2006年 05月 03日
退会決意3周年 |
私が◯◯会大阪支部からの退会を決めてから、もう3年経ってしまいました。実際には、事務手続きその他の引き継ぎを済ませ、平成15年6月から合気観照塾を立ち上げた訳ですが、その年の5月中は、多くの方々からのお電話やメールの対応で大変でした。
その頃に送って頂いたメールの中から、お二人分だけを抜粋してご紹介します。
▼メール1
「以前からいつ来るのかと思うときもありましたが、現実になると少し寂しいものがあります。僕にとっては、◯◯会を通じてK野さんとお会いできたことが人生最大の収穫だと思っていますし、その場から離れられると言うのは一抹の寂しさがないと言うと嘘になります。
しかし、僕にとっては◯◯会のK野さんではなく、K野さん自身に師事してきたつもりで、(不器用な弟子ですが)◯◯会を辞めても変わることがないと思います。
K野さんからいつも教えていただいている事を、自分の感性で考え観察し自分なりの治療や生き方をまだまだ模索中なので、これからも沢山ご意見やヒントを頂いたり参考にさせていただくこととは思いますが、その場所は◯◯会でなくてはならないと言うことはありませんので。
手前勝手な意見ですが、K野さん自身◯◯会で遊ぶよりも、中心塾を開いておられるときの方が生き生きとしているように見えます。」
▼メール2
「これから大阪支部がどうなっていくのか…少し不安ですが、僕はK野さんの独立は賛成です。何ら縛られることなく、後身のためにどんどんK野さんの、理論をさらに高い物へと構築して下さい。
僕自身、最近は◯◯会の練習よりも、K野さんの理論の実践と実現、さらには自分でも何らかの方法を考えてみたいと思って練習してきました。K野さんが独立されるなら、もし良ければ僕も参加せてください。一緒に研究させてもらいたいです。」
#楽隠居です
私は、自分だけがフェードアウト?すればいいだけだと、何時も気楽に考えていました。しかし、結果的には同じ場所で、同じ曜日の同じ時間に、同じようなメンバーで稽古する事になってしまったのです。◯◯会大阪支部の方も、OさんやTさんの御蔭で、順調に発展されているようですので、大変感謝しています。
OS先生には、それまでの経緯を退会届として細かく書かせて頂き、先生からは「創立当時より、困難な御地の状況の中、よく今日まで、発展させて下さったと、心より感謝申し上げます。今後は、静かに私を見守ってください。ご家族皆様のお幸せを、お祈り申し上げます。」という直筆のご丁寧なお手紙を頂戴しました。
時期はちょっとさかのぼって、平成14年8月に中心塾を立ち上げた時には、西宮教室の代表世話人をしてくださっているY川さんから、自分で出来る健康法を教えて欲しいとのご依頼があり、私は自分がいろいろな先生からお教え頂いた事や本を読んで気付いたことなどを、そろそろ皆さんに教えても良い年齢になったかな?と考え、「何人かの人が集まり、開催場所が取れたらご連絡ください。」と軽くお答えしていました。すると数週間後に「場所が取れました。会の名前は何にしておきましょうか?」と電話口で言われ、とっさの思いつきで「中心(軸)塾」にしときましょう。」と言ったのが、ことの始まりでした。
レッスンの内容を考えているうちに、会の名称は「心身観照講座 中心塾」にしようと決めたのですが、参加者の皆さんには、どうも分かりにくいという感触でした。しかし、コンスタントに講座は開催されていましたので、名称についてはあまり気にしていませんでした。
ところが、平成15年5月3日には、私が突然◯◯会からの退会を発表しました。しかし、これからも同じように稽古をしたいという、皆さんからのご要望がありましたので、またまた会の名前を考えないといけなくなったのです。そこで、一応「大東流合気柔術 観照塾」でいくことにしました。大東流合気柔術や合気武術は登録商標か何かにされたとも聞いていたのですが、「まぁ〜いいか?私がOS先生に教えて頂いたのは、大東流合気柔術なんだから」ということで、それまでと何も変わらない稽古をスタートさせたのです。
そうなると、中心塾が心身観照講座では、ちょっとかぶってしまいますよね。そこで、紆余曲折を経て、「センタリング呼吸法」で「呼吸法中心塾」と「合気観照塾」を纏める事になるのですが、そこに辿り着くまでには、さらに2年近くかかってしまいました。
参照1:心身観照ということ
参照2:岡本正剛
その頃に送って頂いたメールの中から、お二人分だけを抜粋してご紹介します。
▼メール1
「以前からいつ来るのかと思うときもありましたが、現実になると少し寂しいものがあります。僕にとっては、◯◯会を通じてK野さんとお会いできたことが人生最大の収穫だと思っていますし、その場から離れられると言うのは一抹の寂しさがないと言うと嘘になります。
しかし、僕にとっては◯◯会のK野さんではなく、K野さん自身に師事してきたつもりで、(不器用な弟子ですが)◯◯会を辞めても変わることがないと思います。
K野さんからいつも教えていただいている事を、自分の感性で考え観察し自分なりの治療や生き方をまだまだ模索中なので、これからも沢山ご意見やヒントを頂いたり参考にさせていただくこととは思いますが、その場所は◯◯会でなくてはならないと言うことはありませんので。
手前勝手な意見ですが、K野さん自身◯◯会で遊ぶよりも、中心塾を開いておられるときの方が生き生きとしているように見えます。」
▼メール2
「これから大阪支部がどうなっていくのか…少し不安ですが、僕はK野さんの独立は賛成です。何ら縛られることなく、後身のためにどんどんK野さんの、理論をさらに高い物へと構築して下さい。
僕自身、最近は◯◯会の練習よりも、K野さんの理論の実践と実現、さらには自分でも何らかの方法を考えてみたいと思って練習してきました。K野さんが独立されるなら、もし良ければ僕も参加せてください。一緒に研究させてもらいたいです。」
#楽隠居です
私は、自分だけがフェードアウト?すればいいだけだと、何時も気楽に考えていました。しかし、結果的には同じ場所で、同じ曜日の同じ時間に、同じようなメンバーで稽古する事になってしまったのです。◯◯会大阪支部の方も、OさんやTさんの御蔭で、順調に発展されているようですので、大変感謝しています。
OS先生には、それまでの経緯を退会届として細かく書かせて頂き、先生からは「創立当時より、困難な御地の状況の中、よく今日まで、発展させて下さったと、心より感謝申し上げます。今後は、静かに私を見守ってください。ご家族皆様のお幸せを、お祈り申し上げます。」という直筆のご丁寧なお手紙を頂戴しました。
時期はちょっとさかのぼって、平成14年8月に中心塾を立ち上げた時には、西宮教室の代表世話人をしてくださっているY川さんから、自分で出来る健康法を教えて欲しいとのご依頼があり、私は自分がいろいろな先生からお教え頂いた事や本を読んで気付いたことなどを、そろそろ皆さんに教えても良い年齢になったかな?と考え、「何人かの人が集まり、開催場所が取れたらご連絡ください。」と軽くお答えしていました。すると数週間後に「場所が取れました。会の名前は何にしておきましょうか?」と電話口で言われ、とっさの思いつきで「中心(軸)塾」にしときましょう。」と言ったのが、ことの始まりでした。
レッスンの内容を考えているうちに、会の名称は「心身観照講座 中心塾」にしようと決めたのですが、参加者の皆さんには、どうも分かりにくいという感触でした。しかし、コンスタントに講座は開催されていましたので、名称についてはあまり気にしていませんでした。
ところが、平成15年5月3日には、私が突然◯◯会からの退会を発表しました。しかし、これからも同じように稽古をしたいという、皆さんからのご要望がありましたので、またまた会の名前を考えないといけなくなったのです。そこで、一応「大東流合気柔術 観照塾」でいくことにしました。大東流合気柔術や合気武術は登録商標か何かにされたとも聞いていたのですが、「まぁ〜いいか?私がOS先生に教えて頂いたのは、大東流合気柔術なんだから」ということで、それまでと何も変わらない稽古をスタートさせたのです。
そうなると、中心塾が心身観照講座では、ちょっとかぶってしまいますよね。そこで、紆余曲折を経て、「センタリング呼吸法」で「呼吸法中心塾」と「合気観照塾」を纏める事になるのですが、そこに辿り着くまでには、さらに2年近くかかってしまいました。
参照1:心身観照ということ
参照2:岡本正剛
by centeringkokyu
| 2006-05-03 00:14
| 合気観照塾