2006年 08月 26日
みまかる |
「日本神社考」 沖野岩三郎著 昭和27年1月発行 から抜粋してご紹介します。
漢字の死をそのまま動詞として、死ぬ、死ね、などと活用してゐるが日本語の、しぬ、といふ意味は、息往ぬ(しいぬ)で息をしなくなるといふことである。
古語で息のことを、し、といつたのは、荒い息を、あらし、と云つたのでもわかる。昔の人は風を天地間の息だと思つてゐたから、はげしい息といふ意味で、あらし(荒息…嵐)と云つたのである。
今でも人の死ぬことを、息を引きとると云ふ。昔の日本人は印度や支那人の云つたやうな死の観念はなく、人間が息をしなくなつただけで、すぐにまた息をふき返すかも知れないので、人が息をしなくなつても八日八夜友人たちが集まつて、そのそばで歌つたり踊つたりしたといふ証拠がある。それは息をしなくなった人が、その歌や踊りの中に自分の好きな歌か踊りかがあると、急に眼を覚まして息をふき返すだらうと考えてゐたからである。
七日八日たつても息をしないと、抱き起こして立たせてみる。しかし直立することが出来ないで、ぐにやりと曲がつてしまふ。そこでもう身曲がつたと云つてあきらめる。
病気であつたものが全快することを、直つたと云ふ。それはまつすぐに立つことが出来るやうになつたといふのである。病気の全快したことを、まつ直ぐになつたといひ、全快しなかつた者を、身が曲がつたといふやうな言葉は、世界中日本だけであらう。今でも死んだことを、みまかる、全快したことを直つたといふ。
注:み‐まか・る【身▽罷る】
[動ラ五(四)]《身が現世から罷(まか)る意》死ぬ。特に、中古では、自己側の者の死の謙譲語。「安らかに―・る」
#楽隠居です
この本は、別のことを調べる目的で、ネットで探して購入しました。しかし、こじつけとしても面白いと思ったので、ご紹介しました。
ところで、呼吸法中心塾の教室では、80歳を超えた方が、継続してレッスンに参加されることはまずありません。夜のレッスンですし、自分で工夫しながら身体を動かしてみるという習慣がないのかもしれません。何も考えずに治療して貰うか、これだけを何回すれば効果があるという方がやりやすいのでしょう。
いつもの習慣的な動きをしないで、非日常的な動き方をいろいろと試してみるなんてことは、考えられないのだと思います。
身が曲がると、様々な筋肉の緊張が必要となり、肩こりや咳などの症状が出やすくなります。しかし、因果関係がはっきりしない。お医者様はそんなことを言わない。「加齢」と「使い痛み」だから仕方がないということで納得されるようです。
以前、腰痛について調べましたが、病名だけ付けてどうするの?という感じです。
下の写真は、たまたま一回だけ90分間のレッスンに参加して下さった、80歳代の女性お二人のレッスン前後の写真です。左がレッスン前、右がレッスン後です。正面の写真はカットさせて頂きました。
昨日は、70歳代半ばの女性が久しぶりに来られ、「去年まで着られなかった、襟の部分が大きく開いた洋服が、今年は着られたし、猫背もなくなり、何歳か若返ったみたい!」と喜んでおられました。
今日のレッスンから、西宮教室は5年目に入ります。前回見学に来られていた女性も参加されるようですと、代表世話人のY川さんからメールを頂きました。K村さんがお忙しいので、無理を言ってM岡さんにアシスタントをお願いしました。でも、欠席者がいないと、部屋がいっぱいになってしまいますので、初心に返って、出来るだけ動きの少ない、基本的な呼吸法から稽古するということにしようと思っているんですが・・・
参照:こちらの写真もご覧下さい。
漢字の死をそのまま動詞として、死ぬ、死ね、などと活用してゐるが日本語の、しぬ、といふ意味は、息往ぬ(しいぬ)で息をしなくなるといふことである。
古語で息のことを、し、といつたのは、荒い息を、あらし、と云つたのでもわかる。昔の人は風を天地間の息だと思つてゐたから、はげしい息といふ意味で、あらし(荒息…嵐)と云つたのである。
今でも人の死ぬことを、息を引きとると云ふ。昔の日本人は印度や支那人の云つたやうな死の観念はなく、人間が息をしなくなつただけで、すぐにまた息をふき返すかも知れないので、人が息をしなくなつても八日八夜友人たちが集まつて、そのそばで歌つたり踊つたりしたといふ証拠がある。それは息をしなくなった人が、その歌や踊りの中に自分の好きな歌か踊りかがあると、急に眼を覚まして息をふき返すだらうと考えてゐたからである。
七日八日たつても息をしないと、抱き起こして立たせてみる。しかし直立することが出来ないで、ぐにやりと曲がつてしまふ。そこでもう身曲がつたと云つてあきらめる。
病気であつたものが全快することを、直つたと云ふ。それはまつすぐに立つことが出来るやうになつたといふのである。病気の全快したことを、まつ直ぐになつたといひ、全快しなかつた者を、身が曲がつたといふやうな言葉は、世界中日本だけであらう。今でも死んだことを、みまかる、全快したことを直つたといふ。
注:み‐まか・る【身▽罷る】
[動ラ五(四)]《身が現世から罷(まか)る意》死ぬ。特に、中古では、自己側の者の死の謙譲語。「安らかに―・る」
#楽隠居です
この本は、別のことを調べる目的で、ネットで探して購入しました。しかし、こじつけとしても面白いと思ったので、ご紹介しました。
ところで、呼吸法中心塾の教室では、80歳を超えた方が、継続してレッスンに参加されることはまずありません。夜のレッスンですし、自分で工夫しながら身体を動かしてみるという習慣がないのかもしれません。何も考えずに治療して貰うか、これだけを何回すれば効果があるという方がやりやすいのでしょう。
いつもの習慣的な動きをしないで、非日常的な動き方をいろいろと試してみるなんてことは、考えられないのだと思います。
身が曲がると、様々な筋肉の緊張が必要となり、肩こりや咳などの症状が出やすくなります。しかし、因果関係がはっきりしない。お医者様はそんなことを言わない。「加齢」と「使い痛み」だから仕方がないということで納得されるようです。
以前、腰痛について調べましたが、病名だけ付けてどうするの?という感じです。
下の写真は、たまたま一回だけ90分間のレッスンに参加して下さった、80歳代の女性お二人のレッスン前後の写真です。左がレッスン前、右がレッスン後です。正面の写真はカットさせて頂きました。
昨日は、70歳代半ばの女性が久しぶりに来られ、「去年まで着られなかった、襟の部分が大きく開いた洋服が、今年は着られたし、猫背もなくなり、何歳か若返ったみたい!」と喜んでおられました。
今日のレッスンから、西宮教室は5年目に入ります。前回見学に来られていた女性も参加されるようですと、代表世話人のY川さんからメールを頂きました。K村さんがお忙しいので、無理を言ってM岡さんにアシスタントをお願いしました。でも、欠席者がいないと、部屋がいっぱいになってしまいますので、初心に返って、出来るだけ動きの少ない、基本的な呼吸法から稽古するということにしようと思っているんですが・・・
参照:こちらの写真もご覧下さい。
by centeringkokyu
| 2006-08-26 00:00
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