2005年 01月 30日
合気とは何か |
フルコンタクト・カラテの1996年1月号に、特集「秘技・合気の秘密」が掲載されました。その中で、様々な団体が持っている、「合気」に対する見解を紹介しています。そして、最後は次のような言葉で締めくくられていました。
『いかがだろうか?それぞれの団体が「合気」に対して、独自の見解と解釈を持っていることが分かる。「合気」という一つのものに対して、「合気は合理的に説明が可能である」とする団体がある一方で「定義・説明することは難しい」とする団体も存在する。この多種多様さこそが、「合気」の奥の深さであるとも言えるだろうが、同時に曖昧な感じを受けることも否めない。最後に、突然の電話による取材にも関わらず快く答えてくださった各団体の先生方に感謝いたします。』(引用終了)
武田惣角先生は、小野派一刀流を身に付けていた事だけは確かなはずですから、一刀流の事を調べてみましたら、次のような記述が見つかりましたので、抜粋します。
笹森 順造著「一刀流極意」より
合 気
一、合打 敵と打ち合ってどうしても合打となって中々勝負がつきにくいことがある。いつまでたっても合気となって勝負がつかない。遂には無勝負か共倒れになることがある。これは曲合が五分と五分だからである。こんな時は合気をはずさなければならない。合気をはずすのには先ず攻防の調子を変えなければならない。
二、留 敵の太刀に逆らい出合に合気となるようなことがない留めの法がある。敵の打込む太刀の心を知って、これに反揆せず快よく引受け、敵の力を誘いながら受留めると自然に敵の働らきの尽きる所がある。ここは合気をはずす塩合の所である。この塩合を味わうのには留を小さく留るのである。留を大きく留めると、合気をはずしてから次の転化に出るのに暇がかかって役に立たなくなり、そこにわが隙を生じ不利になる。
三、交わす 留めが利かない場合もあるから、その時には交わすことを法とする。かわりぎわに敵の力を利用し、その行く方向にむけて敵の首にわが心の綱をかけて引摺り出し、その後ろから押しやると、なお更烈しくそれてゆくものである。流れてくる丸太を上流から斜に突いてなお早く下流に流す所である。敵の気剣体を一緒に引摺り出し、行く所まで喰違いにゆかせ徒労に力を尽ききせ、まだ立直らない前の所でいと易く勝つ。
四、和而不同 敵の強い刀に逆らってわれからも強く出で、敵の打を中途で強く受止めると兎角合気となって味がない。逆らい争って勝つのは上乗の勝ではない。敵が望んで打って来たらそれに和し育て敵の刀の行く方向にわれからも助勢し、その心意と太刀技とを力いっぱいに尽させて流してやると、われは聊(いささ)かの働らきにて大きく勝ち得るものである。これもまた敵の曲合の利をやわらかにわが懐にとりこむ所であり和して同ぜず平らかに勝つ所である。平らかに和して自ら勝つから兵法を平法といい、剣術を和術という。和する所が勝つ所であり、勝ってまた後によく和するのである。
更に、木村達雄著「透明な力」には、『合気といわれる敵の力を抜いてしまう体の内部技術によって可能になります。』と書かれています。
以上のようなことを元にして、合気とは、五分五分の膠着状態を、こちらの有利な状況に変えてしまうための、身体の内部技術であり、「入れる」「付ける」「抜く」の三種類に分けることができるのではないかとの仮説を立ててみました。
総論はここまでにして、これからは、中心塾及び観照塾会員の皆さんからのご意見やご感想などでこのブログを運営していきますので宜しくお願いいたします。但し、個人名は仮名とさせて頂きます。
参照1:本当の合気とは
参照2:合気道の奥義
『いかがだろうか?それぞれの団体が「合気」に対して、独自の見解と解釈を持っていることが分かる。「合気」という一つのものに対して、「合気は合理的に説明が可能である」とする団体がある一方で「定義・説明することは難しい」とする団体も存在する。この多種多様さこそが、「合気」の奥の深さであるとも言えるだろうが、同時に曖昧な感じを受けることも否めない。最後に、突然の電話による取材にも関わらず快く答えてくださった各団体の先生方に感謝いたします。』(引用終了)
武田惣角先生は、小野派一刀流を身に付けていた事だけは確かなはずですから、一刀流の事を調べてみましたら、次のような記述が見つかりましたので、抜粋します。
笹森 順造著「一刀流極意」より
合 気
一、合打 敵と打ち合ってどうしても合打となって中々勝負がつきにくいことがある。いつまでたっても合気となって勝負がつかない。遂には無勝負か共倒れになることがある。これは曲合が五分と五分だからである。こんな時は合気をはずさなければならない。合気をはずすのには先ず攻防の調子を変えなければならない。
二、留 敵の太刀に逆らい出合に合気となるようなことがない留めの法がある。敵の打込む太刀の心を知って、これに反揆せず快よく引受け、敵の力を誘いながら受留めると自然に敵の働らきの尽きる所がある。ここは合気をはずす塩合の所である。この塩合を味わうのには留を小さく留るのである。留を大きく留めると、合気をはずしてから次の転化に出るのに暇がかかって役に立たなくなり、そこにわが隙を生じ不利になる。
三、交わす 留めが利かない場合もあるから、その時には交わすことを法とする。かわりぎわに敵の力を利用し、その行く方向にむけて敵の首にわが心の綱をかけて引摺り出し、その後ろから押しやると、なお更烈しくそれてゆくものである。流れてくる丸太を上流から斜に突いてなお早く下流に流す所である。敵の気剣体を一緒に引摺り出し、行く所まで喰違いにゆかせ徒労に力を尽ききせ、まだ立直らない前の所でいと易く勝つ。
四、和而不同 敵の強い刀に逆らってわれからも強く出で、敵の打を中途で強く受止めると兎角合気となって味がない。逆らい争って勝つのは上乗の勝ではない。敵が望んで打って来たらそれに和し育て敵の刀の行く方向にわれからも助勢し、その心意と太刀技とを力いっぱいに尽させて流してやると、われは聊(いささ)かの働らきにて大きく勝ち得るものである。これもまた敵の曲合の利をやわらかにわが懐にとりこむ所であり和して同ぜず平らかに勝つ所である。平らかに和して自ら勝つから兵法を平法といい、剣術を和術という。和する所が勝つ所であり、勝ってまた後によく和するのである。
更に、木村達雄著「透明な力」には、『合気といわれる敵の力を抜いてしまう体の内部技術によって可能になります。』と書かれています。
以上のようなことを元にして、合気とは、五分五分の膠着状態を、こちらの有利な状況に変えてしまうための、身体の内部技術であり、「入れる」「付ける」「抜く」の三種類に分けることができるのではないかとの仮説を立ててみました。
総論はここまでにして、これからは、中心塾及び観照塾会員の皆さんからのご意見やご感想などでこのブログを運営していきますので宜しくお願いいたします。但し、個人名は仮名とさせて頂きます。
参照1:本当の合気とは
参照2:合気道の奥義
by centeringkokyu
| 2005-01-30 11:32
| 合気観照塾