2006年 03月 23日
お稽古の感想 |
K村さんから投稿して頂きましたので、ご紹介します。
いまから書かせていただくのは私自身、自分の中を整理するためにだけの作業ですので、それ以外の大意はありません。失礼な表現があればお許しください。お付合いいただける方だけ見てください。お願いします。
3月11日 この日は、雨でもありましたので、何時もより少し人数も少なかったようです。その分ラッキーという方もおられたと思いますが。
このところ、身体動作を合気道につなぎ直す。 そんな感じを受けながら再確認させていただく連続です。(合気道をなさっている方には失礼な表現かも知れませんが、私も経験者のひとりでしたので、お許し頂ければと思います。)
いわゆる『体の転換』を行ないました。
ここでいう『体の転換』とは、引っ張りあいや、愛のある(?)共同作業。他の武術をなさっている方が見ると、何故そこで打ち込まないだろう。と思われるような動きではないのです。
相手の中心と全体にちゃんとアプローチした変換運動です。簡単にいうとK野先生の表現される『へ・た・レ』ということなのですね。
くわえることができる。ちゃんと立てる。反り返らずに芯が伸びる。そのまま方向転換している。 といったところでしょうか。 『ちゃんと』という言葉の中に、その人それぞれの検証(顕正)段階があって、私もまだまだ途中経過ですので、その辺りの詳細は他の方々が上手く表現なさっておられるので、そちらにおまかせいたします。
もちろん相手と接触する前には、すでに仙骨に吸い込む。会陰を引き上げる。横隔膜を引き上げる。頚椎を伸ばす。遠近両用の視線(?)。大転子の位置。丹田感覚。身勢などなど、イチローではないですが、たくさんのチェック項目があるのでしょうね。
今回その積み重ねが『ワールドチャンピオンおめでとう!!』 と賞賛されるところまでイチローは進化したのだなぁと、テレビ放映を観ながら感じています。
はじめは自分自身の追究の作業の中から、(この間は、禅僧みたいだとか、風貌がキリストみたいとか。暗くて嫌だとか、評価はさまざまでした。)そしてついには意識の転換におよび、チームメイトの意識改革(転換)の刺激を促して、結果をつかんだように私には映りました。
話しはそれたようですが、細かい様なこの作業(内観)をしていかない限り、愛のある共同作業の段階で満足してしまうんでしょうね。簡単にパンチが入っちゃうよね。なんて思われているかも知れません。
何処で満足するのか、できるのかは、人それぞれの好みの問題ですので、その選択には優劣もなく上下も無いと思います。
やっていてそれが楽しいのか楽しくないのかだけの違いでしょうか。 どちらにしても、やってない人の意見は論外でしょう。
とじキツネうどんを何処の店で食べるか、『銭形』さんなのか『阪急そば』なのか『路地ウラ』のまだ知らない所なのかの違いだけなんでしょうね。
せっかく教えていただいている技のことについて、結局上手く書けませんでしたが、また次回ご報告いたします。
#管理人です
転換を辞書で調べてみますと、物事をそれまでとは別のものに変えること。また、別の方向に変わる事と書かれていました。多分、大東流にはない考え方だと思います。何故かというと、接触した時には終わっている技が多いからです。合気道では、相手を導くという考え方から、相手の力や意識の方向を変えてから、相手の反応に合わせて技になっていくのだと思われます。
ですから、転換してから、前方投げになるのか、四方投げになるのか、入り身投げになるのかは、相手に喰い込み、喰い合わせていく過程で、自ずから決まってくるのではないでしょうか。
◯◯投げを稽古するのか、動きの中から自然と◯◯投げに転換していくのかでは、その原理と術理の考え方は違って来るかもしれません。ということで、出来るだけ初心者の頭を固めないような稽古をして行きたいと思っています。相手と動いて行く途中経過を感じながら、必要条件を体感して行くに為には、合気道の方が分かりやすいかもしれませんね。
田中万川先生は確か、技に名前はついて無いんやとおっしゃっていました。おおざっぱな名前はあっても、動けば技になるのだから、技に厳密な名前の付けようは無いですね!
そうそう、稽古の時には、話のついでに、八卦掌の歩法もちょっとやってみました。転換との共通項を体感して頂く為に。イチローの件に関しましては、配布資料030をご一読ください。
いまから書かせていただくのは私自身、自分の中を整理するためにだけの作業ですので、それ以外の大意はありません。失礼な表現があればお許しください。お付合いいただける方だけ見てください。お願いします。
3月11日 この日は、雨でもありましたので、何時もより少し人数も少なかったようです。その分ラッキーという方もおられたと思いますが。
このところ、身体動作を合気道につなぎ直す。 そんな感じを受けながら再確認させていただく連続です。(合気道をなさっている方には失礼な表現かも知れませんが、私も経験者のひとりでしたので、お許し頂ければと思います。)
いわゆる『体の転換』を行ないました。
ここでいう『体の転換』とは、引っ張りあいや、愛のある(?)共同作業。他の武術をなさっている方が見ると、何故そこで打ち込まないだろう。と思われるような動きではないのです。
相手の中心と全体にちゃんとアプローチした変換運動です。簡単にいうとK野先生の表現される『へ・た・レ』ということなのですね。
くわえることができる。ちゃんと立てる。反り返らずに芯が伸びる。そのまま方向転換している。 といったところでしょうか。 『ちゃんと』という言葉の中に、その人それぞれの検証(顕正)段階があって、私もまだまだ途中経過ですので、その辺りの詳細は他の方々が上手く表現なさっておられるので、そちらにおまかせいたします。
もちろん相手と接触する前には、すでに仙骨に吸い込む。会陰を引き上げる。横隔膜を引き上げる。頚椎を伸ばす。遠近両用の視線(?)。大転子の位置。丹田感覚。身勢などなど、イチローではないですが、たくさんのチェック項目があるのでしょうね。
今回その積み重ねが『ワールドチャンピオンおめでとう!!』 と賞賛されるところまでイチローは進化したのだなぁと、テレビ放映を観ながら感じています。
はじめは自分自身の追究の作業の中から、(この間は、禅僧みたいだとか、風貌がキリストみたいとか。暗くて嫌だとか、評価はさまざまでした。)そしてついには意識の転換におよび、チームメイトの意識改革(転換)の刺激を促して、結果をつかんだように私には映りました。
話しはそれたようですが、細かい様なこの作業(内観)をしていかない限り、愛のある共同作業の段階で満足してしまうんでしょうね。簡単にパンチが入っちゃうよね。なんて思われているかも知れません。
何処で満足するのか、できるのかは、人それぞれの好みの問題ですので、その選択には優劣もなく上下も無いと思います。
やっていてそれが楽しいのか楽しくないのかだけの違いでしょうか。 どちらにしても、やってない人の意見は論外でしょう。
とじキツネうどんを何処の店で食べるか、『銭形』さんなのか『阪急そば』なのか『路地ウラ』のまだ知らない所なのかの違いだけなんでしょうね。
せっかく教えていただいている技のことについて、結局上手く書けませんでしたが、また次回ご報告いたします。
#管理人です
転換を辞書で調べてみますと、物事をそれまでとは別のものに変えること。また、別の方向に変わる事と書かれていました。多分、大東流にはない考え方だと思います。何故かというと、接触した時には終わっている技が多いからです。合気道では、相手を導くという考え方から、相手の力や意識の方向を変えてから、相手の反応に合わせて技になっていくのだと思われます。
ですから、転換してから、前方投げになるのか、四方投げになるのか、入り身投げになるのかは、相手に喰い込み、喰い合わせていく過程で、自ずから決まってくるのではないでしょうか。
◯◯投げを稽古するのか、動きの中から自然と◯◯投げに転換していくのかでは、その原理と術理の考え方は違って来るかもしれません。ということで、出来るだけ初心者の頭を固めないような稽古をして行きたいと思っています。相手と動いて行く途中経過を感じながら、必要条件を体感して行くに為には、合気道の方が分かりやすいかもしれませんね。
田中万川先生は確か、技に名前はついて無いんやとおっしゃっていました。おおざっぱな名前はあっても、動けば技になるのだから、技に厳密な名前の付けようは無いですね!
そうそう、稽古の時には、話のついでに、八卦掌の歩法もちょっとやってみました。転換との共通項を体感して頂く為に。イチローの件に関しましては、配布資料030をご一読ください。
by centeringkokyu
| 2006-03-23 00:13
| 合気観照塾