2006年 03月 22日
手の形 雑感 |
大東流では「朝顔の手」が大切だと言われているようです。私が一番印象的に残っているのは、合気ニュースから1992年に出版された「武田惣角と大東流合気柔術」という本の裏表紙に使われていた写真でした。その写真は若き日の武田惣角先生が、和服姿で帽子を冠り、右手には鉄扇のようなものを持ち、左手は全ての指先を均等にテーブルに押し付けて立っている姿を写したものでした。この左右の手に大きなヒントがあるような気がしたのです。
武田惣角先生が、布団の中で手の形を色々と工夫しているところを見られて、慌てて手を隠したという話をどこかで読んだ気がしますし、技を掛けている時の手の形を見れば、合気が出来るかどうかが分かると言っておられた先生もいらっしゃいました。
少林寺拳法では、「鈎手の理」として、手を曲げて肘をわき腹に付け、半身の体勢になり五指を張った方法を「鈎手守法」と呼び、この「鈎手の理」で相手の腕を伸ばすことができれば、小さな力であっても相手を制することができると教えていますし、八光流では「八光に開く」ことが大切だと言われています。
少林寺拳法の鈎手守法に関しては、昔々「あらはん」という少林寺拳法の雑誌に、ある先生が「親指と小指を相対して使う意識が大切」というような意味のことを書かれていたのを読んで、学生時代の鈎手守法の認識が、私はまだまだ甘かったのだと気付きました。
同じ「手をパッと開く」という表現でも、初歩の人に教えるのと、ある程度の経験者に教えるのとでは、要訣の細かさや表現方法も違ってきて当然だと思います。さらに、写真を載せている場合でも、どこまでを見せようとしているのかや、何を隠そうとしているのかによっても、写す角度などが変わってくるかもしれません。
田中万川先生の「合気道神髄」に掲載された図には、中指に中心・人差し指に気・親指に腹・掌の中心(労宮)には、光と書かれていました。この教えも参考にさせて頂きました。親指と腹の繋がりというのは、体内感覚を厳密にしていくと、なかなか面白い表現だと思っています。さらに、私は勝手に解釈して、人差し指には方向性も含まれるのではないかと考えています。
「朝顔の手」というのも、蕾みから花が開ききるまでを、自分で自分の手首を掴んで、親指・小指・中指を特に意識しながら開閉してみると、手首から腕に掛けての内圧の均等性の大切さに気付けるかもしれません。これを「パスカルの法則」ともこじつけて考えています。
相手からの力は分散させ、こちらからの力は、一点に集中させるということも、単位面積当たりの力の掛かり方や、相手の弱い所に水を注ぎ込むという表現との関連性を考えると当然だとも言えます。しかし、この辺りの事は、私にも定かではありません。
太極拳では単鞭(たんべん)という手の形があります。こちらも流派によって微妙にその形の作り方は異なるようですが、私の場合は、出来るだけ全部の指先を伸ばして、中指の下側に人差し指と薬指をくっつけ、その下側に親指と小指をくっつけるという形をとることにしています。
そして、「朝顔の手」を稽古する時には、単鞭の手の形から徐々に手首を起こしながら、それぞれの指先を相対させつつ「八光に開く」のが良いのではないかと考えています。「合気の身体になれるかもしれない体操」では、丹田感覚を意識しながら、その辺りの稽古ができるようにしてある積もりなのですが・・・
また、肥田式強健術では「集約拳」が使われています。これは、人差し指と中指を曲げ、それらの爪の部分を親指の内側で押さえ、親指の爪の部分を薬指を小指で握りるものですが、私の場合には、先に親指の爪の部分を薬指で握り次に小指を握りしめます。この状態の時には、人差し指と中指はまだ、真直ぐ伸ばしておきます。次に、親指の第一関節の両側に中指と人差し指の爪の部分を差し込むようにして当てています。見た目は別に変わりませんので、お好きな方法をお試し下さい。
このように、私は「単鞭」と「八光に開く」というのが、基本的な手の開閉の両極端で、その途中の状態全てを「朝顔の手」と表現しているのかもしれないと考えています。また、「集約拳」は、丹田感覚を身につけるには良い方法だとも思っています。
この辺りの事を意識しながら、「合気の身体になれるかもしれない体操」や「合気道で行う呼吸法」を是非お試し下さい。
来月からは、「合気の身体になれるかもしれない体操」と「ボールに習う」がテーマになります。もう書く事もなくなりましたので、これからは精々皆さんに疑問点や質問・感想などを投稿して「突っ込み」を入れて頂いてから、私が少しだけ「ぼける」ことにしたいと思っていますので、よろしくお願い致しま〜す。まぁ〜もう既に充分ぼけてはいますがネ・・・
武田惣角先生が、布団の中で手の形を色々と工夫しているところを見られて、慌てて手を隠したという話をどこかで読んだ気がしますし、技を掛けている時の手の形を見れば、合気が出来るかどうかが分かると言っておられた先生もいらっしゃいました。
少林寺拳法では、「鈎手の理」として、手を曲げて肘をわき腹に付け、半身の体勢になり五指を張った方法を「鈎手守法」と呼び、この「鈎手の理」で相手の腕を伸ばすことができれば、小さな力であっても相手を制することができると教えていますし、八光流では「八光に開く」ことが大切だと言われています。
少林寺拳法の鈎手守法に関しては、昔々「あらはん」という少林寺拳法の雑誌に、ある先生が「親指と小指を相対して使う意識が大切」というような意味のことを書かれていたのを読んで、学生時代の鈎手守法の認識が、私はまだまだ甘かったのだと気付きました。
同じ「手をパッと開く」という表現でも、初歩の人に教えるのと、ある程度の経験者に教えるのとでは、要訣の細かさや表現方法も違ってきて当然だと思います。さらに、写真を載せている場合でも、どこまでを見せようとしているのかや、何を隠そうとしているのかによっても、写す角度などが変わってくるかもしれません。
田中万川先生の「合気道神髄」に掲載された図には、中指に中心・人差し指に気・親指に腹・掌の中心(労宮)には、光と書かれていました。この教えも参考にさせて頂きました。親指と腹の繋がりというのは、体内感覚を厳密にしていくと、なかなか面白い表現だと思っています。さらに、私は勝手に解釈して、人差し指には方向性も含まれるのではないかと考えています。
「朝顔の手」というのも、蕾みから花が開ききるまでを、自分で自分の手首を掴んで、親指・小指・中指を特に意識しながら開閉してみると、手首から腕に掛けての内圧の均等性の大切さに気付けるかもしれません。これを「パスカルの法則」ともこじつけて考えています。
相手からの力は分散させ、こちらからの力は、一点に集中させるということも、単位面積当たりの力の掛かり方や、相手の弱い所に水を注ぎ込むという表現との関連性を考えると当然だとも言えます。しかし、この辺りの事は、私にも定かではありません。
太極拳では単鞭(たんべん)という手の形があります。こちらも流派によって微妙にその形の作り方は異なるようですが、私の場合は、出来るだけ全部の指先を伸ばして、中指の下側に人差し指と薬指をくっつけ、その下側に親指と小指をくっつけるという形をとることにしています。
そして、「朝顔の手」を稽古する時には、単鞭の手の形から徐々に手首を起こしながら、それぞれの指先を相対させつつ「八光に開く」のが良いのではないかと考えています。「合気の身体になれるかもしれない体操」では、丹田感覚を意識しながら、その辺りの稽古ができるようにしてある積もりなのですが・・・
また、肥田式強健術では「集約拳」が使われています。これは、人差し指と中指を曲げ、それらの爪の部分を親指の内側で押さえ、親指の爪の部分を薬指を小指で握りるものですが、私の場合には、先に親指の爪の部分を薬指で握り次に小指を握りしめます。この状態の時には、人差し指と中指はまだ、真直ぐ伸ばしておきます。次に、親指の第一関節の両側に中指と人差し指の爪の部分を差し込むようにして当てています。見た目は別に変わりませんので、お好きな方法をお試し下さい。
このように、私は「単鞭」と「八光に開く」というのが、基本的な手の開閉の両極端で、その途中の状態全てを「朝顔の手」と表現しているのかもしれないと考えています。また、「集約拳」は、丹田感覚を身につけるには良い方法だとも思っています。
この辺りの事を意識しながら、「合気の身体になれるかもしれない体操」や「合気道で行う呼吸法」を是非お試し下さい。
来月からは、「合気の身体になれるかもしれない体操」と「ボールに習う」がテーマになります。もう書く事もなくなりましたので、これからは精々皆さんに疑問点や質問・感想などを投稿して「突っ込み」を入れて頂いてから、私が少しだけ「ぼける」ことにしたいと思っていますので、よろしくお願い致しま〜す。まぁ〜もう既に充分ぼけてはいますがネ・・・
by centeringkokyu
| 2006-03-22 00:23
| 合気観照塾