2006年 11月 15日
付ける拍子 |
秘伝古流武術誌に掲載された記事から抜粋します。
新陰流兵法転会渡辺忠成師範と新陰流剣術本伝極意“付ける拍子”
剣術の技法というと、一般的に相手の攻撃を受けるか、はずすかしながら、隙を見て打ち込むといった単純な攻防が思い浮かぶのではないかと思う。
しかし馬庭念流の「米糊(そくい)付け」のように、一旦剣を重ねたら剣と剣とがまるで糊で付けたかのように張り付いて相手を制してしまう技法なども見られる。
この微妙な角度と体勢作りには、触れ合気と同等の体捌きがあるのではないだろうか。また、総じて巻き込み系統の技などには、「一瞬の接点のみで相手を崩す」という触れ合気そのものに共通する理合があるように思える。
合気の技術が、剣の技術に由来するとはよく言われることだ。実際、本誌においてもそうした観点からの考察記事が散見される。
そもそも伝統武術の徒手技法というものは、武器の操法の応用によって成立したという見解もある。ここでは日本剣術の三大流儀に数えられる新陰流を見てみたい。
そこで、同流における体術技法と密接な関わりを持つ技術について、同流兵法転会の渡辺忠成師範に伺ってみた。
新陰流本伝の「付ける拍子」
上泉伊勢守から柳生石舟斎宗厳へと伝えられた新陰流兵法の道統は、代々柳生家に伝わり、他流とも様々に影響しあいながら今日まで連綿と伝えられてきた。新陰流は石舟斎の頃から良移心当流柔術との交流があったと言われ、その孫である十兵衛三厳が著した『月之抄』にもその記述があることはよく知られている(この辺りのことは、本誌鮨年2月号の渡辺師範による特別寄稿「新陰流と合気との意外な関係」に詳しいのでそちらを参照してもらいたい)。そんなところから徒手技術とも縁深い流儀であるが、中でも「本伝」と呼ばれる技術体系は、古伝の甲冑着用の上に成り立つ技術であると渡辺師範は語る。それは本来、甲冑組討に通じる間合いの深い攻防を制する技法であったようだ。
「新陰流本伝の最も特徴的な部分となるのが『付ける拍子』です。これに対して、一般的な打ち合うような技法を『当たる拍子』と呼びますが、これはあくまで鍛練の型であると考えます。付ける拍子は、まさに相手に触れる程度でもって相手を抑えてしまう技術ですから、通常言われる無刀取りのような、相手を掴まなければならない技術は当たる拍子であり、その鍛練によって養われたものをベースとして奥の太刀取りでは掴むも掴まぬも自在の技術となるわけです」
これら本伝の技術は、前述した柔術流儀との交流によって生まれたのか、あるいは甲冑武術としての応用の範囲のなかで独自に開発されたものなのかは確定されないようだ。ただ、江戸柳生と呼ばれた系統ではこの本伝しか伝えられていなかったという。また、尾張柳生の系統では制剛流や武練流も修めた長岡房成によって一部、柔術技法が取り入れられているようだ。
「その要所の技術は口伝として残っています。ひとつには、制剛流の居合は左足を前にして抜きますが、これも柔の技法なのです。相手の抜き付けに対してより深く入っていけるので相手の抜く手を捌き落としつつ抜く技となります。新陰流において居合は本来、柔へ移行する上での基本動作のようなものを示しているのです。
#楽隠居です
詳しくは、配付資料115をご一読ください。
合気とりあえず理論から抜粋します。
・『当てる合気』『付ける合気』『抜く合気』の3つの合気に分類することができる。
・極論すれば、3つの合気は外見上の速さが異なるだけで、動作・リズム・イメージは同一である。(『付ける合気』の稽古さえ正確にすれば、後の2つは自然に出来るようになる。)
この三つの合気に分けたのは、新陰流の三拍子之事と同じではないかと考えたからです。最近では、「入れる・付ける・抜く」合気という表現になっていますが、身体の調整にも同じ表現ができるということなので、このようになっています。
また、合気とは何かの中の一刀流の説明では、「留」「交わす」「和而不同」が、「当たる」「越す(抜く)」「付ける」に相当するのではないかと考えています。
参照1:立体視〜空間認識〜うすらぼんやり
参照2:嶺谷之事
参照3:十文字之事
参照4:交差する線
参照5:武蔵の畑仕事の意味
こちらもどうぞ!
新陰流兵法転会渡辺忠成師範と新陰流剣術本伝極意“付ける拍子”
剣術の技法というと、一般的に相手の攻撃を受けるか、はずすかしながら、隙を見て打ち込むといった単純な攻防が思い浮かぶのではないかと思う。
しかし馬庭念流の「米糊(そくい)付け」のように、一旦剣を重ねたら剣と剣とがまるで糊で付けたかのように張り付いて相手を制してしまう技法なども見られる。
この微妙な角度と体勢作りには、触れ合気と同等の体捌きがあるのではないだろうか。また、総じて巻き込み系統の技などには、「一瞬の接点のみで相手を崩す」という触れ合気そのものに共通する理合があるように思える。
合気の技術が、剣の技術に由来するとはよく言われることだ。実際、本誌においてもそうした観点からの考察記事が散見される。
そもそも伝統武術の徒手技法というものは、武器の操法の応用によって成立したという見解もある。ここでは日本剣術の三大流儀に数えられる新陰流を見てみたい。
そこで、同流における体術技法と密接な関わりを持つ技術について、同流兵法転会の渡辺忠成師範に伺ってみた。
新陰流本伝の「付ける拍子」
上泉伊勢守から柳生石舟斎宗厳へと伝えられた新陰流兵法の道統は、代々柳生家に伝わり、他流とも様々に影響しあいながら今日まで連綿と伝えられてきた。新陰流は石舟斎の頃から良移心当流柔術との交流があったと言われ、その孫である十兵衛三厳が著した『月之抄』にもその記述があることはよく知られている(この辺りのことは、本誌鮨年2月号の渡辺師範による特別寄稿「新陰流と合気との意外な関係」に詳しいのでそちらを参照してもらいたい)。そんなところから徒手技術とも縁深い流儀であるが、中でも「本伝」と呼ばれる技術体系は、古伝の甲冑着用の上に成り立つ技術であると渡辺師範は語る。それは本来、甲冑組討に通じる間合いの深い攻防を制する技法であったようだ。
「新陰流本伝の最も特徴的な部分となるのが『付ける拍子』です。これに対して、一般的な打ち合うような技法を『当たる拍子』と呼びますが、これはあくまで鍛練の型であると考えます。付ける拍子は、まさに相手に触れる程度でもって相手を抑えてしまう技術ですから、通常言われる無刀取りのような、相手を掴まなければならない技術は当たる拍子であり、その鍛練によって養われたものをベースとして奥の太刀取りでは掴むも掴まぬも自在の技術となるわけです」
これら本伝の技術は、前述した柔術流儀との交流によって生まれたのか、あるいは甲冑武術としての応用の範囲のなかで独自に開発されたものなのかは確定されないようだ。ただ、江戸柳生と呼ばれた系統ではこの本伝しか伝えられていなかったという。また、尾張柳生の系統では制剛流や武練流も修めた長岡房成によって一部、柔術技法が取り入れられているようだ。
「その要所の技術は口伝として残っています。ひとつには、制剛流の居合は左足を前にして抜きますが、これも柔の技法なのです。相手の抜き付けに対してより深く入っていけるので相手の抜く手を捌き落としつつ抜く技となります。新陰流において居合は本来、柔へ移行する上での基本動作のようなものを示しているのです。
#楽隠居です
詳しくは、配付資料115をご一読ください。
合気とりあえず理論から抜粋します。
・『当てる合気』『付ける合気』『抜く合気』の3つの合気に分類することができる。
・極論すれば、3つの合気は外見上の速さが異なるだけで、動作・リズム・イメージは同一である。(『付ける合気』の稽古さえ正確にすれば、後の2つは自然に出来るようになる。)
この三つの合気に分けたのは、新陰流の三拍子之事と同じではないかと考えたからです。最近では、「入れる・付ける・抜く」合気という表現になっていますが、身体の調整にも同じ表現ができるということなので、このようになっています。
また、合気とは何かの中の一刀流の説明では、「留」「交わす」「和而不同」が、「当たる」「越す(抜く)」「付ける」に相当するのではないかと考えています。
参照1:立体視〜空間認識〜うすらぼんやり
参照2:嶺谷之事
参照3:十文字之事
参照4:交差する線
参照5:武蔵の畑仕事の意味
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by centeringkokyu
| 2006-11-15 00:00
| 合気観照塾