2006年 03月 16日
合気道の基本 |
以前、「舟漕ぎ運動」に付いての私の考え方は、書いた事があります。最近久しぶりに気の研究会時代に習った、「面打ち一教運動」や「前後運動」と「八方運動」に興味を持っています。
気の研究会時代に習った剣の使い方は、新陰流を習い始めた時に忘れる事にしました。柔らかい手の内を目指していたのですが、やはり一度は思い切り糞握りにして稽古するべきだと考え、バンバン打ち込んで、稽古が終わって剣を離す時に、指が開かなくなるような状態になりました。本当は間違った稽古なのでしょうが、力ずくでは駄目なことを実感しました。
最近は、何故「座取り正面打ち」が重要なのか、少し考えるようになりました。今までは、正面打ちや横面打ちの稽古も、身体の使い方が雑になりかねないので、あまりしませんでした。しかし、前回の稽古で体験して頂きましたように、打ち手は、相手の腕に接触した状態から、全身を使って斬り押さえるような攻め方をして、受け手(仕手)は、その五分五分の状態から相手の中心を崩して力を返していくための必要条件を満たしていくと面白いのではないかと考えたのです。
その場合に、意識と身体の使い方をアルファー1〜3に分けて試してみて、その微妙な違いを実感して頂けたのではないかと思います。別の表現をすれば、初級・中級・上級のレベルに分ける要素とも考えられます。
剣を使った「前後運動」や「八方運動」も、「切り落とし」の応用編だと考えて、手の内・もの打ち・ 西江水を意識して稽古すると、また違った味わいになるのではないでしょうか。勿論、この場合もアルファー1〜3の違いを明確に意識する必要があります。しかし、気の研究会で教えている統一道の初級・中級・上級のテスト方法とは、また違うような気もします。
まあ〜、私も自分で何をしているのか分からなくなっている今日この頃ですが、やはり昔の人は偉かったと思います。現代人が新たに発見するような事は、多分何もないのですから・・・
参照:仮説
気の研究会時代に習った剣の使い方は、新陰流を習い始めた時に忘れる事にしました。柔らかい手の内を目指していたのですが、やはり一度は思い切り糞握りにして稽古するべきだと考え、バンバン打ち込んで、稽古が終わって剣を離す時に、指が開かなくなるような状態になりました。本当は間違った稽古なのでしょうが、力ずくでは駄目なことを実感しました。
最近は、何故「座取り正面打ち」が重要なのか、少し考えるようになりました。今までは、正面打ちや横面打ちの稽古も、身体の使い方が雑になりかねないので、あまりしませんでした。しかし、前回の稽古で体験して頂きましたように、打ち手は、相手の腕に接触した状態から、全身を使って斬り押さえるような攻め方をして、受け手(仕手)は、その五分五分の状態から相手の中心を崩して力を返していくための必要条件を満たしていくと面白いのではないかと考えたのです。
その場合に、意識と身体の使い方をアルファー1〜3に分けて試してみて、その微妙な違いを実感して頂けたのではないかと思います。別の表現をすれば、初級・中級・上級のレベルに分ける要素とも考えられます。
剣を使った「前後運動」や「八方運動」も、「切り落とし」の応用編だと考えて、手の内・もの打ち・ 西江水を意識して稽古すると、また違った味わいになるのではないでしょうか。勿論、この場合もアルファー1〜3の違いを明確に意識する必要があります。しかし、気の研究会で教えている統一道の初級・中級・上級のテスト方法とは、また違うような気もします。
まあ〜、私も自分で何をしているのか分からなくなっている今日この頃ですが、やはり昔の人は偉かったと思います。現代人が新たに発見するような事は、多分何もないのですから・・・
参照:仮説
by centeringkokyu
| 2006-03-16 00:35
| 合気観照塾