2006年 03月 19日
生活の中の合気道 |
「生活の中の合気道」 合気道本部師範部長・九段 藤平光一著 昭和39年12月発行から、呼吸法について抜粋します。
四 呼吸法
古来、心を統一する方法は数々ある。統一とは力を意味する。光も集中すれば強い力となる様に、心も、これを集中すれば偉大なる力を生ずる。「精神一度到れば、何事かならざらん」と古人もいっているが、何事か大事を成就する者は、必ず心を集中する事に長じているものである。
神に帰依し、一心に祈るのも、心を統一する方法に違いない。真に信仰に徹した者の、その精神力の偉大なる事は、古今東西の歴史に徹しても明白である。禅やヨガのごとく、静座瞑目するのも、心を統一する優れた方法である。
科学者が研究に全精神を打ちこみ、又農家の人が農事に真剣に打ちこんでいるのも、又、心を統一した姿である。
しかし世の中には、一つの事に心を集中できない人がたくさんいる。かりに自分で集中したとしても、集中力の弱い人が多い。心を集中するには、やはり訓練をする事が必要である。
今ここに、各人が人に頼らず日常行い得る心の統一法の一つとして、呼吸法を紹介しよう。
呼吸法にも、古来、幾多の方法がある。
鼻から吸って口からはく法、鼻から吸って鼻からはく法、口から吸って鼻からはく法、或は、呼吸法の時、動作を加えてこれを行う法等、いろいろある。その中から、まず第一に、初心者が間違いなく容易に稽古でき、しかも最も効果のある方法として、日本に古来より伝わる「みそぎの呼吸法」別名、おきながの呼吸法を説明しよう。(「みそぎの呼吸法」は省略させて頂きます)
2 合気道で行う呼吸法
次に、合気道でよく稽古前に行う呼吸法について述べよう。これは鼻からすって鼻からはく方法である。
(1) 半歩開いて立つ。この呼吸法では眼を開いても閉じても、どちらでもよい。両腕を自然にたらして指を開く (2a図)。
(2) 口をむすび、天地の気を吸いこむ様に息を鼻から吸い上げる。同時に開いた指先からも気を吸いこむ様に、指先を小指の側から順ににぎりしめる。
息を吸いこむと共に、序々に爪先立ちになる。息を吸いこむ時間は約5秒位(2b図)。
(3) 充分息を吸いこんだら、両拳を地面につき立てるつもりで下ろすと同時に、臍下の一点に力を入れながら、からとぎ下ろす(2C図)。(本文のママですが、かかとを下ろす?でしょうか)
この時の臍下の一点は気をしずめるのではなく、全身の力をここに入れるのである。そうすれば全身に力がたぎる感じがする。そうしたまま、5秒位じっとこらえている。
(4) 口をとじたまま、鼻から全身の力を押し出す様に息をはき始める。それと同時に両手の指を序々に開き、開き切ったら、掌で更に地面を押えつける様にしながら、2d図の点線の様に内側にまき、息をはき終った時、再び臍下の一点に力を入れると同時に、両拳で更に一段と地面を押える様にする。息をはき始めてから、この間、十秒位かかる。
(5) はき終ったら、すぐ指を開いて又外側に向け、2a図の姿.に戻り、息を吸い始める。
心身一致の状態に深く入り、本当に力のつくのは、前記のみそぎの呼吸法には及ばないが、この方法は、日常短時間に行えるところに利点がある。五度か六度行うだけでよいのであるから、一回二十秒としてもー分半か二分で行なう事ができる。
この呼吸法で、特に臍下の一点に肉体的な力を入れるというのには理由がある。非常に疲れたり、又は驚いたり、心配したり、腹が立ったりした時に、臍下の一点に心をしずめようとしてもなかなかしずまらない事がある。否、臍下の一点が自分で見つからない事がある。そういう場合に、この呼吸法を行なえば非常に効果がある。呼吸法を行わずに、ただ下腹に力を入れたりすると血が上にあがって、かえって臍下の一点を見失ってしまう。呼吸法と共に力を入れるから、力を臍下の一点に集中できるのである。一度、全身を統一した状態に置き、この上であらためてリラックスすれば、自ずから気を臍下の一点におさめる事ができるのである。
疲れている時などこの方法で行うと、短時間に力を回復できる。疲れている時は、心と身体がバラバラになっている。そういう時にこの方法で統一すれば、そこから新たな力がわき起るのである。
疲れていない時でも、何かを行う時、それにかかる前にこの呼吸法を行ってから「さあ始めよう」と事にかかるならば、伸びのびとして充分自分の力を発揮できよう。
#管理人です
藤平会長の講演会では、「みそぎの呼吸法」を中心に教えておられましたし、「寒中呼吸の行」なども、一番寒い時期に窓を開け放ち、雪が道場内に降り込むような日にも、一時間近く呼吸法を続けたようです。一週間ほどの行を皆勤すると、藤平会長の書「信奉宇宙霊感応即〜」のコピーを頂けたようですが、私は体力気力共にありませんでしたので、皆欠席させて頂きました。
普段の生活でも、歩きながらや車を運転しながら「みそぎの呼吸法」の稽古をした時期がありましたが、その後いろいろとやってみて、自分にはあまり合わないと判断しました。どうも長く息を吐こうとして、喉を締めてしまうようなのです。これは私の問題なのですが、野口整体で「邪気を吐く」ことを一生懸命にした人や、ヨガやコーラスをしている方達の中にも、共通の癖になっている場合があります。
四 呼吸法
古来、心を統一する方法は数々ある。統一とは力を意味する。光も集中すれば強い力となる様に、心も、これを集中すれば偉大なる力を生ずる。「精神一度到れば、何事かならざらん」と古人もいっているが、何事か大事を成就する者は、必ず心を集中する事に長じているものである。
神に帰依し、一心に祈るのも、心を統一する方法に違いない。真に信仰に徹した者の、その精神力の偉大なる事は、古今東西の歴史に徹しても明白である。禅やヨガのごとく、静座瞑目するのも、心を統一する優れた方法である。
科学者が研究に全精神を打ちこみ、又農家の人が農事に真剣に打ちこんでいるのも、又、心を統一した姿である。
しかし世の中には、一つの事に心を集中できない人がたくさんいる。かりに自分で集中したとしても、集中力の弱い人が多い。心を集中するには、やはり訓練をする事が必要である。
今ここに、各人が人に頼らず日常行い得る心の統一法の一つとして、呼吸法を紹介しよう。
呼吸法にも、古来、幾多の方法がある。
鼻から吸って口からはく法、鼻から吸って鼻からはく法、口から吸って鼻からはく法、或は、呼吸法の時、動作を加えてこれを行う法等、いろいろある。その中から、まず第一に、初心者が間違いなく容易に稽古でき、しかも最も効果のある方法として、日本に古来より伝わる「みそぎの呼吸法」別名、おきながの呼吸法を説明しよう。(「みそぎの呼吸法」は省略させて頂きます)
2 合気道で行う呼吸法
次に、合気道でよく稽古前に行う呼吸法について述べよう。これは鼻からすって鼻からはく方法である。
(1) 半歩開いて立つ。この呼吸法では眼を開いても閉じても、どちらでもよい。両腕を自然にたらして指を開く (2a図)。
(2) 口をむすび、天地の気を吸いこむ様に息を鼻から吸い上げる。同時に開いた指先からも気を吸いこむ様に、指先を小指の側から順ににぎりしめる。
息を吸いこむと共に、序々に爪先立ちになる。息を吸いこむ時間は約5秒位(2b図)。
(3) 充分息を吸いこんだら、両拳を地面につき立てるつもりで下ろすと同時に、臍下の一点に力を入れながら、からとぎ下ろす(2C図)。(本文のママですが、かかとを下ろす?でしょうか)
この時の臍下の一点は気をしずめるのではなく、全身の力をここに入れるのである。そうすれば全身に力がたぎる感じがする。そうしたまま、5秒位じっとこらえている。
(4) 口をとじたまま、鼻から全身の力を押し出す様に息をはき始める。それと同時に両手の指を序々に開き、開き切ったら、掌で更に地面を押えつける様にしながら、2d図の点線の様に内側にまき、息をはき終った時、再び臍下の一点に力を入れると同時に、両拳で更に一段と地面を押える様にする。息をはき始めてから、この間、十秒位かかる。
(5) はき終ったら、すぐ指を開いて又外側に向け、2a図の姿.に戻り、息を吸い始める。
心身一致の状態に深く入り、本当に力のつくのは、前記のみそぎの呼吸法には及ばないが、この方法は、日常短時間に行えるところに利点がある。五度か六度行うだけでよいのであるから、一回二十秒としてもー分半か二分で行なう事ができる。
この呼吸法で、特に臍下の一点に肉体的な力を入れるというのには理由がある。非常に疲れたり、又は驚いたり、心配したり、腹が立ったりした時に、臍下の一点に心をしずめようとしてもなかなかしずまらない事がある。否、臍下の一点が自分で見つからない事がある。そういう場合に、この呼吸法を行なえば非常に効果がある。呼吸法を行わずに、ただ下腹に力を入れたりすると血が上にあがって、かえって臍下の一点を見失ってしまう。呼吸法と共に力を入れるから、力を臍下の一点に集中できるのである。一度、全身を統一した状態に置き、この上であらためてリラックスすれば、自ずから気を臍下の一点におさめる事ができるのである。
疲れている時などこの方法で行うと、短時間に力を回復できる。疲れている時は、心と身体がバラバラになっている。そういう時にこの方法で統一すれば、そこから新たな力がわき起るのである。
疲れていない時でも、何かを行う時、それにかかる前にこの呼吸法を行ってから「さあ始めよう」と事にかかるならば、伸びのびとして充分自分の力を発揮できよう。
#管理人です
藤平会長の講演会では、「みそぎの呼吸法」を中心に教えておられましたし、「寒中呼吸の行」なども、一番寒い時期に窓を開け放ち、雪が道場内に降り込むような日にも、一時間近く呼吸法を続けたようです。一週間ほどの行を皆勤すると、藤平会長の書「信奉宇宙霊感応即〜」のコピーを頂けたようですが、私は体力気力共にありませんでしたので、皆欠席させて頂きました。
普段の生活でも、歩きながらや車を運転しながら「みそぎの呼吸法」の稽古をした時期がありましたが、その後いろいろとやってみて、自分にはあまり合わないと判断しました。どうも長く息を吐こうとして、喉を締めてしまうようなのです。これは私の問題なのですが、野口整体で「邪気を吐く」ことを一生懸命にした人や、ヨガやコーラスをしている方達の中にも、共通の癖になっている場合があります。
by centeringkokyu
| 2006-03-19 14:54
| スポーツ関連