2006年 05月 13日
ネコのひとりあそび 06/05/12 |
M岡さんからの投稿をご紹介します。
昨夜は、中心塾の難波教室でしたが、何となくメンバーが2つに別れ、成り行きで、その1グループを僭越ながら、私が担当させて頂きました。
その意味で、昨日のK野さんの原稿に続き、感じた事や反省等述べさせて頂きたいと思います。
真っ白
総体的に、昨日は皆さん「バラバラ」状態でした(笑)。加えて、こちらのグループは皆さん「真っ白」状態だった様に思われます。
とにかく、「自分が何をしているのか?」、「何が分からないのか」、「何故、今そんな状態なのか?全く分からない」・・・と言った所であります。
実際、私もここ10数年でそんな出来事やスランプの繰り返しで・・・でも、何となく、そう言った出来事の特徴や付き合い方、諦め方(笑)が今では自然と分かる様になりました。
そこで今回は、皆さんの状況を見て行く内に感じた事を少し述べて行きたいと思います。
冷え
とにかく、ここ数週間は急に温度が上がったり下がったり、晴れと雨とが入替ったり、朝夕の寒暖が激しかったりと誠に体調を整え難い時期で、個人的に「冷え」が内攻し易い状況でなかったか?と思っております。
「冷え」と言うのはなかなかにやっかいな存在で「ぞくっ」とした時にはもう体に深く浸透している場合が多く、「お腹を冷やして壊した」なんて言う場合を除き、今、自分に起こっている愁訴や現象にイメージが繋がらない・・・インスピレーションが沸き難いものの様に思われます。
従いまして、総じて「自分の意識と心身のズレが大きく」なっている所が特徴的で、日常生活でも「あれ、なんかズレてばっかり」と感じる事も多い様です(笑)。
そこで、私としては自分に起こる症状を俯瞰する際、先ず、「ズレている」自分を「仕方ない」と諦め・観念し(笑)、暫時、お昼寝でもした後、落ち着いた状況の中で、先ず「冷え」から確認する事にしています。
確認の仕方ですが、K野さんの様にさっと見て分からなくても、「お風呂に入っても温まらない場所」や「硬結や腫れ、熱のある所の裏(相対関係の場所」、「自分の体で感覚のない場所」等の視点から見て行けると思います。
そして、そこに「冷え」や「虚」があれば「温灸器」を用いてケアし、「心地良い状況」を少しでも自分の中に作り出して、変化を「寝て」待ちます。
これって、正に「ネコ」の基本的な生活様式と同じで、苦しい中に如何に「心地良さ」を作り出し、じっと「変化を待つか?」と言う「生活の術」な訳です。
そう思えば、ネコは心地良い場所を見つけて実に小まめに移動したり、何かに包まったり、草を食べたり、何も食べなかったり、ひいては自分で1人で出産までしますが、我々もその辺を「同じ動物」として思い出し、イメージしてみて、発汗や制寒対策、暖かいものを飲む・食事量を調整する、じっと寝ておくなんて事が出来そうです。
これは私見ですが、「センタリング呼吸法」は「呼吸法」でありますが、大事なのは、自分自身の「中心観照」しつつ・・・と言う所で、その営みを通じて「自分なりの生活術」や「取り組み」が出来る事が本旨であると思います。
過食と甘味
春は、色々な意味で「自分を取り巻く変化がある時期」、「勢いが旺盛となる時期」の様で、東洋医学的にも「肝」に来易くなる季節であり、何かとストレスも溜まります。
実際、私はストレスから「過食と甘味に走り」(笑)、「脾虚肝実」証に陥るパターンが多く・・・元より食事量が多い方なのですが、それにしても量や甘味の摂取が多くなり、情緒が乱れ(躁鬱が激しくなる)、気付くと「肝臓が腫れたり」、「股関節が開いたり」、「足を何処かにぶつけたり、挫いたり」します。
先ず、そんな時は、「センタリング呼吸法」で自己の心身を観照し、ストレスの原因を「それとなく」感じて(観じて)みて下さい。
併せて、物理的対処法としては、里芋粉パックを併用し、「邪熱」を取って頂くのが効果的です(里芋粉があるのを良い事に甘味をむさぼる師弟KとM:笑)。
ここで、少し、M田さんの足の捻挫のお話をさせて頂きます。
最初、足を引き摺って歩いてお越しになった時、状況を見て私には「冷え」と「脾」に来ている様に感じました。
普段、M田さんは甘味を好まれないらしく、当初、K野さんは「甘いものを取ったのでは?」と思われたのだそうですが、ご本人としては「取っていないし(好んでいない訳だから)取った覚えもない」とお返事されたそうです。
しかし・・・後日、「そう言えば、GW中、熱くて熱くて上着を脱ぎ、ジュースを飲んだ」事を思い出されました(笑)。
当のご本人とすれば「涼を取っただけ」の感覚でいらっしゃったのですが、汗をかいた時に冷えたジュースを飲んだ事で「冷え」と「甘味」の影響を一気に受けた訳です。
結果、その経絡が弱って「捻挫」になった様でした。
意味飽和
こう言った季節柄・天候の影響による「心身のバランスの失調」に加え、今回、特筆すべき事は皆さんのセンタリング呼吸法における「意味飽和」の問題でした。
要は、「センタリング呼吸法」に少し慣れた段階で、「呼吸法を通じて自分を見据える目や姿勢」を忘れ、「ケーススタディー」や「型」を練習に終始している状況になっていたのです。
これはあくまで推測に過ぎませんが、ある程度、要領が分かって、今、「ここにある自分」や「今やっている事の意味合い」を感じる事を忘れておられた気がしました。
こう言う現象は、芦屋教室でも一回あった様に思います。
実際、センタリング呼吸法の原理は「たった1つ」で「とてもシンプル」です。だからこそ、たった1回のバランスや表現がとても難しく、その都度の変化を大切にする必要があります。
従って、私としては以下の2つの事をメインにおいてレクチャーさせて頂きました。
先ずは、「お腹に吸って(力を集中、意識を集約し)」と言う「最低必要十分条件」を大切にする事・・・実際、この時点で運動表現は「完成」しているのです。
但し・・・これはとても言葉で説明出来るものでもなく、ご自身で掴んで頂く他にないので、私がエキジビジョンを観察・触って頂き、感覚から感覚へお伝えしながら、皆さんが今まで学ばれ「型」になったものの「前提」を変化させ、例えば、「仰向け」でやっていた事を「うつ伏せ」や「横寝」、場合によっては「正座」や「立位」でやって頂く事にしました。
ついで、隣で「介護講座」が開校されていましたので、こちらは「観照塾」よろしく、「相対稽古」と「ものを持つ・挟む」、「負荷を掛けての実験」も同時にやって頂きました。
そうしますと何方に限らず「全く出来ない自分」に気付きます。実際はたった1つの事の「視点」や「意識」、「姿勢」を変えただけなに全くお話にならない(笑)・・・でも、こう言う実感と想いが「本質的なスタート」に繋がります。
結局、もし、そこがある程度こなせないと言う事であれば「日常」と言う、もっと複雑で変化に富む状況の中で自分をコントロールする事など出来るはずもないからです。
ここで!再度、先述のネコのお話を想い出して頂きたいのですが、自分自身をありのまま「等身大」に刻々と「感じる」事が出来れば、特に知識がなくても上手に生きていけるのです。
そう言った意味で、ご自身の行われている事に「意味飽和」や「手ごたえのなさ」、「好奇心」、「心地良さ」、「自分でやる」感覚を感じなくなった時が何事にも一番危ないです。
と言うのも・・・それは実に「自分自身に無責任・無関心」になっている兆候なのです。
結局、その辺が今回の「真っ白」の大きな原因ではないかな?と思ったのでした。
#管理人です
意味飽和に関しては、2005年12月16日の記事、「道歌してる?Vol.1」に少し書いていますので、ご一読ください。
昨夜は、中心塾の難波教室でしたが、何となくメンバーが2つに別れ、成り行きで、その1グループを僭越ながら、私が担当させて頂きました。
その意味で、昨日のK野さんの原稿に続き、感じた事や反省等述べさせて頂きたいと思います。
真っ白
総体的に、昨日は皆さん「バラバラ」状態でした(笑)。加えて、こちらのグループは皆さん「真っ白」状態だった様に思われます。
とにかく、「自分が何をしているのか?」、「何が分からないのか」、「何故、今そんな状態なのか?全く分からない」・・・と言った所であります。
実際、私もここ10数年でそんな出来事やスランプの繰り返しで・・・でも、何となく、そう言った出来事の特徴や付き合い方、諦め方(笑)が今では自然と分かる様になりました。
そこで今回は、皆さんの状況を見て行く内に感じた事を少し述べて行きたいと思います。
冷え
とにかく、ここ数週間は急に温度が上がったり下がったり、晴れと雨とが入替ったり、朝夕の寒暖が激しかったりと誠に体調を整え難い時期で、個人的に「冷え」が内攻し易い状況でなかったか?と思っております。
「冷え」と言うのはなかなかにやっかいな存在で「ぞくっ」とした時にはもう体に深く浸透している場合が多く、「お腹を冷やして壊した」なんて言う場合を除き、今、自分に起こっている愁訴や現象にイメージが繋がらない・・・インスピレーションが沸き難いものの様に思われます。
従いまして、総じて「自分の意識と心身のズレが大きく」なっている所が特徴的で、日常生活でも「あれ、なんかズレてばっかり」と感じる事も多い様です(笑)。
そこで、私としては自分に起こる症状を俯瞰する際、先ず、「ズレている」自分を「仕方ない」と諦め・観念し(笑)、暫時、お昼寝でもした後、落ち着いた状況の中で、先ず「冷え」から確認する事にしています。
確認の仕方ですが、K野さんの様にさっと見て分からなくても、「お風呂に入っても温まらない場所」や「硬結や腫れ、熱のある所の裏(相対関係の場所」、「自分の体で感覚のない場所」等の視点から見て行けると思います。
そして、そこに「冷え」や「虚」があれば「温灸器」を用いてケアし、「心地良い状況」を少しでも自分の中に作り出して、変化を「寝て」待ちます。
これって、正に「ネコ」の基本的な生活様式と同じで、苦しい中に如何に「心地良さ」を作り出し、じっと「変化を待つか?」と言う「生活の術」な訳です。
そう思えば、ネコは心地良い場所を見つけて実に小まめに移動したり、何かに包まったり、草を食べたり、何も食べなかったり、ひいては自分で1人で出産までしますが、我々もその辺を「同じ動物」として思い出し、イメージしてみて、発汗や制寒対策、暖かいものを飲む・食事量を調整する、じっと寝ておくなんて事が出来そうです。
これは私見ですが、「センタリング呼吸法」は「呼吸法」でありますが、大事なのは、自分自身の「中心観照」しつつ・・・と言う所で、その営みを通じて「自分なりの生活術」や「取り組み」が出来る事が本旨であると思います。
過食と甘味
春は、色々な意味で「自分を取り巻く変化がある時期」、「勢いが旺盛となる時期」の様で、東洋医学的にも「肝」に来易くなる季節であり、何かとストレスも溜まります。
実際、私はストレスから「過食と甘味に走り」(笑)、「脾虚肝実」証に陥るパターンが多く・・・元より食事量が多い方なのですが、それにしても量や甘味の摂取が多くなり、情緒が乱れ(躁鬱が激しくなる)、気付くと「肝臓が腫れたり」、「股関節が開いたり」、「足を何処かにぶつけたり、挫いたり」します。
先ず、そんな時は、「センタリング呼吸法」で自己の心身を観照し、ストレスの原因を「それとなく」感じて(観じて)みて下さい。
併せて、物理的対処法としては、里芋粉パックを併用し、「邪熱」を取って頂くのが効果的です(里芋粉があるのを良い事に甘味をむさぼる師弟KとM:笑)。
ここで、少し、M田さんの足の捻挫のお話をさせて頂きます。
最初、足を引き摺って歩いてお越しになった時、状況を見て私には「冷え」と「脾」に来ている様に感じました。
普段、M田さんは甘味を好まれないらしく、当初、K野さんは「甘いものを取ったのでは?」と思われたのだそうですが、ご本人としては「取っていないし(好んでいない訳だから)取った覚えもない」とお返事されたそうです。
しかし・・・後日、「そう言えば、GW中、熱くて熱くて上着を脱ぎ、ジュースを飲んだ」事を思い出されました(笑)。
当のご本人とすれば「涼を取っただけ」の感覚でいらっしゃったのですが、汗をかいた時に冷えたジュースを飲んだ事で「冷え」と「甘味」の影響を一気に受けた訳です。
結果、その経絡が弱って「捻挫」になった様でした。
意味飽和
こう言った季節柄・天候の影響による「心身のバランスの失調」に加え、今回、特筆すべき事は皆さんのセンタリング呼吸法における「意味飽和」の問題でした。
要は、「センタリング呼吸法」に少し慣れた段階で、「呼吸法を通じて自分を見据える目や姿勢」を忘れ、「ケーススタディー」や「型」を練習に終始している状況になっていたのです。
これはあくまで推測に過ぎませんが、ある程度、要領が分かって、今、「ここにある自分」や「今やっている事の意味合い」を感じる事を忘れておられた気がしました。
こう言う現象は、芦屋教室でも一回あった様に思います。
実際、センタリング呼吸法の原理は「たった1つ」で「とてもシンプル」です。だからこそ、たった1回のバランスや表現がとても難しく、その都度の変化を大切にする必要があります。
従って、私としては以下の2つの事をメインにおいてレクチャーさせて頂きました。
先ずは、「お腹に吸って(力を集中、意識を集約し)」と言う「最低必要十分条件」を大切にする事・・・実際、この時点で運動表現は「完成」しているのです。
但し・・・これはとても言葉で説明出来るものでもなく、ご自身で掴んで頂く他にないので、私がエキジビジョンを観察・触って頂き、感覚から感覚へお伝えしながら、皆さんが今まで学ばれ「型」になったものの「前提」を変化させ、例えば、「仰向け」でやっていた事を「うつ伏せ」や「横寝」、場合によっては「正座」や「立位」でやって頂く事にしました。
ついで、隣で「介護講座」が開校されていましたので、こちらは「観照塾」よろしく、「相対稽古」と「ものを持つ・挟む」、「負荷を掛けての実験」も同時にやって頂きました。
そうしますと何方に限らず「全く出来ない自分」に気付きます。実際はたった1つの事の「視点」や「意識」、「姿勢」を変えただけなに全くお話にならない(笑)・・・でも、こう言う実感と想いが「本質的なスタート」に繋がります。
結局、もし、そこがある程度こなせないと言う事であれば「日常」と言う、もっと複雑で変化に富む状況の中で自分をコントロールする事など出来るはずもないからです。
ここで!再度、先述のネコのお話を想い出して頂きたいのですが、自分自身をありのまま「等身大」に刻々と「感じる」事が出来れば、特に知識がなくても上手に生きていけるのです。
そう言った意味で、ご自身の行われている事に「意味飽和」や「手ごたえのなさ」、「好奇心」、「心地良さ」、「自分でやる」感覚を感じなくなった時が何事にも一番危ないです。
と言うのも・・・それは実に「自分自身に無責任・無関心」になっている兆候なのです。
結局、その辺が今回の「真っ白」の大きな原因ではないかな?と思ったのでした。
#管理人です
意味飽和に関しては、2005年12月16日の記事、「道歌してる?Vol.1」に少し書いていますので、ご一読ください。
by centeringkokyu
| 2006-05-13 00:03
| ネコ殿