2006年 11月 18日
禅的教育プログラム |
「禅的教育プログラム」研究会、発足準備会発題発題者:桐田 清秀先生から抜粋します。
平等と自由
自由と平等は、人間の生存上・教育上極めて大切なものである。戦中の日本の教育を少し思い起こすだけで、あるいは、現在の北朝鮮を思うだけで全体主義がいかに恐ろしいものか解る。
戦後日本の教育は、戦前・戦中の反省もこめて、自由と平等、個人の尊重で始まった。ただ、自由や平等、個人の尊厳も条件が付いていることを言ってこなかった。自由でいえば、無条件の自由などあり得ない、不自由を内にもつ自由であること、何々からの自由ではなく何々への自由しかないことをいわない。平等は機会の平等を目指すことであり、結果の平等など当然のことながらあり得ないことを教えてこなかった。
個人の尊厳は自明なものとして「ある」のではなく、尊厳に値するよう「つくっていくもの」、個人が獲得していくもの、という視点がない。結果、皆が自分に都合のよい方にのみ解釈し、疑わない。自由は「私の勝手」主義になり、個人の能力や努力を抜きにした平等が叫ばれる。
これは、戦後民主主義が欲望の解放・拡大のみをいい、欲望の抑制を言ってこなかったこととも関連していよう。
欧米的自然観と科学観
日本文化の基底・根本となってきたのは日本人固有の自然観である。日本人は、理よりも情の方に偏った人種ではないかと思うが、日本文化は日本人の自然観と密接に結びついている。極めて単純化していえば、人間も自然の一部だという人間観・自然観である。
対して、欧米的自然観は、人間中心主義に基づいて、人間も自然の一部だと考えるよりも、自然は人間と対立するもの、人間のためにあるもの、征服しなければならないもの、と考える。人間は死んで焼かれて灰になろうと煙になろうと必ず土か海に戻り、山川草木や生物になるわけで、自然の大きな循環の一部であることを見ようとしないし、教えないようになってしまっている。
最近、エコロジーがいわれるようになり、環境保全や生命連関、そして省エネ(もったいない)がいわれるようになってきた。良いことだと思う。しかし、もったいない、省エネは、経済のグローバルスタンダードになっている大量消費と矛盾する訳で、省エネの徹底はマクロ経済において経済規模自体の縮小をもたらすから、つまりは、経済生長はどんどんマイナスになっていく訳である。そして、もったいない、省エネは、「便利さ」「安楽さ」を制限し、我慢を強いる。欲望を抑制すること、「知足」を教える。さらに、「有り難さ」を伝える方向性をもつ。エコ教育は、今後非常に大切な分野になる。
また、欧米的科学観というのは、科学主義ともいうべきものを指している。つまり、一切のもの・ことは測定することができ数量化することができる、一切のもの・ことは科学で解明できる、という考え方である。このような科学観が日本でも定着し、一般化した。
一切の問題を科学によって解決できると考える(科学教)の信者が大半を占めるようになった。しかし、科学が、意味や価値の問題、「何のために?」に答えることができないのは言うまでもない。例えば、「私は何故ここにいるのか?」
現代日本の教育の問題点
肉体的・精神的にひ弱で、狭い自己に閉じこもる青少年を大量に作り出してきたのではないか。大袈裟に言うと、現代文明・文化の中で、創造的進化ではなく、退化の過程を辿っているのではないか(コンラード・ローレンツ『人間性の解体』)と思う。(中略)
現代の青少年は身体を鍛えるという視点をもっていないのではないか。他方で部活等スポーツをやっているものも多いが、彼らも必ずしも身体の全面的・調和的発達がなされているわけではない。多くが一部の運動能力を伸ばそうとしているだけだ。健康という言葉にはいろいろな要素が入っているが、身体自体の基礎的な体力・運動能力が基本であることはいうまでもない。
最近歩き方の教育を始めるということが新聞に載った。私は基礎的・基本的な体力・運動能力の育成と共に、武道等でいう体配を教える必要があると思う。坐る・立つ・歩く・坐るという動作と姿勢の取り方である。これは呼吸の仕方や礼法も関係するが、とりわけ、姿勢は非常に重要だと思う。姿勢は健康に関係するだけではなく、その人の気分その他の精神的あり方に関係してくる。学校で背筋を伸ばすことを教えなければならない。
徳育は教育史の上で常に中心柱とされてきたのだが、現在ほどこの徳育が力を喪っている時代は近代教育 130年の中でもないのではないかと思う。教師がというより大人全体が、確固とした道徳的意識、守るべき規範をほとんどもっていないのだから、当然といえば当然である。
児童生徒の「基本的生活習慣」と「基本的生活技術」の欠落が言われ初めて既に二十年以上経つ。「基本的生活習慣」とはしつけのことである。しつけの不十分さは、親の無責任というより、家庭労働(家事)の省力化、つまり、家庭内で身体を使うことが無くなってしまったためである。「真似る」「まねぶ」「学ぶ」機会の減少が原因である。
ここでも、子どもが身体を動かすということがどんどん少なくなっていることを指摘することができる。身体を使った手伝いがほとんど姿を消し、身体を使って屋外で遊ぶことも減少し、部屋の中で仲間と一緒にではなく、一人で指先だけを使って遊ぶわけで、全身を使って何かをするという機会が極めて少ない。
現代の教育は、要するに、知育・徳育・体育すべて、あまりうまくいっているとはいえない。とりわけ、体育と徳育は危機状況にある。
今一つ、教育基本法第一条の「教育の目的」は、「人格の完成」とされている。この「人格の完成をめざ」す教育は、戦前教育の反省・反動から、意図的に世俗的・市民社会的なものに限り、価値的・宗教的なものを各個人に委ねるという考えを基礎にしている。そのことが、学校教育から宗教教育を閉め出し、しっかりした価値の位階を教えない、という風潮を一般化させた。価値の多元化・相対化という世界的潮流の中で、ニヒリズムを蔓延化させ、日本人全体がニヒズムをニヒリズムと意識・認識しない現状を生んだといえる。
(注:ニヒリズム・・・虚無主義。1 すべての事象の根底に虚無を見いだし、何物も真に存在せず、また認識もできないとする立場。2 既存の価値体系や権威をすべて否定する思想や態度。ツルゲーネフ・ニーチェ・カミュなどに代表される。)
#楽隠居です
自由・平等について述べられていますので、平和と愛国心を辞書で調べてみました。
平和
1.戦争もなく世の中が穏やかである・こと(さま)。
2.争いや心配事もなく穏やかである・こと(さま)。
愛国心とは、自分の国を愛し、国の名誉・存続などのために行動しようとする心。祖国愛。patriotic愛国者 a patriot 狂信的愛国者
パトリオット(patriot)
[名] 1 愛国者, 憂国の士, 志士. 2 ((P-))パトリオット:米陸軍の地対空迎撃ミサイル. [ギリシャ語pater(父)+-iot=父祖の地の人]
ナショナリスト(nationalist)
ナショナリズムの信奉者。民族主義者。国家主義者。国粋主義者。
昆虫や動植物などの自然界に、平和はあるのでしょうか?
戦争で売り上げが上がり、景気が良くなるということもあります。
それって平和な国の特権?
日本では犯罪者。でも、その犯罪者、祖国では英雄なんてこともあります。
共通の歴史認識ってあるのでしょうか?
(狂信的)愛国者は、英雄?それとも犯罪者になるの?
ひょっとして日ちゃんはいじめられっ子?
どうすれば、米ちゃん・中ちゃん・韓ちゃんにいじめられないようになれるの??
それとも、日ちゃんの思い過ごし?
参照1:「拒否できない日本」読書感想文前編
参照2:「拒否できない日本」読書感想文後編
参照3:ジャパン・ハンドラーズ
参照4:外因と内因
参照5:反日運動
参照6:本当のこと?
参照7:赤旗軍団は不気味
平等と自由
自由と平等は、人間の生存上・教育上極めて大切なものである。戦中の日本の教育を少し思い起こすだけで、あるいは、現在の北朝鮮を思うだけで全体主義がいかに恐ろしいものか解る。
戦後日本の教育は、戦前・戦中の反省もこめて、自由と平等、個人の尊重で始まった。ただ、自由や平等、個人の尊厳も条件が付いていることを言ってこなかった。自由でいえば、無条件の自由などあり得ない、不自由を内にもつ自由であること、何々からの自由ではなく何々への自由しかないことをいわない。平等は機会の平等を目指すことであり、結果の平等など当然のことながらあり得ないことを教えてこなかった。
個人の尊厳は自明なものとして「ある」のではなく、尊厳に値するよう「つくっていくもの」、個人が獲得していくもの、という視点がない。結果、皆が自分に都合のよい方にのみ解釈し、疑わない。自由は「私の勝手」主義になり、個人の能力や努力を抜きにした平等が叫ばれる。
これは、戦後民主主義が欲望の解放・拡大のみをいい、欲望の抑制を言ってこなかったこととも関連していよう。
欧米的自然観と科学観
日本文化の基底・根本となってきたのは日本人固有の自然観である。日本人は、理よりも情の方に偏った人種ではないかと思うが、日本文化は日本人の自然観と密接に結びついている。極めて単純化していえば、人間も自然の一部だという人間観・自然観である。
対して、欧米的自然観は、人間中心主義に基づいて、人間も自然の一部だと考えるよりも、自然は人間と対立するもの、人間のためにあるもの、征服しなければならないもの、と考える。人間は死んで焼かれて灰になろうと煙になろうと必ず土か海に戻り、山川草木や生物になるわけで、自然の大きな循環の一部であることを見ようとしないし、教えないようになってしまっている。
最近、エコロジーがいわれるようになり、環境保全や生命連関、そして省エネ(もったいない)がいわれるようになってきた。良いことだと思う。しかし、もったいない、省エネは、経済のグローバルスタンダードになっている大量消費と矛盾する訳で、省エネの徹底はマクロ経済において経済規模自体の縮小をもたらすから、つまりは、経済生長はどんどんマイナスになっていく訳である。そして、もったいない、省エネは、「便利さ」「安楽さ」を制限し、我慢を強いる。欲望を抑制すること、「知足」を教える。さらに、「有り難さ」を伝える方向性をもつ。エコ教育は、今後非常に大切な分野になる。
また、欧米的科学観というのは、科学主義ともいうべきものを指している。つまり、一切のもの・ことは測定することができ数量化することができる、一切のもの・ことは科学で解明できる、という考え方である。このような科学観が日本でも定着し、一般化した。
一切の問題を科学によって解決できると考える(科学教)の信者が大半を占めるようになった。しかし、科学が、意味や価値の問題、「何のために?」に答えることができないのは言うまでもない。例えば、「私は何故ここにいるのか?」
現代日本の教育の問題点
肉体的・精神的にひ弱で、狭い自己に閉じこもる青少年を大量に作り出してきたのではないか。大袈裟に言うと、現代文明・文化の中で、創造的進化ではなく、退化の過程を辿っているのではないか(コンラード・ローレンツ『人間性の解体』)と思う。(中略)
現代の青少年は身体を鍛えるという視点をもっていないのではないか。他方で部活等スポーツをやっているものも多いが、彼らも必ずしも身体の全面的・調和的発達がなされているわけではない。多くが一部の運動能力を伸ばそうとしているだけだ。健康という言葉にはいろいろな要素が入っているが、身体自体の基礎的な体力・運動能力が基本であることはいうまでもない。
最近歩き方の教育を始めるということが新聞に載った。私は基礎的・基本的な体力・運動能力の育成と共に、武道等でいう体配を教える必要があると思う。坐る・立つ・歩く・坐るという動作と姿勢の取り方である。これは呼吸の仕方や礼法も関係するが、とりわけ、姿勢は非常に重要だと思う。姿勢は健康に関係するだけではなく、その人の気分その他の精神的あり方に関係してくる。学校で背筋を伸ばすことを教えなければならない。
徳育は教育史の上で常に中心柱とされてきたのだが、現在ほどこの徳育が力を喪っている時代は近代教育 130年の中でもないのではないかと思う。教師がというより大人全体が、確固とした道徳的意識、守るべき規範をほとんどもっていないのだから、当然といえば当然である。
児童生徒の「基本的生活習慣」と「基本的生活技術」の欠落が言われ初めて既に二十年以上経つ。「基本的生活習慣」とはしつけのことである。しつけの不十分さは、親の無責任というより、家庭労働(家事)の省力化、つまり、家庭内で身体を使うことが無くなってしまったためである。「真似る」「まねぶ」「学ぶ」機会の減少が原因である。
ここでも、子どもが身体を動かすということがどんどん少なくなっていることを指摘することができる。身体を使った手伝いがほとんど姿を消し、身体を使って屋外で遊ぶことも減少し、部屋の中で仲間と一緒にではなく、一人で指先だけを使って遊ぶわけで、全身を使って何かをするという機会が極めて少ない。
現代の教育は、要するに、知育・徳育・体育すべて、あまりうまくいっているとはいえない。とりわけ、体育と徳育は危機状況にある。
今一つ、教育基本法第一条の「教育の目的」は、「人格の完成」とされている。この「人格の完成をめざ」す教育は、戦前教育の反省・反動から、意図的に世俗的・市民社会的なものに限り、価値的・宗教的なものを各個人に委ねるという考えを基礎にしている。そのことが、学校教育から宗教教育を閉め出し、しっかりした価値の位階を教えない、という風潮を一般化させた。価値の多元化・相対化という世界的潮流の中で、ニヒリズムを蔓延化させ、日本人全体がニヒズムをニヒリズムと意識・認識しない現状を生んだといえる。
(注:ニヒリズム・・・虚無主義。1 すべての事象の根底に虚無を見いだし、何物も真に存在せず、また認識もできないとする立場。2 既存の価値体系や権威をすべて否定する思想や態度。ツルゲーネフ・ニーチェ・カミュなどに代表される。)
#楽隠居です
自由・平等について述べられていますので、平和と愛国心を辞書で調べてみました。
平和
1.戦争もなく世の中が穏やかである・こと(さま)。
2.争いや心配事もなく穏やかである・こと(さま)。
愛国心とは、自分の国を愛し、国の名誉・存続などのために行動しようとする心。祖国愛。patriotic愛国者 a patriot 狂信的愛国者
パトリオット(patriot)
[名] 1 愛国者, 憂国の士, 志士. 2 ((P-))パトリオット:米陸軍の地対空迎撃ミサイル. [ギリシャ語pater(父)+-iot=父祖の地の人]
ナショナリスト(nationalist)
ナショナリズムの信奉者。民族主義者。国家主義者。国粋主義者。
昆虫や動植物などの自然界に、平和はあるのでしょうか?
戦争で売り上げが上がり、景気が良くなるということもあります。
それって平和な国の特権?
日本では犯罪者。でも、その犯罪者、祖国では英雄なんてこともあります。
共通の歴史認識ってあるのでしょうか?
(狂信的)愛国者は、英雄?それとも犯罪者になるの?
ひょっとして日ちゃんはいじめられっ子?
どうすれば、米ちゃん・中ちゃん・韓ちゃんにいじめられないようになれるの??
それとも、日ちゃんの思い過ごし?
参照1:「拒否できない日本」読書感想文前編
参照2:「拒否できない日本」読書感想文後編
参照3:ジャパン・ハンドラーズ
参照4:外因と内因
参照5:反日運動
参照6:本当のこと?
参照7:赤旗軍団は不気味
by centeringkokyu
| 2006-11-18 00:03
| 日常