2006年 03月 25日
カザルスとの対話 |
私がカザルスを知ったのは、野口先生の本を読んでからでした。そして是非、カザルスのバッハの無伴奏組曲を聞いてみたいと思ったのです。以下に「野口晴哉 五分間自叙伝」から抜粋してご紹介します。
学歴皆無、ただ自分の眼で見、自分の頭で考え、自分の脚で歩く。かつて本当のこと言いたること無く、嘘のこと為したること無し。
生来音楽を好み、その道場は終日蓄音機が鳴りつづける。バッハを尊び、ストラヴィンスキーを愛し、モツアルトにあこがれ、フォーレを好む。
事を為すや熱中し、事の終るやこれを忘る。事に当って熱中せざることなく、事の終えて悔いたることなし。常に二つの面をもち、いかなる困苦のうちにも冷然と見ている自分をもち、いかなる喜びのうちにも喜べぬ自分をもつ。(中略)
その操法室は常に平等自由にして、到着順を尊び、位階勲等を尊ばず、重役も小使も雑居して順番を待つ。会員数二万七千、操法に倦きれば飛び出し、気の入らぬ人は虫が好かぬと謝絶するも、気性温和、かつて人と争わず、常に〝巧みは自然におよばず〟と犬を愛し、猫を撫で、馬を見て笑う。
整体操法を行いて自ら日本一を自認するも、カザルスを聴くや、しまったとあわて、日本一を自分に取消す。常にカザルスを聴き、発憤精進、書は梧竹を尊び、画は、百穂を愛するも、その家焼失せる際はカザルスのバッハの組曲十二枚を取出したるのみ。これをもって家の焼けたるを忘る。
「カザルスとの対話」 J.M.コレドール 訳=佐藤良雄 白水社 1988年発行
◎修業時代
- バルセロナ市立音楽学校での先生の御勉強ぶりをお話ししてくださいませんか?
和声学と対位法をロドレダに、セロはジョセップ・ガルシアについて学んだ。そのころは、特に作曲に興味を持っていたね。
- 和声のはじめてのレッスンについて・…‥
最初の日、私はあまりおじけづいていたので、先生の説明なんかまるでわからなかった。翌日までにといって出された宿題ときては、なおさらのことだった。すっかり気力を失い、気も狂いそうになって家に帰ってくると、母のふところに飛びこんで泣いた。とても悲観したが、とにかく、私は《自分の思うような》作曲を、先生から与えられた低音部記号の上に書きはじめた。
翌日それを先生に差し出すと、先生はにっこりとほほえんだとみるや、もう泣いておられた。そしてとうとう私を抱きしめたのだった。
一 つぎにセロの御勉強は?
私の先生は、この楽器に非常な天与の才をもっていた。まずその指が長く、細すぎず、太すぎず、運指にとても適していた。その時代の技術や傾向からいえば、ガルシア先生は卓抜なセリストだった。 けれども最初のレッスンのときから、奇妙なばからしい習慣をやっているのをみて、私は意外に思った。私は注意深く講義は聞いたが、家では思いきって私独自の研究と修正の仕事をやって、自分自身用の技術の創作にとりかかった。同級生たちは、私の《脱線》に気づいていった。
「いったいきみはなにをやってるんだい? あとでえらい目にあうぜ。」
しかし私はやめなかった。私は演奏法から、すべての生硬さや無益な束縛を取り払い、私にとって明らかに必要だとは思えないすべての習慣から解放しようと考えた。
- それにしても先生、お話はたいしたことですね!
十二歳の子供がセロの新しい技術を、それもやがては 全世界に広まっていった技術を、たんねんに仕上げておられたとは‥‥‥
どうしてたいしたことなのだね。子供でも観察することはできるのだし、その結果についてよく考えてみることもできるのだ。なぜそう教わるのか、その理由についての疑問だって持つことができる。
当時、私たちは腕を堅くしてひくように命ぜられ、わきの下に本をはさんで演奏することを教わっていた。しかしこんなことがなんの役に立つだろう?私は、右腕をできるだけ柔らかく動かしたほうがよいと思ったので、ひじを自由にするようにした-これは伝統主義者たちを驚かせ、非難の言葉を受けたけれども-ひじを自由にすれば、もっと力強い、そして楽な運弓ができるのである。私は、同じように、左手の運指、つまり左指の位置と、その働きをも改革しようと企てたが、それは私が、いつも簡易で自然だと思われるものに関心を寄せていたからにほかならない。
自然や生命というものは、それを謙虚にしんぼう強く観察しようとするものに対して、絶えず、あふれるばかりの教訓を与えてくれるのである。しかしながら、考察し研究する努力は、修業時代にかぎられたものではない。私は一生を通じてそれをやってきたし、また私のカの許すかぎり続けてゆくものなのだ。
-それではバッハの組曲の発見についてお話しくださいませんか?
ああ、それは私の生涯の一時期を画すできごとだった。父は週に一度、私に会いにやってきた。そのころ私は、すでに普通の大きさのセロを買ってもらっていた。キャフェ・トストで、毎週一回、古典音楽会の独奏者として演奏するための楽譜を捜しに、父と連れ立ってバルセロナの楽器店を歩き回った。
ある日-そのとき私は十三歳だったが一 偶然に一軒の店でバッハの《六つの無伴奏組曲》をみつけた。なんという魅惑的な神秘が、この《六つの無伴奏組曲》という譜のなかにひそんでいたことだろう!私はそのときまで、だれからもこの曲の話を聞かなかったし一私も、私の先生もーそれがあることすら知らなかった。
この発見は生涯での大きな天啓ともいうべきものだった。私はすぐにその特別な重要さをさとったのだ。家にもどる道々、私は自分の宝物にさわってみたり、そっとなでたりしたのだよ。それから夢中になってこの組曲を勉強しはじめたが……公衆の面前で演奏してもよいという気になるまでには、それから十二年も研究をつづけければならなかったのだ。
私より以前には、ヴァイオリニストもセリストも、この大家中の大家であるバッハの組曲やソナタを完全な形でひいたものはなかった。演奏家たちは普通、サラパンドとかガヴォットとかアルマンドとか、その一部分しか演奏しなかったのだ。私の考えは、この作品を少しも省略しないで演奏することだった。すなわちプレリュードと五つの舞曲-それぞれその時代の舞踏の名をもつすぐれた作品-その全部を、繰り返しもともに、各部の緊密な連絡や、内的な統一をあらわすように演奏したい、ということだった。当時これらの曲は、なにかしら冷ややかな学究的なもののようにみなされていた。……しかし冷ややかといわれたバッハが、じつは燦然たる詩情にあふれたものだったのだ!
私が組曲の研究をつぎつぎと進めてゆくにつれて、その偉大さと美の、未知の世界が眼前に開けてきた。この長い勉強の過程で経験した感動は、芸術家としての私の生涯のうちでも、最も純粋で、最も強烈なもののひとつだ。(配布資料139もご一読下さい。)
#管理人です
度々ご紹介させて頂いていますが、武道歌撰集から竹内流(柔術)の道歌を引用します。
師の伝を 受くるばかりを 頼みなば 成就しがたき 工夫鍛練
兵法は 師伝をはなれ わが理をも つくるほどなる 人ぞこのもし
五ツある くせをばひとつ 直しつつ あとの四ツをば しだいしだいに
身は社 こころは神で 有りながら 外を尋ぬる おろかなりけり
最後に、植芝盛平翁の道歌から引用させて頂きます。
天地(あめつち)に 気むすびなして 中に立ち 心がまえは 山彦の道
合気とは 筆や口には つくされず 言(こと)ぶれせずに 悟り行へ
これからは、ゴチャゴチャ言わないように気をつけます。ハイ!
学歴皆無、ただ自分の眼で見、自分の頭で考え、自分の脚で歩く。かつて本当のこと言いたること無く、嘘のこと為したること無し。
生来音楽を好み、その道場は終日蓄音機が鳴りつづける。バッハを尊び、ストラヴィンスキーを愛し、モツアルトにあこがれ、フォーレを好む。
事を為すや熱中し、事の終るやこれを忘る。事に当って熱中せざることなく、事の終えて悔いたることなし。常に二つの面をもち、いかなる困苦のうちにも冷然と見ている自分をもち、いかなる喜びのうちにも喜べぬ自分をもつ。(中略)
その操法室は常に平等自由にして、到着順を尊び、位階勲等を尊ばず、重役も小使も雑居して順番を待つ。会員数二万七千、操法に倦きれば飛び出し、気の入らぬ人は虫が好かぬと謝絶するも、気性温和、かつて人と争わず、常に〝巧みは自然におよばず〟と犬を愛し、猫を撫で、馬を見て笑う。
整体操法を行いて自ら日本一を自認するも、カザルスを聴くや、しまったとあわて、日本一を自分に取消す。常にカザルスを聴き、発憤精進、書は梧竹を尊び、画は、百穂を愛するも、その家焼失せる際はカザルスのバッハの組曲十二枚を取出したるのみ。これをもって家の焼けたるを忘る。
「カザルスとの対話」 J.M.コレドール 訳=佐藤良雄 白水社 1988年発行
◎修業時代
- バルセロナ市立音楽学校での先生の御勉強ぶりをお話ししてくださいませんか?
和声学と対位法をロドレダに、セロはジョセップ・ガルシアについて学んだ。そのころは、特に作曲に興味を持っていたね。
- 和声のはじめてのレッスンについて・…‥
最初の日、私はあまりおじけづいていたので、先生の説明なんかまるでわからなかった。翌日までにといって出された宿題ときては、なおさらのことだった。すっかり気力を失い、気も狂いそうになって家に帰ってくると、母のふところに飛びこんで泣いた。とても悲観したが、とにかく、私は《自分の思うような》作曲を、先生から与えられた低音部記号の上に書きはじめた。
翌日それを先生に差し出すと、先生はにっこりとほほえんだとみるや、もう泣いておられた。そしてとうとう私を抱きしめたのだった。
一 つぎにセロの御勉強は?
私の先生は、この楽器に非常な天与の才をもっていた。まずその指が長く、細すぎず、太すぎず、運指にとても適していた。その時代の技術や傾向からいえば、ガルシア先生は卓抜なセリストだった。 けれども最初のレッスンのときから、奇妙なばからしい習慣をやっているのをみて、私は意外に思った。私は注意深く講義は聞いたが、家では思いきって私独自の研究と修正の仕事をやって、自分自身用の技術の創作にとりかかった。同級生たちは、私の《脱線》に気づいていった。
「いったいきみはなにをやってるんだい? あとでえらい目にあうぜ。」
しかし私はやめなかった。私は演奏法から、すべての生硬さや無益な束縛を取り払い、私にとって明らかに必要だとは思えないすべての習慣から解放しようと考えた。
- それにしても先生、お話はたいしたことですね!
十二歳の子供がセロの新しい技術を、それもやがては 全世界に広まっていった技術を、たんねんに仕上げておられたとは‥‥‥
どうしてたいしたことなのだね。子供でも観察することはできるのだし、その結果についてよく考えてみることもできるのだ。なぜそう教わるのか、その理由についての疑問だって持つことができる。
当時、私たちは腕を堅くしてひくように命ぜられ、わきの下に本をはさんで演奏することを教わっていた。しかしこんなことがなんの役に立つだろう?私は、右腕をできるだけ柔らかく動かしたほうがよいと思ったので、ひじを自由にするようにした-これは伝統主義者たちを驚かせ、非難の言葉を受けたけれども-ひじを自由にすれば、もっと力強い、そして楽な運弓ができるのである。私は、同じように、左手の運指、つまり左指の位置と、その働きをも改革しようと企てたが、それは私が、いつも簡易で自然だと思われるものに関心を寄せていたからにほかならない。
自然や生命というものは、それを謙虚にしんぼう強く観察しようとするものに対して、絶えず、あふれるばかりの教訓を与えてくれるのである。しかしながら、考察し研究する努力は、修業時代にかぎられたものではない。私は一生を通じてそれをやってきたし、また私のカの許すかぎり続けてゆくものなのだ。
-それではバッハの組曲の発見についてお話しくださいませんか?
ああ、それは私の生涯の一時期を画すできごとだった。父は週に一度、私に会いにやってきた。そのころ私は、すでに普通の大きさのセロを買ってもらっていた。キャフェ・トストで、毎週一回、古典音楽会の独奏者として演奏するための楽譜を捜しに、父と連れ立ってバルセロナの楽器店を歩き回った。
ある日-そのとき私は十三歳だったが一 偶然に一軒の店でバッハの《六つの無伴奏組曲》をみつけた。なんという魅惑的な神秘が、この《六つの無伴奏組曲》という譜のなかにひそんでいたことだろう!私はそのときまで、だれからもこの曲の話を聞かなかったし一私も、私の先生もーそれがあることすら知らなかった。
この発見は生涯での大きな天啓ともいうべきものだった。私はすぐにその特別な重要さをさとったのだ。家にもどる道々、私は自分の宝物にさわってみたり、そっとなでたりしたのだよ。それから夢中になってこの組曲を勉強しはじめたが……公衆の面前で演奏してもよいという気になるまでには、それから十二年も研究をつづけければならなかったのだ。
私より以前には、ヴァイオリニストもセリストも、この大家中の大家であるバッハの組曲やソナタを完全な形でひいたものはなかった。演奏家たちは普通、サラパンドとかガヴォットとかアルマンドとか、その一部分しか演奏しなかったのだ。私の考えは、この作品を少しも省略しないで演奏することだった。すなわちプレリュードと五つの舞曲-それぞれその時代の舞踏の名をもつすぐれた作品-その全部を、繰り返しもともに、各部の緊密な連絡や、内的な統一をあらわすように演奏したい、ということだった。当時これらの曲は、なにかしら冷ややかな学究的なもののようにみなされていた。……しかし冷ややかといわれたバッハが、じつは燦然たる詩情にあふれたものだったのだ!
私が組曲の研究をつぎつぎと進めてゆくにつれて、その偉大さと美の、未知の世界が眼前に開けてきた。この長い勉強の過程で経験した感動は、芸術家としての私の生涯のうちでも、最も純粋で、最も強烈なもののひとつだ。(配布資料139もご一読下さい。)
#管理人です
度々ご紹介させて頂いていますが、武道歌撰集から竹内流(柔術)の道歌を引用します。
師の伝を 受くるばかりを 頼みなば 成就しがたき 工夫鍛練
兵法は 師伝をはなれ わが理をも つくるほどなる 人ぞこのもし
五ツある くせをばひとつ 直しつつ あとの四ツをば しだいしだいに
身は社 こころは神で 有りながら 外を尋ぬる おろかなりけり
最後に、植芝盛平翁の道歌から引用させて頂きます。
天地(あめつち)に 気むすびなして 中に立ち 心がまえは 山彦の道
合気とは 筆や口には つくされず 言(こと)ぶれせずに 悟り行へ
これからは、ゴチャゴチャ言わないように気をつけます。ハイ!
by centeringkokyu
| 2006-03-25 00:07
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