2006年 11月 07日
「虚」をつかむ |
「柔道回顧録」 三船久蔵著 昭和28年6月発行 から抜粋してご紹介します。
当時、中学同志の対校試合はなかったから、私たちの学枚は、相手を二高にとって、十五名ずつの練習試合をやってもらった。私の在校中二回くらい実施したかと思う。こういう場合には、入来氏は二段だというので十五名の中に加わらなかった。あるときの話だが、「点取り」では負けるにきまって」いるから、私が主張して「抜き」で試合をした。二高には入来氏をのぞいても、初段が四、五名いたと記憶するが.二中には有段者は一人もいなかった。試合がはじまると、敵四名くらいでこちらは副将まで十四名をなめつくされた。しかし最後に大将の私が出て、ついに二高に勝をゆずって貰って.二中を勝利にみちびくことができた。
このように、たくさんの敵を抜いた体験は後にもしばしばあるが、これにたいして人はよく、どんな得意業を用いたのかとたずねる。私にももちろん得意業がないわけではない。しかし私は、一・二の得意な業に自分を固定させることを好まない。あのときも背負投げ、足払い、巴投げ、大外刈り、釣込腰、それに押えや絞めも用いたと記憶する。
敵の「虚」(=弱点)をつかんで神速果敢に飛びこまねば業はかからない。しかもその「虚」は、かならずしも自分の得意業に適合した形であらわれるとはかぎらない。自分の得意業に適合した「虚」ばかりをねらっていたのでは、敵に飛びこむ機会はきわめ限定されるほかない。身体の動きは千変万化しながら、多種多様の「虚」をあらわす。それに最も適した業を活用して勝を制するのが理想的である。これは私の信念で、昔からかわりがない。ある「虚」に適合した業がかかり、生涯に再びかかることがなくてもそれでよいのである。この信念を勝負に実現するには、かねてからよほど理論的—科学的な研究態度が必要である。
昔の先生のなかには、ややもすれば、「何でもよい、グングンやれ。」という方針の方もあったが、自分はこの方針に疑問をもち、理論的—科学的態度の大切なことを悟った。どんな業でも、それが効を奏したときは、分析してみるとかならず合理性が働いている。私はつねに体験を理論的—科学的に反省し、検討することを心がけた。「心茲(ここ)にアレドモ、機熟セザレバ成ラズ。」とは私の信条であるが、いまの場合でいえば、「機熟ス」というのは、私が敵の「虚」をつかむということだ。閃光一瞬、その「虚」にむかって業をかけ、敵の中心点を奪えば勝はこちらのものである。変化の早いことが勝利の秘訣である。
私は、柔道をはじめたころから、常師といふべき方をもたなかった。これは見様によれば不幸ともいえるが、ある意味では幸いであったといえるかも知れない。常師があれば私はある地点で畄(とま)ったかもわからぬ。常師がないために一歩々々、自分で考える癖がついた。後日談になるわけだが、東京に出てから、講道館で、ある日、嘉納先生を中心に業の研究が行われていた。先生は私の方をふりむいて、「これはどうだろう、三船。」といわれる。私は生意気にも、
「先生のおっしゃることは、ウソだと思って拝聴していますから。」と答えた。
「三船、何をいうか。」
「いや、先生のお言葉をウソだと思って聴き、これを研究してウソでないことを知ったら、それは自分の発見した真理として身につくと思います。」
「それじゃあ、ウソではないかと思って聴くがよいではないか。」
先生はさすがに教育者であった。私の生意気な言い分を抑えながら、なお、そのいわんとする気持を十分認められたのである。私はいたずらに「無師独悟」の説を主張しょうとするのではない。要はみずから疑問をもち、みずから研究し、真理を身につけることが大切なのだ。師をもつことが悪いのではない。良師をもつことは幸い中の幸だ。ただ先生の教えを鵜呑みにするのがいけないのである。
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当時、中学同志の対校試合はなかったから、私たちの学枚は、相手を二高にとって、十五名ずつの練習試合をやってもらった。私の在校中二回くらい実施したかと思う。こういう場合には、入来氏は二段だというので十五名の中に加わらなかった。あるときの話だが、「点取り」では負けるにきまって」いるから、私が主張して「抜き」で試合をした。二高には入来氏をのぞいても、初段が四、五名いたと記憶するが.二中には有段者は一人もいなかった。試合がはじまると、敵四名くらいでこちらは副将まで十四名をなめつくされた。しかし最後に大将の私が出て、ついに二高に勝をゆずって貰って.二中を勝利にみちびくことができた。
このように、たくさんの敵を抜いた体験は後にもしばしばあるが、これにたいして人はよく、どんな得意業を用いたのかとたずねる。私にももちろん得意業がないわけではない。しかし私は、一・二の得意な業に自分を固定させることを好まない。あのときも背負投げ、足払い、巴投げ、大外刈り、釣込腰、それに押えや絞めも用いたと記憶する。
敵の「虚」(=弱点)をつかんで神速果敢に飛びこまねば業はかからない。しかもその「虚」は、かならずしも自分の得意業に適合した形であらわれるとはかぎらない。自分の得意業に適合した「虚」ばかりをねらっていたのでは、敵に飛びこむ機会はきわめ限定されるほかない。身体の動きは千変万化しながら、多種多様の「虚」をあらわす。それに最も適した業を活用して勝を制するのが理想的である。これは私の信念で、昔からかわりがない。ある「虚」に適合した業がかかり、生涯に再びかかることがなくてもそれでよいのである。この信念を勝負に実現するには、かねてからよほど理論的—科学的な研究態度が必要である。
昔の先生のなかには、ややもすれば、「何でもよい、グングンやれ。」という方針の方もあったが、自分はこの方針に疑問をもち、理論的—科学的態度の大切なことを悟った。どんな業でも、それが効を奏したときは、分析してみるとかならず合理性が働いている。私はつねに体験を理論的—科学的に反省し、検討することを心がけた。「心茲(ここ)にアレドモ、機熟セザレバ成ラズ。」とは私の信条であるが、いまの場合でいえば、「機熟ス」というのは、私が敵の「虚」をつかむということだ。閃光一瞬、その「虚」にむかって業をかけ、敵の中心点を奪えば勝はこちらのものである。変化の早いことが勝利の秘訣である。
私は、柔道をはじめたころから、常師といふべき方をもたなかった。これは見様によれば不幸ともいえるが、ある意味では幸いであったといえるかも知れない。常師があれば私はある地点で畄(とま)ったかもわからぬ。常師がないために一歩々々、自分で考える癖がついた。後日談になるわけだが、東京に出てから、講道館で、ある日、嘉納先生を中心に業の研究が行われていた。先生は私の方をふりむいて、「これはどうだろう、三船。」といわれる。私は生意気にも、
「先生のおっしゃることは、ウソだと思って拝聴していますから。」と答えた。
「三船、何をいうか。」
「いや、先生のお言葉をウソだと思って聴き、これを研究してウソでないことを知ったら、それは自分の発見した真理として身につくと思います。」
「それじゃあ、ウソではないかと思って聴くがよいではないか。」
先生はさすがに教育者であった。私の生意気な言い分を抑えながら、なお、そのいわんとする気持を十分認められたのである。私はいたずらに「無師独悟」の説を主張しょうとするのではない。要はみずから疑問をもち、みずから研究し、真理を身につけることが大切なのだ。師をもつことが悪いのではない。良師をもつことは幸い中の幸だ。ただ先生の教えを鵜呑みにするのがいけないのである。
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by centeringkokyu
| 2006-11-07 00:10
| スポーツ関連