2006年 12月 05日
人権週間 |
昨日から人権週間が始まったようです。そこでちょっと調べてみました。
人権ってなに?
・「人権って大切だ」とか「人権を尊重しなければいけない」って言うけど『人権』ってどんなことなの?
・「人権」というのは、誰もが生まれながらにして持っている、人間の尊厳に基づく固有の権利で、自分も、自分以外の人も、すべての人が「人間らしく、自分らしく生きる」ために必要なものなんだよ。だけど、残念なことに日本の法律の中には定義がないんだ。
・なるほど。お互いの権利(人権)を大切にすることが、みんなの幸せを創り上げていくことになるんだね。
・だけど、日本では、様々な人権問題があるんだよ。日常生活の中でも、なにげなく受け入れていることだって、角度を変えてみると見えてくることがあるんだよ。 例えば、「お茶を入れるのは女性の役割」という意識が、昔からあるよね。これは、性別の違いによってうける「差別」につながるんだよ。
・それ以外にどんなことがあるの?
・女性、子ども、高齢者、障害者、同和問題などがあるね。それぞれが違うように見えるかも知れないけど、偏見や思い込みが起因することが多いんだよ。日本では、法務省などが中心になって差別解消に向けた取り組みをしているんだよ。(法務省はこちら) 国際連合でも、世界の平和をめざして、世界の国に、人権教育の推進を呼びかけているんだよ。
・世界といえば「世界人権宣言」は、どうしてうまれたの?
・「世界人権宣言」は、人類が20世紀に2度の世界大戦を経験して、多くの尊い生命を奪い、悲劇と破壊をもたらしたことへの反省から、平和と人権の尊重を推進するために、国際連合で1948(昭和23)年12月10日に採択されたんだ。その第1条では、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利について平等である」とうたっているよ。
・ところで「人権週間」って?
・「人権週間」とは、世界人権宣言が採択された日を含めたその前1週間のことだよ。日本では、毎年12月4日から10日を人権週間として、全国各地で様々な啓発事業を実施しているんだよ。
差別について
・「差別」ってどういうことを言うの?
・「差別」って、人をマイナスイメージで判断してその人を社会のなかで不当に扱ってしまうこと。つまり、自分と同等だと認めていないことによって起こるのよ。
・それが人権侵害につながるんだね。
・そうよ。人権侵害は、心の中にある「差別」意識が、形として、あるいは行動として現れる結果なのよ。
・どうしたらなくなるの?
・この問題は、差別する人、差別される人だけの当事者だけの問題ではないってこと。見て見ぬふりをしている人も、差別した人の側についているのと同じなのよ。犯罪を犯している人を見て、通報もしないで見ている人は、いないよね。差別を見て見ないふりをしている人は、犯罪を見て通報しない人と同じなのよ。
・そうか!差別は、そうした多くの見て見ぬふりをしている人や無関心の人が、しっかりした態度で臨むことが大切なんだね。
・人はそれぞれ違うのがあたり前よね。お互いの個性や違いを認め合い、助け合っていく社会が、人権尊重された社会ってことになるかしら。そのためには、日常生活の中で、人権への配慮が態度や行動として表れるように、「人権感覚」を磨く努力をしていくことが必要だわね。
#楽隠居です
『誰もが生まれながらにして持っている、人間の尊厳に基づく固有の権利で、自分も、自分以外の人も、すべての人が「人間らしく、自分らしく生きる」ために必要なもの。』が、人権の定義らしいです。
昔々、狼少女?のお話を読んだことがあるのですが、狼に育てられていたので、人間社会に馴染むのが大変だったということでした。オタマジャクシは生まれながらにカエルの子ですが、人間は人間らしい環境で育てる必要があるのかもしれません。オタマジャクシも環境によっては、うまく育ちませんが・・・ まあ、人間らしい環境にして貰う権利があるということなのでしょう。
ただ、『残念なことに日本の法律の中には定義がないんだ。』ということですが、定義をしないでも存在する権利って、なんか怪しい気がするのは私だけでしょうか。定義されていても権利の喪失はあり得るのに・・・
さらに、人権派弁護士なんていわれると、眉につばを付けたくなります。
「アメリカでは常識のニッポン人取扱説明書—腹が立つけど、これが現実」ロバート・ツチガネ著から引用します。
『アメリカ人の目で見ると、日本では、犯人の人権ばかりが重んじられ、被害者、そして遺族が泣き寝入りするケースが、あまりにも多すぎて、これが近代法治国家かと疑わせるほどだ。
日本では、「人権屋」とでも呼ぶべきオピニオンリーダーが存在するからだろう。彼らは、体制に失点を与えるのが、唯一の目的だから、ことの正否は問わないのだ。
ある暴行殺人犯を、彼ら人権屋がマスコミを動員して、誤審の被害者に仕立て上げ、無罪にしてしまったことがある。この男は、誤審の被害者として、彼らの斡旋で、あちこちで講演してまわったほどだ。ところが、その男、数年を経ずして、また同様の暴行殺人を犯してしまった。これだけのエネルギーを、せめて被害者の救済に充てようというのが、常識というものだろうが、日本では通じない理屈らしい。犯罪者のほうも多国籍化しているから、日本では罪が軽いことを知ったうえで、犯行を繰り返すことになる』引用終わり
「自由と平等」と同じで、「加害者と被害者」どちらの人権も同時に満たすということができなければ、人権なんて無いのと同じではありませんか? 「介護される人の人権」と「介護する人の人権」はどうなっていくのでしょうかねぇ〜 それに「人権屋」という仕事もあるようですね。ということは、人権が商売になるのかな?
「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利について平等である」らしいですから、早く「平和と人権と自由と平等」を叫ばないでもいい世の中になればいいのにねぇ〜 でも、そんな世の中になってしまうと人権屋さんは失業しますね!それでは、人権屋さんの人権が侵害される?
参照1:禅的教育プログラム
参照2:才能、教育、成功
参照3:教壇が消えた日
参照4:わかる
人権ってなに?
・「人権って大切だ」とか「人権を尊重しなければいけない」って言うけど『人権』ってどんなことなの?
・「人権」というのは、誰もが生まれながらにして持っている、人間の尊厳に基づく固有の権利で、自分も、自分以外の人も、すべての人が「人間らしく、自分らしく生きる」ために必要なものなんだよ。だけど、残念なことに日本の法律の中には定義がないんだ。
・なるほど。お互いの権利(人権)を大切にすることが、みんなの幸せを創り上げていくことになるんだね。
・だけど、日本では、様々な人権問題があるんだよ。日常生活の中でも、なにげなく受け入れていることだって、角度を変えてみると見えてくることがあるんだよ。 例えば、「お茶を入れるのは女性の役割」という意識が、昔からあるよね。これは、性別の違いによってうける「差別」につながるんだよ。
・それ以外にどんなことがあるの?
・女性、子ども、高齢者、障害者、同和問題などがあるね。それぞれが違うように見えるかも知れないけど、偏見や思い込みが起因することが多いんだよ。日本では、法務省などが中心になって差別解消に向けた取り組みをしているんだよ。(法務省はこちら) 国際連合でも、世界の平和をめざして、世界の国に、人権教育の推進を呼びかけているんだよ。
・世界といえば「世界人権宣言」は、どうしてうまれたの?
・「世界人権宣言」は、人類が20世紀に2度の世界大戦を経験して、多くの尊い生命を奪い、悲劇と破壊をもたらしたことへの反省から、平和と人権の尊重を推進するために、国際連合で1948(昭和23)年12月10日に採択されたんだ。その第1条では、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利について平等である」とうたっているよ。
・ところで「人権週間」って?
・「人権週間」とは、世界人権宣言が採択された日を含めたその前1週間のことだよ。日本では、毎年12月4日から10日を人権週間として、全国各地で様々な啓発事業を実施しているんだよ。
差別について
・「差別」ってどういうことを言うの?
・「差別」って、人をマイナスイメージで判断してその人を社会のなかで不当に扱ってしまうこと。つまり、自分と同等だと認めていないことによって起こるのよ。
・それが人権侵害につながるんだね。
・そうよ。人権侵害は、心の中にある「差別」意識が、形として、あるいは行動として現れる結果なのよ。
・どうしたらなくなるの?
・この問題は、差別する人、差別される人だけの当事者だけの問題ではないってこと。見て見ぬふりをしている人も、差別した人の側についているのと同じなのよ。犯罪を犯している人を見て、通報もしないで見ている人は、いないよね。差別を見て見ないふりをしている人は、犯罪を見て通報しない人と同じなのよ。
・そうか!差別は、そうした多くの見て見ぬふりをしている人や無関心の人が、しっかりした態度で臨むことが大切なんだね。
・人はそれぞれ違うのがあたり前よね。お互いの個性や違いを認め合い、助け合っていく社会が、人権尊重された社会ってことになるかしら。そのためには、日常生活の中で、人権への配慮が態度や行動として表れるように、「人権感覚」を磨く努力をしていくことが必要だわね。
#楽隠居です
『誰もが生まれながらにして持っている、人間の尊厳に基づく固有の権利で、自分も、自分以外の人も、すべての人が「人間らしく、自分らしく生きる」ために必要なもの。』が、人権の定義らしいです。
昔々、狼少女?のお話を読んだことがあるのですが、狼に育てられていたので、人間社会に馴染むのが大変だったということでした。オタマジャクシは生まれながらにカエルの子ですが、人間は人間らしい環境で育てる必要があるのかもしれません。オタマジャクシも環境によっては、うまく育ちませんが・・・ まあ、人間らしい環境にして貰う権利があるということなのでしょう。
ただ、『残念なことに日本の法律の中には定義がないんだ。』ということですが、定義をしないでも存在する権利って、なんか怪しい気がするのは私だけでしょうか。定義されていても権利の喪失はあり得るのに・・・
さらに、人権派弁護士なんていわれると、眉につばを付けたくなります。
「アメリカでは常識のニッポン人取扱説明書—腹が立つけど、これが現実」ロバート・ツチガネ著から引用します。
『アメリカ人の目で見ると、日本では、犯人の人権ばかりが重んじられ、被害者、そして遺族が泣き寝入りするケースが、あまりにも多すぎて、これが近代法治国家かと疑わせるほどだ。
日本では、「人権屋」とでも呼ぶべきオピニオンリーダーが存在するからだろう。彼らは、体制に失点を与えるのが、唯一の目的だから、ことの正否は問わないのだ。
ある暴行殺人犯を、彼ら人権屋がマスコミを動員して、誤審の被害者に仕立て上げ、無罪にしてしまったことがある。この男は、誤審の被害者として、彼らの斡旋で、あちこちで講演してまわったほどだ。ところが、その男、数年を経ずして、また同様の暴行殺人を犯してしまった。これだけのエネルギーを、せめて被害者の救済に充てようというのが、常識というものだろうが、日本では通じない理屈らしい。犯罪者のほうも多国籍化しているから、日本では罪が軽いことを知ったうえで、犯行を繰り返すことになる』引用終わり
「自由と平等」と同じで、「加害者と被害者」どちらの人権も同時に満たすということができなければ、人権なんて無いのと同じではありませんか? 「介護される人の人権」と「介護する人の人権」はどうなっていくのでしょうかねぇ〜 それに「人権屋」という仕事もあるようですね。ということは、人権が商売になるのかな?
「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利について平等である」らしいですから、早く「平和と人権と自由と平等」を叫ばないでもいい世の中になればいいのにねぇ〜 でも、そんな世の中になってしまうと人権屋さんは失業しますね!それでは、人権屋さんの人権が侵害される?
参照1:禅的教育プログラム
参照2:才能、教育、成功
参照3:教壇が消えた日
参照4:わかる
by centeringkokyu
| 2006-12-05 00:00
| 日常