2006年 03月 02日
植芝翁を悼む |
季刊全生 早春1970年 から津田逸夫(エール・フランス広報担当) という方が書かれたものを引用させて頂きます。
去る四月二十六日、合気道創始者植芝盛平翁が八十五才で他界された。この十年間、親しくして頂いた僕にとっては懐しい人であった。最後の一月位は面会謝絶であったので、外から全快を祈るより仕方がなかった。然し、病床に倒れられる前から、何か今年は危いような予感があった。たまたま許されて面会した時、翁はもう意識はないようだった。腹に輸気してあげた。すると突然、意識のない人の両手が僕の手をシッカリ抑えて逃さないようにするのだった。気持がいいから続けてくれという要求であろう。その翌日訃報をきいた。
翁の話は誰にも理解されないもののようであった。第一にボキャブラリーが普通きき慣れない語で満ちていた。それに話がとぶので関連が判らない。話相手のない淋しさがつきまとっていたようだった。
僕は整体操法での気の問題を噛っていたから、その意味で興味があった。気、呼吸、空想の面で、大変教えて頂いた。合気道は結んで放つことだと再々いわれた。これと呼吸がどういう関連にあるか、僕自身で色々実験してみた。簡単にいうと次のようである。
結ぶというのは我と彼が合体することである。互いに無関心でつっ立っている限り、結びはない。相手が我に関心を持ち、行動を起す時、結びがある。整体操法でいえば礼といえるだろう。結ばれた時、相手の気を導いて、放つ所まで運んで行く。そこで彼は我から離れる。
相手が打って来るのを待っているのではない。こちらから進んで迎えに行くのですともいわれた。迎えに行くために、僕は仙椎で気を吸うよう実験を重ねた。これは現在仲々面白い効果が上っている。他の所で吸っても何も起らないのに、仙椎で吸うと、相手はフッと体が浮いて眼に見えぬ糸で引きよせられるように寄って来る。後は導いて吐き、放つだけである。とばされた相手は不思議だと頭をかしげているが、気の研究をしていれば、別に大して不思議でもない筈である。
両手の働きは頭、両脚の働きは腰にあるといわれた。仙椎の他に、延髄を中心にする上頸も気を吸うポイントであると思われる。
翁の言霊(コトダマ)の話が始まると、皆閉口しているようであった。何の話だか見当もつきかねる様子であった。判ろうが判るまいが頓着なしにイキナリでてくる話なので、面くらってしまうのである。だが、コトダマの中心はスの声、スのヒビキであると思う。これは気の発端の響であろう。翁の時間空間に関する考えこそは最も興味のあるものであった。この中に魄の武道から魂の武道に発展した翁の思想の根底がある。
翁亡き今後、こんな話をする人はもう再びでてこないような気がする。だが幸いに僕は直接に聞いた一人であり、これは僕の中に発酵を続けるであろう。体癖からいえば九種の典型とでもいうべき人で、そのまま彼の創始した道につながっている。
(配布資料070・099・094もご一読ください。)
#管理人です
1970年といえば、大阪万博の年です。私はまだ大学生でした。以前から、時々この資料を配布していたのですが、私もすっかり忘れていました。この文章では輸気という字が使われていますが、誤植ではないと思います。私が持っている野口先生の講義録で、最も古いものは「触手療法」それから、輸気になり、輸という字の意味が云々ということで、愉気に代えたという話も載っていたと記憶しています。
私は、大阪合気会の田中万川先生がまだお元気だった時期に少しだけ教えて頂きました。その頃に頂いた資料や、合気会の大先輩に頂いた資料は、ほとんど理解出来ませんでした。その後、気の研究会で稽古するようになり、大本(教)や天風会にも興味を持つようになったのです。
上の文章の中で、「両手の働きは頭、両脚の働きは腰にあるといわれた。仙椎の他に、延髄を中心にする上頸も気を吸うポイントであると思われる。」という部分は、なかなか面白いと思われませんか?
去る四月二十六日、合気道創始者植芝盛平翁が八十五才で他界された。この十年間、親しくして頂いた僕にとっては懐しい人であった。最後の一月位は面会謝絶であったので、外から全快を祈るより仕方がなかった。然し、病床に倒れられる前から、何か今年は危いような予感があった。たまたま許されて面会した時、翁はもう意識はないようだった。腹に輸気してあげた。すると突然、意識のない人の両手が僕の手をシッカリ抑えて逃さないようにするのだった。気持がいいから続けてくれという要求であろう。その翌日訃報をきいた。
翁の話は誰にも理解されないもののようであった。第一にボキャブラリーが普通きき慣れない語で満ちていた。それに話がとぶので関連が判らない。話相手のない淋しさがつきまとっていたようだった。
僕は整体操法での気の問題を噛っていたから、その意味で興味があった。気、呼吸、空想の面で、大変教えて頂いた。合気道は結んで放つことだと再々いわれた。これと呼吸がどういう関連にあるか、僕自身で色々実験してみた。簡単にいうと次のようである。
結ぶというのは我と彼が合体することである。互いに無関心でつっ立っている限り、結びはない。相手が我に関心を持ち、行動を起す時、結びがある。整体操法でいえば礼といえるだろう。結ばれた時、相手の気を導いて、放つ所まで運んで行く。そこで彼は我から離れる。
相手が打って来るのを待っているのではない。こちらから進んで迎えに行くのですともいわれた。迎えに行くために、僕は仙椎で気を吸うよう実験を重ねた。これは現在仲々面白い効果が上っている。他の所で吸っても何も起らないのに、仙椎で吸うと、相手はフッと体が浮いて眼に見えぬ糸で引きよせられるように寄って来る。後は導いて吐き、放つだけである。とばされた相手は不思議だと頭をかしげているが、気の研究をしていれば、別に大して不思議でもない筈である。
両手の働きは頭、両脚の働きは腰にあるといわれた。仙椎の他に、延髄を中心にする上頸も気を吸うポイントであると思われる。
翁の言霊(コトダマ)の話が始まると、皆閉口しているようであった。何の話だか見当もつきかねる様子であった。判ろうが判るまいが頓着なしにイキナリでてくる話なので、面くらってしまうのである。だが、コトダマの中心はスの声、スのヒビキであると思う。これは気の発端の響であろう。翁の時間空間に関する考えこそは最も興味のあるものであった。この中に魄の武道から魂の武道に発展した翁の思想の根底がある。
翁亡き今後、こんな話をする人はもう再びでてこないような気がする。だが幸いに僕は直接に聞いた一人であり、これは僕の中に発酵を続けるであろう。体癖からいえば九種の典型とでもいうべき人で、そのまま彼の創始した道につながっている。
(配布資料070・099・094もご一読ください。)
#管理人です
1970年といえば、大阪万博の年です。私はまだ大学生でした。以前から、時々この資料を配布していたのですが、私もすっかり忘れていました。この文章では輸気という字が使われていますが、誤植ではないと思います。私が持っている野口先生の講義録で、最も古いものは「触手療法」それから、輸気になり、輸という字の意味が云々ということで、愉気に代えたという話も載っていたと記憶しています。
私は、大阪合気会の田中万川先生がまだお元気だった時期に少しだけ教えて頂きました。その頃に頂いた資料や、合気会の大先輩に頂いた資料は、ほとんど理解出来ませんでした。その後、気の研究会で稽古するようになり、大本(教)や天風会にも興味を持つようになったのです。
上の文章の中で、「両手の働きは頭、両脚の働きは腰にあるといわれた。仙椎の他に、延髄を中心にする上頸も気を吸うポイントであると思われる。」という部分は、なかなか面白いと思われませんか?
by centeringkokyu
| 2006-03-02 22:46
| 全生など