2006年 11月 17日
教壇が消えた日 |
最近、子供や学校の先生の自殺が問題になっています。先日読んだイスラエル大使が書いた日本人とユダヤ人に関する本には、ユダヤ教では自殺は許されないが、殉教はあるということが書いてありました。自殺すると家族と同じお墓には入れないという教えがあるようです。
いじめとか自殺と直接関係あるかどうか分からないのですが、以前深夜番組で見た「教室から教壇が消えた日」のことをふと思い出しましたので、ネットで検索してみました。「平等」とか「バリアフリー」などの問題があるのでしょうが、教壇に上って発表させられた時の緊張感を思い出してしまいました。
引用開始
放映日:1997年11月25日 25:40−26:35 放送局:フジテレビ
制作:フジテレビ、グッドカンパニー スタッフ:企画 鈴木専哉、藤原和弥
演出 森 達也、中嶋 昇 プロデューサー 生野耕一
教室から、教壇(教卓じゃないよ、先生が黒板の前に立つ時に登るヤツ)が消えているらしい。これには、私自身も驚いた。それも先生達も気がつかないうちに...。ホントにそうなんだろうか?と言うことで、あちらこちらに取材した結果、確かにいつの間にか消えてしまったようである。
学校用備品製造メーカーのカタログからは消えているし、そこそこの年齢の営業マンが1台も売った記憶がないと言う。都内は、おろか地方の木造校舎の学校にさえ、もう存在していないのだ。
私のイメージでは、教室には、教卓、教壇、オルガン、蓋付きテレビがあるのであるが、今の教室は、そう言う風景でなくなっている。
教育方針が、生徒と対等な姿勢でと言うのが消えていった理由のようだ。
その背後には、「教壇は権威の象徴で好ましくない」という理由も見え隠れしている。
教壇がなかった世代の「金八先生」のような学園ドラマには、もう教壇は、登場しないのだろうか?たかが教壇であるが、何とも言えない感情がこみ上げてきました。
とにかく、テーマとその取材結果のインパクトが非常に大きく、驚きと共に久々に真剣に番組を見てしまいました。
この記事を読んだ皆さんの生徒時代に教壇は、ありましたか?
ちょっと思い出してみて下さい...。
「教壇が消えた日」がおもしろかった! 教壇(学校の黒板の下、ちょっと高くなっているところね)なんて、先生は毎日登っているはずなのにいつなくなったのか思い出せない。そして、文部科学省もなくせとは言ってない…。だけど教壇は確実に学校から消えていく。そこんところがいいですねぇ。気づかないのになくなっている。もしくは気づいていても気にしないうちになくなっていくなんて、ふつーに考えると、とってもおかしなことです。
そんでもって、教師の人たちが「教壇と権威」がなくなった(むしろなくした)のは教師自身であって、自分で自分の首を絞めているのではないか? ってしゃべっている部分なんて、秀逸でしたね。考えされられましたよ。
でも、作品の中では今から30年ぐらい前から教壇はなくなっていったって言ってたけど、自分のときはあったと思うんだけどなぁ。なかったかなぁ…。よく思い出せないや。
少なくとも中学からはあったのは確実です。それは覚えています。
見終わって、小学校に行ってみたくなりました。今はどうなっているのか知りたくてね。
「教壇」に立つ
教師として,教室で教えることを 「教壇に立つ」とか「教鞭を執る」とかいう。
「教壇」や「教鞭」は,教職の象徴であったのである。
しかるに今や,「教鞭」の実物を見た人もまれになり,「教壇」に実際に立つことも少なくなりつつある。今日は,失われつつある「教壇」について考えてみたい。
地域差もあるようだが,徐々に「教壇」が教室からなくなっていることは事実のようだ。
その理由はさまざまだろうが,教師と児童生徒が同じフロアに立つことが望ましいとする一種の児童中心主義も大きな理由のひとつであるようだ。
しかしながら,この理由は多分に情緒的なものではないか。教壇があることがすなわち,教師と児童生徒の間を隔絶させることにはならないはずである。
逆に,教壇があることのメリットは容易に看過できるものではない。
教壇に立つことで,教師からは,児童生徒の様子が見やすくなり,児童生徒の側からも,教師が見やすくなるのである。
また,子供たちが黒板に文字を書こうとするときにも,小さい子供たちにとっては特に,教壇があったほうが黒板に書きやすいのである。
また,劇やロールプレイングなどを実施する場合には,教壇は,ステージとして機能するので好都合である。
教師が,教壇に立って話すときと,教壇を降りて机間指導するときのめりはりがつくことも,また捨てがたいメリットであろう。
実際,教壇がある教室のほうが授業がしやすいように感じるのだが,いかがだろうか。
教壇?見たことありませんねえ。大学とか予備校とか高校にはあったと思いますが、勤務初めてからは特別教室以外は見たことありませんねえ。
低学年だと黒板に届かないので、その都度椅子を持ってきて書いてますけれど、教壇があればそんな苦労は少なくなりますね。
教員と子どもが平等だからという理由で無くなっているとしたら『平等って意味分かってる?』って聞いてみたくなります。教室で教える側、教えていただく側である限り教師と子どもが平等だなんてあり得ません。
そんなことをやっているから子どもは敬語を覚える機会を失うんですよ。ちゃんと話す機会を失うんですよ。教室では教師と子どもは平等ではありませんものね。
全く同感です。教壇がなくなっているのは,危険だからとか,オープンスペースとして教室を使う際に邪魔だからとかいった理由もあるようですが,教師と生徒は平等という理由が第一のようです。いずれにしても教壇があることとないことのメリット・デメリットを勘案すれば,教壇がどんどんなくなっていく現状は,ちょっと解せないものがあります。 引用終わり
#楽隠居です
同居人の妹と同居人の娘は幼稚園の先生をしています。子供の親が学校や幼稚園に要求する内容のことなども、このところ話題になっているようですが、その実態はそうとう大変なようです。子供の事を考えているのか、子供にとんでもない教育をしているのか、ちょっと理解にくるしみますヨ! 先生が生徒の親にいじめられているような気もします。
経済発展や少子化の影響は大きいでしょうが、教壇が無くなってからの教育を受けた人たちが親になっているということの影響は、さて、どうなんでしょうか・・・
なんと言っても、自己中大増殖中要注意!!!です。
いじめとか自殺と直接関係あるかどうか分からないのですが、以前深夜番組で見た「教室から教壇が消えた日」のことをふと思い出しましたので、ネットで検索してみました。「平等」とか「バリアフリー」などの問題があるのでしょうが、教壇に上って発表させられた時の緊張感を思い出してしまいました。
引用開始
放映日:1997年11月25日 25:40−26:35 放送局:フジテレビ
制作:フジテレビ、グッドカンパニー スタッフ:企画 鈴木専哉、藤原和弥
演出 森 達也、中嶋 昇 プロデューサー 生野耕一
教室から、教壇(教卓じゃないよ、先生が黒板の前に立つ時に登るヤツ)が消えているらしい。これには、私自身も驚いた。それも先生達も気がつかないうちに...。ホントにそうなんだろうか?と言うことで、あちらこちらに取材した結果、確かにいつの間にか消えてしまったようである。
学校用備品製造メーカーのカタログからは消えているし、そこそこの年齢の営業マンが1台も売った記憶がないと言う。都内は、おろか地方の木造校舎の学校にさえ、もう存在していないのだ。
私のイメージでは、教室には、教卓、教壇、オルガン、蓋付きテレビがあるのであるが、今の教室は、そう言う風景でなくなっている。
教育方針が、生徒と対等な姿勢でと言うのが消えていった理由のようだ。
その背後には、「教壇は権威の象徴で好ましくない」という理由も見え隠れしている。
教壇がなかった世代の「金八先生」のような学園ドラマには、もう教壇は、登場しないのだろうか?たかが教壇であるが、何とも言えない感情がこみ上げてきました。
とにかく、テーマとその取材結果のインパクトが非常に大きく、驚きと共に久々に真剣に番組を見てしまいました。
この記事を読んだ皆さんの生徒時代に教壇は、ありましたか?
ちょっと思い出してみて下さい...。
「教壇が消えた日」がおもしろかった! 教壇(学校の黒板の下、ちょっと高くなっているところね)なんて、先生は毎日登っているはずなのにいつなくなったのか思い出せない。そして、文部科学省もなくせとは言ってない…。だけど教壇は確実に学校から消えていく。そこんところがいいですねぇ。気づかないのになくなっている。もしくは気づいていても気にしないうちになくなっていくなんて、ふつーに考えると、とってもおかしなことです。
そんでもって、教師の人たちが「教壇と権威」がなくなった(むしろなくした)のは教師自身であって、自分で自分の首を絞めているのではないか? ってしゃべっている部分なんて、秀逸でしたね。考えされられましたよ。
でも、作品の中では今から30年ぐらい前から教壇はなくなっていったって言ってたけど、自分のときはあったと思うんだけどなぁ。なかったかなぁ…。よく思い出せないや。
少なくとも中学からはあったのは確実です。それは覚えています。
見終わって、小学校に行ってみたくなりました。今はどうなっているのか知りたくてね。
「教壇」に立つ
教師として,教室で教えることを 「教壇に立つ」とか「教鞭を執る」とかいう。
「教壇」や「教鞭」は,教職の象徴であったのである。
しかるに今や,「教鞭」の実物を見た人もまれになり,「教壇」に実際に立つことも少なくなりつつある。今日は,失われつつある「教壇」について考えてみたい。
地域差もあるようだが,徐々に「教壇」が教室からなくなっていることは事実のようだ。
その理由はさまざまだろうが,教師と児童生徒が同じフロアに立つことが望ましいとする一種の児童中心主義も大きな理由のひとつであるようだ。
しかしながら,この理由は多分に情緒的なものではないか。教壇があることがすなわち,教師と児童生徒の間を隔絶させることにはならないはずである。
逆に,教壇があることのメリットは容易に看過できるものではない。
教壇に立つことで,教師からは,児童生徒の様子が見やすくなり,児童生徒の側からも,教師が見やすくなるのである。
また,子供たちが黒板に文字を書こうとするときにも,小さい子供たちにとっては特に,教壇があったほうが黒板に書きやすいのである。
また,劇やロールプレイングなどを実施する場合には,教壇は,ステージとして機能するので好都合である。
教師が,教壇に立って話すときと,教壇を降りて机間指導するときのめりはりがつくことも,また捨てがたいメリットであろう。
実際,教壇がある教室のほうが授業がしやすいように感じるのだが,いかがだろうか。
教壇?見たことありませんねえ。大学とか予備校とか高校にはあったと思いますが、勤務初めてからは特別教室以外は見たことありませんねえ。
低学年だと黒板に届かないので、その都度椅子を持ってきて書いてますけれど、教壇があればそんな苦労は少なくなりますね。
教員と子どもが平等だからという理由で無くなっているとしたら『平等って意味分かってる?』って聞いてみたくなります。教室で教える側、教えていただく側である限り教師と子どもが平等だなんてあり得ません。
そんなことをやっているから子どもは敬語を覚える機会を失うんですよ。ちゃんと話す機会を失うんですよ。教室では教師と子どもは平等ではありませんものね。
全く同感です。教壇がなくなっているのは,危険だからとか,オープンスペースとして教室を使う際に邪魔だからとかいった理由もあるようですが,教師と生徒は平等という理由が第一のようです。いずれにしても教壇があることとないことのメリット・デメリットを勘案すれば,教壇がどんどんなくなっていく現状は,ちょっと解せないものがあります。 引用終わり
#楽隠居です
同居人の妹と同居人の娘は幼稚園の先生をしています。子供の親が学校や幼稚園に要求する内容のことなども、このところ話題になっているようですが、その実態はそうとう大変なようです。子供の事を考えているのか、子供にとんでもない教育をしているのか、ちょっと理解にくるしみますヨ! 先生が生徒の親にいじめられているような気もします。
経済発展や少子化の影響は大きいでしょうが、教壇が無くなってからの教育を受けた人たちが親になっているということの影響は、さて、どうなんでしょうか・・・
なんと言っても、自己中大増殖中要注意!!!です。
by centeringkokyu
| 2006-11-17 00:01
| 日常