2006年 07月 18日
ダイジェスト |
「アレクサンダー テクニック」に関連して、首や頸椎及び額や視線に関する記事からダイジェストでご紹介します。十数年前に初めてアレクサンダー テクニックに関する本を読んだ時には、ほとんど理解できませんでした。すでにお気づきのことと思いますが、6月から7月にかけては、そのあたりのことに気づかせてもらった関連図書や私が考えた事を、まとめてご紹介したわけです。
2005-01-28
アレクサンダー・テクニック
F. M. アレクサンダー(1869-1955)が開発。
彼はオーストラリアで若い俳優として有望なスタートをしましたが,しばらくすると舞台上で声がかすれ,出なくなりました。医者も治療の方法がなく,アレクサンダーは自分で原因の解明にのりだし,三面鏡のまえに立って台詞をしゃべる瞬間の自分自身を観察しました。
その結果わかったことは,「やるぞー」とおもった瞬間に,首の後ろを縮めていたことです。そのため頭が重たくのしかかり,声帯に圧迫を加えていました。その反対に,首が楽になっていて,頭が前と上に行き,ふわっと脊椎のうえでバランスをとっていれば,声が楽に出ます。首の緊張がなければ,わたしたちに生来そなわっている初原的調整作用が活性化され,自分の全力を発揮できることが分かりました。
2005-08-28
ニュートラルの状態と横隔膜の操作の関係が、頸椎から頭部及び視線の操作に関係してくるのではないかと気付きました。当然、頭部及び上体を厳密に操作する為には、骨盤・仙骨・会陰・大転子及び、股関節・膝・足首などがつながっていなければなりません。
2006-06-17
寸田は上丹田ともいい、両眼の間、また両眉の間を指す。上丹田がすわると形而下の万象を一目見て、その実相を即座に明断し、過ちがない。諸幻ことごとく滅して明察即断まがうことがないのである。そしてこれを下丹田に疎通するとその真相が解り、即刻果断の効を得ることができるわけである。
2006-06-20
まぁ〜「ヘ・た・レ」ということなんですが、「丹田と寸田を一如にする」為には、腰の命門(めいもん)・胸の膻中(だんちゅう)・首の瘂門(あもん)を開く必要があるのではないかと考えている今日この頃です。ハイ!
2006-06-22
霊的な物を見るということはできなくても、額でその気を感じるということは、十人が十人できることであります。これはむずかしいことではありません。少し実修して、静座でも五分間ぐらい、それも平面的な静座でなしに、より以上の光を受ける気持ち、おがむ気持ち、仰ぐ気持ちがなければいけませんが、そうすればかならず体験することができます。(略)
要するにこの三つの田(上田・中田・下田)に意識して、しじゅう気をつけてこれを耕すということは、人生向上のうえにおいてもっとも肝腎なことだと存じます。
2006-06-28
平行法で遠くを見ている状態から、息を腹部・脇腹から胸・頸という順序で吸い込みつつ、寄り目にしていきながら頭部を少し持ち上げるようにします。息を止めた状態で横隔膜の緊張を弛め、次に、頭部を出来るだけ動かさないようにして他の不必要な緊張をしている筋肉を弛めます。そして、中心を意識しながら息をゆっくり吐いていきながら、さらに刻々と緊張が不要になり、筋肉が弛んでいく様子も感じとってください。
2006-07-05
「うなじ」と「ひざより足先まで」に「力」を入れよという、この「力」の内容についてわかることが容易ではない。うなじがただ力んでいたのでは、肩が硬直して持ち上がります。けれども「肩より惣身はひとしく覚え、両のかたをさげ」と武蔵は言う。うなじは力むのではなく、ある独特の立て方をするのです。頭や胴体が左右にぶれなくなるような、そういう【うなじの立て方】がある。あるいは、体の全体をそのように保つために、うなじに置かれる一種の強さがある。
2006-07-13
首を胴体の上にゆったりすえ、襟のすかないように、あごのすかないように、耳が肩に垂れるようにおく。全身の中でもっとも重量の重い頭部を正しく胴体にすえることが姿勢を正しくする基になる。
2005-01-28
アレクサンダー・テクニック
F. M. アレクサンダー(1869-1955)が開発。
彼はオーストラリアで若い俳優として有望なスタートをしましたが,しばらくすると舞台上で声がかすれ,出なくなりました。医者も治療の方法がなく,アレクサンダーは自分で原因の解明にのりだし,三面鏡のまえに立って台詞をしゃべる瞬間の自分自身を観察しました。
その結果わかったことは,「やるぞー」とおもった瞬間に,首の後ろを縮めていたことです。そのため頭が重たくのしかかり,声帯に圧迫を加えていました。その反対に,首が楽になっていて,頭が前と上に行き,ふわっと脊椎のうえでバランスをとっていれば,声が楽に出ます。首の緊張がなければ,わたしたちに生来そなわっている初原的調整作用が活性化され,自分の全力を発揮できることが分かりました。
2005-08-28
ニュートラルの状態と横隔膜の操作の関係が、頸椎から頭部及び視線の操作に関係してくるのではないかと気付きました。当然、頭部及び上体を厳密に操作する為には、骨盤・仙骨・会陰・大転子及び、股関節・膝・足首などがつながっていなければなりません。
2006-06-17
寸田は上丹田ともいい、両眼の間、また両眉の間を指す。上丹田がすわると形而下の万象を一目見て、その実相を即座に明断し、過ちがない。諸幻ことごとく滅して明察即断まがうことがないのである。そしてこれを下丹田に疎通するとその真相が解り、即刻果断の効を得ることができるわけである。
2006-06-20
まぁ〜「ヘ・た・レ」ということなんですが、「丹田と寸田を一如にする」為には、腰の命門(めいもん)・胸の膻中(だんちゅう)・首の瘂門(あもん)を開く必要があるのではないかと考えている今日この頃です。ハイ!
2006-06-22
霊的な物を見るということはできなくても、額でその気を感じるということは、十人が十人できることであります。これはむずかしいことではありません。少し実修して、静座でも五分間ぐらい、それも平面的な静座でなしに、より以上の光を受ける気持ち、おがむ気持ち、仰ぐ気持ちがなければいけませんが、そうすればかならず体験することができます。(略)
要するにこの三つの田(上田・中田・下田)に意識して、しじゅう気をつけてこれを耕すということは、人生向上のうえにおいてもっとも肝腎なことだと存じます。
2006-06-28
平行法で遠くを見ている状態から、息を腹部・脇腹から胸・頸という順序で吸い込みつつ、寄り目にしていきながら頭部を少し持ち上げるようにします。息を止めた状態で横隔膜の緊張を弛め、次に、頭部を出来るだけ動かさないようにして他の不必要な緊張をしている筋肉を弛めます。そして、中心を意識しながら息をゆっくり吐いていきながら、さらに刻々と緊張が不要になり、筋肉が弛んでいく様子も感じとってください。
2006-07-05
「うなじ」と「ひざより足先まで」に「力」を入れよという、この「力」の内容についてわかることが容易ではない。うなじがただ力んでいたのでは、肩が硬直して持ち上がります。けれども「肩より惣身はひとしく覚え、両のかたをさげ」と武蔵は言う。うなじは力むのではなく、ある独特の立て方をするのです。頭や胴体が左右にぶれなくなるような、そういう【うなじの立て方】がある。あるいは、体の全体をそのように保つために、うなじに置かれる一種の強さがある。
2006-07-13
首を胴体の上にゆったりすえ、襟のすかないように、あごのすかないように、耳が肩に垂れるようにおく。全身の中でもっとも重量の重い頭部を正しく胴体にすえることが姿勢を正しくする基になる。
by centeringkokyu
| 2006-07-18 00:00
| アレクサンダー・テクニーク