2006年 08月 18日
合気道の理合 |
「養神館 合気道 [極意]」 塩田剛三著 1991年6月27日発行 から抜粋してご紹介します。
中心力
中心線をまっすぐに保つ力
合気道の基本は、自己の中心線をまっすぐに保つことにある。人間はまっすぐに立っているつもりでも、たいてい中心線にゆがみが生じている。仮に、まっすぐ立っているときは中心線がしっかりしていても、動いたときにそれがゆるんでしまうことが多い。そうなっては、合気道が目的とする呼吸力を発揮することはできない。
たとえどんなに動いても、中心をしっかり保つ力のことを、中心力という。この中心力を鍛えることによって、自己の強い体勢が生まれ、集中力・呼吸力を生み出していく。
集中力
全身の一致から生まれる力
腕を通じて力をだそうとしたとき、腕の筋肉の力に頼るのがふつうの考え方。合気道では、腰の力、脚の力、膝の力、腹筋の力などを全部ひとつにまとめて、腕なり肩なり肘なり、どこへでも一点に集中させることによって、筋力以上の大きな力を生み出そうとする。この力のことを、集中力という。
体全体がバラバラに動いたのでは、こういう力は出ない。中心力によって一本にまとまった体全体から一斉に力を出す。どこかが早かったり、どこかが遅れてもいけない。つまり、全身の動作を、一致したタイミングで行い、その力を中心線上にまとめて一点に集中させるわけである。言ってみれば、集中力とは中心力の極限である。
集中力を生み出すためには、上半身にリキみがあってはいけない。リキむと、そこで力の流れが止まってしまい、前に伝わらないからだ。したがって、集中力の発揮には、リラックスした状態での体の操作が大切となる。
呼吸力
気持ちと呼吸とリズムを集中力に乗せる
自己の集中力を、相手との関係の中で発揮したものを呼吸力という。呼吸力には、心の問題とリズムが重要になる。
心の問題とは無になること。ああしてやろう、こうしてやろうという我欲を捨て、明鏡止水の境地に達したときに、相手の心の動きが読めるようになる。そして、力の流れがわかるようになる。そうすれば自分の攻めるべき方向を自然に感じ取ることができる。
そこに緩急のリズムを乗せていく。一定の単調なリズムではなく、相手との状態に応じた最もふさわしいリズムをとる。そのリズムは自分の呼吸から生まれる。その場に応じて吸うべきときに吸い、吐くべきときに吐くことがリズムになる。
気持ちと呼吸とリズムを集中力に乗せ、それらが一致したときに呼吸力が生まれる。そのとき自分と相手が一体となり、こちらの導くままに相手を誘導することができる。
呼吸力を身につけるのに、特別な稽古はいらない。なぜならそれは、感覚でとらえるものだからである。
気
気とはバランスの結集
合気道ではよく気という言葉が使われるが、そこにはさまざまな意味が含まれている。
技の中に現れる気とは、正しい姿勢と呼吸、集中力から生まれる爆発力、中心力、タイミングなどの要素が、すべて最高のバランスを保ちつつ発揮された状態を言う。いわば、気とは『バランスの結集』である。
「気を合わせる」と言ったときの気とは、気持ちということの他に、相対的な状況で生じるすべての要素、つまり、力、スピード、タイミング、リズムといったものをすべて含んでいる。
また、稽古を続けるうちに、相手がどう攻めようとしているか、どっちの方向へ動こうとしているのか、また、どこに力が入っているのかというようなことを、察知できるようにしなければならない。いわゆる「気を察知する」感覚を養うことが、修行のひとつの大きな目的である。
#楽隠居です
塩田先生の技も素晴らしかったですが、理合についてもよく考えておられると感心します。昔、塩田先生の講習会のビデオを見たときに、やはり大東流合気柔術の影響が大きかった時期に、植芝先生から合気道を習われたのではないかと感じました。
確か昭和9年頃に、植芝先生が目録としてお弟子さんに渡された「武道練習」には、『右目録相伝候事依如件 植芝守高』と署名され、合気柔術という印も押されていたはずです。
大正4年生まれの塩田先生は17歳で植芝先生に入門され、約8年間開祖の身近で修行を積まれたようですから、時期的には間違いないと思います。
また、塩田先生は、昭和30年に合気道養神館を設立し、39年から警視庁機動隊から毎年合気道専修生を迎え、訓練を施すと共に、警視庁婦人警官の必修科目として合気道を指導されたようです。
これは私の推測ですが、警視庁で集団指導する為に現在の養神館のシステムが確立したのではないかと考えています。その為に、現在の養神館では塩田先生のような動き方をする方が出てきていないのではないかとも思っています。15年ぐらい前に、一緒に稽古をしていた人が、東京で養神館に所属しておられたので、その方に、「基本の動き方が出来たとして、何時になったら塩田先生のような動き方を稽古するのですか?内弟子の研修会では、内弟子も先生のような動き方を稽古しているのですか?」とお聞きしました。しかし、はっきりとした答えは返ってきませんでした。
塩田先生が亡くなられた今も、きっと塩田先生の臨機応変の動きを体現できる先生がおられると思いますので、是非公開していただきたいものだと願っています。
神道夢想流杖術の場合は、故清水隆次師範が全剣連に加入し、剣道界あるいは警視庁での立場を確立しつつ、普及の基礎を固められたようですが、その為に古流杖術から外れた理合いが生まれてきたのではないかとの見解もあるようです。
中心力
中心線をまっすぐに保つ力
合気道の基本は、自己の中心線をまっすぐに保つことにある。人間はまっすぐに立っているつもりでも、たいてい中心線にゆがみが生じている。仮に、まっすぐ立っているときは中心線がしっかりしていても、動いたときにそれがゆるんでしまうことが多い。そうなっては、合気道が目的とする呼吸力を発揮することはできない。
たとえどんなに動いても、中心をしっかり保つ力のことを、中心力という。この中心力を鍛えることによって、自己の強い体勢が生まれ、集中力・呼吸力を生み出していく。
集中力
全身の一致から生まれる力
腕を通じて力をだそうとしたとき、腕の筋肉の力に頼るのがふつうの考え方。合気道では、腰の力、脚の力、膝の力、腹筋の力などを全部ひとつにまとめて、腕なり肩なり肘なり、どこへでも一点に集中させることによって、筋力以上の大きな力を生み出そうとする。この力のことを、集中力という。
体全体がバラバラに動いたのでは、こういう力は出ない。中心力によって一本にまとまった体全体から一斉に力を出す。どこかが早かったり、どこかが遅れてもいけない。つまり、全身の動作を、一致したタイミングで行い、その力を中心線上にまとめて一点に集中させるわけである。言ってみれば、集中力とは中心力の極限である。
集中力を生み出すためには、上半身にリキみがあってはいけない。リキむと、そこで力の流れが止まってしまい、前に伝わらないからだ。したがって、集中力の発揮には、リラックスした状態での体の操作が大切となる。
呼吸力
気持ちと呼吸とリズムを集中力に乗せる
自己の集中力を、相手との関係の中で発揮したものを呼吸力という。呼吸力には、心の問題とリズムが重要になる。
心の問題とは無になること。ああしてやろう、こうしてやろうという我欲を捨て、明鏡止水の境地に達したときに、相手の心の動きが読めるようになる。そして、力の流れがわかるようになる。そうすれば自分の攻めるべき方向を自然に感じ取ることができる。
そこに緩急のリズムを乗せていく。一定の単調なリズムではなく、相手との状態に応じた最もふさわしいリズムをとる。そのリズムは自分の呼吸から生まれる。その場に応じて吸うべきときに吸い、吐くべきときに吐くことがリズムになる。
気持ちと呼吸とリズムを集中力に乗せ、それらが一致したときに呼吸力が生まれる。そのとき自分と相手が一体となり、こちらの導くままに相手を誘導することができる。
呼吸力を身につけるのに、特別な稽古はいらない。なぜならそれは、感覚でとらえるものだからである。
気
気とはバランスの結集
合気道ではよく気という言葉が使われるが、そこにはさまざまな意味が含まれている。
技の中に現れる気とは、正しい姿勢と呼吸、集中力から生まれる爆発力、中心力、タイミングなどの要素が、すべて最高のバランスを保ちつつ発揮された状態を言う。いわば、気とは『バランスの結集』である。
「気を合わせる」と言ったときの気とは、気持ちということの他に、相対的な状況で生じるすべての要素、つまり、力、スピード、タイミング、リズムといったものをすべて含んでいる。
また、稽古を続けるうちに、相手がどう攻めようとしているか、どっちの方向へ動こうとしているのか、また、どこに力が入っているのかというようなことを、察知できるようにしなければならない。いわゆる「気を察知する」感覚を養うことが、修行のひとつの大きな目的である。
#楽隠居です
塩田先生の技も素晴らしかったですが、理合についてもよく考えておられると感心します。昔、塩田先生の講習会のビデオを見たときに、やはり大東流合気柔術の影響が大きかった時期に、植芝先生から合気道を習われたのではないかと感じました。
確か昭和9年頃に、植芝先生が目録としてお弟子さんに渡された「武道練習」には、『右目録相伝候事依如件 植芝守高』と署名され、合気柔術という印も押されていたはずです。
大正4年生まれの塩田先生は17歳で植芝先生に入門され、約8年間開祖の身近で修行を積まれたようですから、時期的には間違いないと思います。
また、塩田先生は、昭和30年に合気道養神館を設立し、39年から警視庁機動隊から毎年合気道専修生を迎え、訓練を施すと共に、警視庁婦人警官の必修科目として合気道を指導されたようです。
これは私の推測ですが、警視庁で集団指導する為に現在の養神館のシステムが確立したのではないかと考えています。その為に、現在の養神館では塩田先生のような動き方をする方が出てきていないのではないかとも思っています。15年ぐらい前に、一緒に稽古をしていた人が、東京で養神館に所属しておられたので、その方に、「基本の動き方が出来たとして、何時になったら塩田先生のような動き方を稽古するのですか?内弟子の研修会では、内弟子も先生のような動き方を稽古しているのですか?」とお聞きしました。しかし、はっきりとした答えは返ってきませんでした。
塩田先生が亡くなられた今も、きっと塩田先生の臨機応変の動きを体現できる先生がおられると思いますので、是非公開していただきたいものだと願っています。
神道夢想流杖術の場合は、故清水隆次師範が全剣連に加入し、剣道界あるいは警視庁での立場を確立しつつ、普及の基礎を固められたようですが、その為に古流杖術から外れた理合いが生まれてきたのではないかとの見解もあるようです。
by centeringkokyu
| 2006-08-18 00:00
| 合気観照塾