2006年 03月 15日
私の履歴書 Vol.4 |
ある本に、「DNAから見れば、人間はDNAを運ぶ乗り物にすぎないと考えられる。」と記されていました。OS先生の合気のDNAも、多くの人たちに運ばれ、次の世代に伝わっていくことと思われます。同じ乗り物でも、私の場合は三輪車のように、街角でチョコチョコと一人で遊んでいるだけのような気がします。これからの人たちの中から、ジャンボ・ジェット機や豪華客船に例えられるような、合気のDNA運搬人が出てこられることと期待しています。
毎週火曜日は、Oさんが中心になり、TYさんがサポートして、稽古をしてくださっていますし、土曜日には、一応私が中心にはなっていますが、I畑さんを始めとして、H江さんM井さんM岡さん等の方達がサポートしてくださっています。私としましては、リーダーとしてやっていける可能性のある方には、出来るだけ同好会を作って活動してみて頂きたいのです。
時代と共に、皆さんの要望や稽古の目的も自ずと変わってきますので、色々な形の同好会が有ってもいいのではないかと思います。そうしておけば、OS先生の合気のDNAが、少々形を変えたとしても、残る確率は高くなるはずです。何時誰が稽古を続けていけなくなるかは、分からないものです。どのような場合にでも、誰かが何らかの形で、会を継続していけるように準備しておくことは、大切な事だと思います。
もしも、リーダーに不満がでてくれば、お互いに考え方の違いを明確にして、必要ならば分離することも考慮しておくべきだと思います。実際に、ご自分がリーダーになって会を運営してみられると、きっと色々なことに気が付かれる事と思います。
私がOO会で稽古をしている目的は多分、皆さんとは違うと思います。他の人からご覧になれば、私の稽古方法は、OS先生という山の裾野を、ただぐるぐると回っているに過ぎないようにしか見えないと思います。しかし、私にとってはそれが楽しいのです。私の素質も体験も体型もOS先生とは違います。私が先生のように成れるはずは有りません。ですから、私は一人遊びでいいと考えているのです。
さらに、OS先生の合気も、私が入会させて頂いた頃からみると、先生が少しずつ変化させてこられたような気がします。特に、1997年頃からは、その変化が大きくなったように感じられます。ですから、1997年以前に入会された方と、それ以降に入会された方とでは、徐々にではありますが、先生の技に対する感じ方が、異なってきているのではないでしょうか。そして、そのあたりの感覚の相違が、目的意識の違いになって、見解が分かれてくる事もあり得るのではないかと考えています。
OS先生に出会え、合気の技を掛けて頂いたことがきっかけになり、私にはどうしても納得出来なかった色々なことが、自分の中に作り続けてきたジグソーパズルの、縁の部分にしか過ぎなかったと気付かせて頂きました。OO会の技が、哲学的な意味も含めて、ジグソーパズルの中心の大切な部分に、すっぽり入るに違いないと確信出来たのです。さらに、その中心部分と周りの縁の部分が、しっかりリンクしていることに気付きました。ですから、後は一生かけて、のんびりとパーツを埋めていけばいいだけですし、それがどんな絵になるのかが、楽しみなのです。
今まで私が体験してきた色々なことは全て、私の人生というジグソーパズルには、必要不可欠なパーツなのです。他の人から見れば、遠回りに見えたり、無関係にしか思えない事でも、いつかは必ずそれらの必然性に、自分で気付ける時がくるはずだと信じています。ですから、途中でどのように方針が変わっても、例えジグソーパズルが、理想通りに完成出来なくなっても、自分の人生の途中経過は、常に自分で納得できる状況にしておきたいと考えるようになったのです。
ところで、20年前の10月10日に発行された、大阪合気道新聞第四号に掲載して頂いた原稿の題が「ジグソーパズル」でした。そして、その原稿の最後は、「このパズルの少しでも多くの部分を、気長に楽しみながら、一コマ一コマつなぎ合わせていきたいものだと考えています。」という言葉で結ばれています。20年前から、自分の考え方に、全く進歩がない事を、改めて自覚しました。
皆さんが、いつまで私の一人遊びにつき合って下さるかは分かりませんが、気が向けば、何時までも一緒に遊んでやって下さい。どうぞ宜しくお願いします。
参照1:石の上にもまだ三年1990年
毎週火曜日は、Oさんが中心になり、TYさんがサポートして、稽古をしてくださっていますし、土曜日には、一応私が中心にはなっていますが、I畑さんを始めとして、H江さんM井さんM岡さん等の方達がサポートしてくださっています。私としましては、リーダーとしてやっていける可能性のある方には、出来るだけ同好会を作って活動してみて頂きたいのです。
時代と共に、皆さんの要望や稽古の目的も自ずと変わってきますので、色々な形の同好会が有ってもいいのではないかと思います。そうしておけば、OS先生の合気のDNAが、少々形を変えたとしても、残る確率は高くなるはずです。何時誰が稽古を続けていけなくなるかは、分からないものです。どのような場合にでも、誰かが何らかの形で、会を継続していけるように準備しておくことは、大切な事だと思います。
もしも、リーダーに不満がでてくれば、お互いに考え方の違いを明確にして、必要ならば分離することも考慮しておくべきだと思います。実際に、ご自分がリーダーになって会を運営してみられると、きっと色々なことに気が付かれる事と思います。
私がOO会で稽古をしている目的は多分、皆さんとは違うと思います。他の人からご覧になれば、私の稽古方法は、OS先生という山の裾野を、ただぐるぐると回っているに過ぎないようにしか見えないと思います。しかし、私にとってはそれが楽しいのです。私の素質も体験も体型もOS先生とは違います。私が先生のように成れるはずは有りません。ですから、私は一人遊びでいいと考えているのです。
さらに、OS先生の合気も、私が入会させて頂いた頃からみると、先生が少しずつ変化させてこられたような気がします。特に、1997年頃からは、その変化が大きくなったように感じられます。ですから、1997年以前に入会された方と、それ以降に入会された方とでは、徐々にではありますが、先生の技に対する感じ方が、異なってきているのではないでしょうか。そして、そのあたりの感覚の相違が、目的意識の違いになって、見解が分かれてくる事もあり得るのではないかと考えています。
OS先生に出会え、合気の技を掛けて頂いたことがきっかけになり、私にはどうしても納得出来なかった色々なことが、自分の中に作り続けてきたジグソーパズルの、縁の部分にしか過ぎなかったと気付かせて頂きました。OO会の技が、哲学的な意味も含めて、ジグソーパズルの中心の大切な部分に、すっぽり入るに違いないと確信出来たのです。さらに、その中心部分と周りの縁の部分が、しっかりリンクしていることに気付きました。ですから、後は一生かけて、のんびりとパーツを埋めていけばいいだけですし、それがどんな絵になるのかが、楽しみなのです。
今まで私が体験してきた色々なことは全て、私の人生というジグソーパズルには、必要不可欠なパーツなのです。他の人から見れば、遠回りに見えたり、無関係にしか思えない事でも、いつかは必ずそれらの必然性に、自分で気付ける時がくるはずだと信じています。ですから、途中でどのように方針が変わっても、例えジグソーパズルが、理想通りに完成出来なくなっても、自分の人生の途中経過は、常に自分で納得できる状況にしておきたいと考えるようになったのです。
ところで、20年前の10月10日に発行された、大阪合気道新聞第四号に掲載して頂いた原稿の題が「ジグソーパズル」でした。そして、その原稿の最後は、「このパズルの少しでも多くの部分を、気長に楽しみながら、一コマ一コマつなぎ合わせていきたいものだと考えています。」という言葉で結ばれています。20年前から、自分の考え方に、全く進歩がない事を、改めて自覚しました。
皆さんが、いつまで私の一人遊びにつき合って下さるかは分かりませんが、気が向けば、何時までも一緒に遊んでやって下さい。どうぞ宜しくお願いします。
参照1:石の上にもまだ三年1990年
参照2:私の履歴書 Vol.1
参照3:私の履歴書 Vol.2
by centeringkokyu
| 2006-03-15 00:04
| 合気観照塾