2006年 06月 15日
意識を切らない |
私が意識を切らないようにするという事を、初めて教えて頂いたのは、気の研究会だったと思います。太極拳にも連綿不断という要訣がありますが、単独演武が主体ですから、相手からの負荷が掛かっている状態で、意識を切らないようにするには、推手をしっかり稽古しないといけないと考えています。
大東流の場合には、会派によって稽古形態や目的が違う筈ですが、懸かり稽古だけをしていると、投げ捨てて終わってしまう癖がつくので、意識を切らない稽古にはならないと思います。その上、相手の力の方向や意識の変化に臨機応変に対応するという気持ちがなくなるので、何を目的にした稽古なのか、理解に苦しみます。
ある程度は、相手の攻撃に合わせて臨機応変に技を掛けることが出来るようになった人には、懸かり稽古は、良い稽古になるはずですが、初心者には「倒れないといけない雰囲気」に染まってしまい、自分で考えて、検証するという一番大切な稽古をしなくなってしまう恐れがあります。
私が以前教えて頂いたOS先生は、技の説明の時には、ゆっくり技を掛けたり、パッと技が変わったりしましたので、入門当初は戸惑いました。合気道のように、「はい、◯◯投げをします」という事ではなかったのです。相手の反応に応じて掛ける、いろいろなバージョンの固め技も体験させて頂きました。
これまで自分でもいろいろ考えてきて、意識を切らないようにする為には、吐く呼吸を巧く使うという事が大切ではないかと感じました。そしてその為には、横隔膜と頸椎と視線を意識しながら、丁寧に相手に付いて行く稽古が大切だと考えています。接点の圧力を一定に保つということも、丁寧な呼吸につながるはずです。
燕飛も、本伝は6本の別々の型だそうですが、私たちが稽古している初歩の型は、意識を切らない稽古としては良く出来ていると思います。それも、初歩のうちには、少し遠い間合いで、ゆっくりと刃筋や身勢に気をつけて稽古し、徐々に間合いを詰めたり、序破急にも注意した稽古に変えていく、非切り稽古という気持ちが大切だと思います。
先日、Y本さんとお話をしていたら、「身体が動いている時にも、K野さんの頭が動かないので、まるでお地蔵さんみたいに見えます。」とおっしゃいました。自分ではそんなつもりはないので、もう一つピンときませんが、視線で固定して頭は動かさないようしている事は確かです。勿論、頭部から首にかけてへの意識や呼吸への意識は、出来るだけ切らないように注意しています。
もっとも、「視線で固定する」といっても、見つめる視線ではなく、どちらかと言えば、観の目かもしれません。まぁ〜私の場合には、そんな格好の良いものではなく、「うすらぼんやりと、見るともなく見ている」という方が近いかもしれませんね・・・
大東流の場合には、会派によって稽古形態や目的が違う筈ですが、懸かり稽古だけをしていると、投げ捨てて終わってしまう癖がつくので、意識を切らない稽古にはならないと思います。その上、相手の力の方向や意識の変化に臨機応変に対応するという気持ちがなくなるので、何を目的にした稽古なのか、理解に苦しみます。
ある程度は、相手の攻撃に合わせて臨機応変に技を掛けることが出来るようになった人には、懸かり稽古は、良い稽古になるはずですが、初心者には「倒れないといけない雰囲気」に染まってしまい、自分で考えて、検証するという一番大切な稽古をしなくなってしまう恐れがあります。
私が以前教えて頂いたOS先生は、技の説明の時には、ゆっくり技を掛けたり、パッと技が変わったりしましたので、入門当初は戸惑いました。合気道のように、「はい、◯◯投げをします」という事ではなかったのです。相手の反応に応じて掛ける、いろいろなバージョンの固め技も体験させて頂きました。
これまで自分でもいろいろ考えてきて、意識を切らないようにする為には、吐く呼吸を巧く使うという事が大切ではないかと感じました。そしてその為には、横隔膜と頸椎と視線を意識しながら、丁寧に相手に付いて行く稽古が大切だと考えています。接点の圧力を一定に保つということも、丁寧な呼吸につながるはずです。
燕飛も、本伝は6本の別々の型だそうですが、私たちが稽古している初歩の型は、意識を切らない稽古としては良く出来ていると思います。それも、初歩のうちには、少し遠い間合いで、ゆっくりと刃筋や身勢に気をつけて稽古し、徐々に間合いを詰めたり、序破急にも注意した稽古に変えていく、非切り稽古という気持ちが大切だと思います。
先日、Y本さんとお話をしていたら、「身体が動いている時にも、K野さんの頭が動かないので、まるでお地蔵さんみたいに見えます。」とおっしゃいました。自分ではそんなつもりはないので、もう一つピンときませんが、視線で固定して頭は動かさないようしている事は確かです。勿論、頭部から首にかけてへの意識や呼吸への意識は、出来るだけ切らないように注意しています。
もっとも、「視線で固定する」といっても、見つめる視線ではなく、どちらかと言えば、観の目かもしれません。まぁ〜私の場合には、そんな格好の良いものではなく、「うすらぼんやりと、見るともなく見ている」という方が近いかもしれませんね・・・
by centeringkokyu
| 2006-06-15 00:03
| 合気観照塾