。なぜならば、鑑定して鑑定料をもらうということは、プロの目利きの社会から見ると骨董商の仕事ではないからです。』と記されています。
芸能活動として、もしくは骨董業界の為に、人の持ち物に値段をつけて、人に教えるという行為は、「鑑定」ではないという理屈なのでしょうね。
「鑑定」の真贋を、「鑑定」する機関が必要なのでしょうか。
「そんなことしても、あカンテ〜」ちゃんちゃん!
#楽隠居です
このブログもある意味では、コラージュみたいなものだと考えています。パッチワークやジグソーパズルという考え方もできると思います。ひょっとすると3Dのように、立体的に何かが見えるのを狙っているのかもしれません。私はエッシャーが好きですから「だまし絵」になっている部分もあります。
まぁ〜どちらにしても、このブログに罪は無く、読まれる人の読み方に全てはかかっているということになっています???
参照:M.C. エッシャー展 ~視覚の魔術師~
by centeringkokyu
| 2006-12-26 00:00
| 日常