2006年 02月 16日
ひとのふりみて 06/02/15 |
M岡さんからの投稿をご紹介します。
「照顧脚下」
前回の難波での中心塾の帰り、K野さんが「靴選び」についてちょっとお話される機会がありました。
作りがしっかりとし、適度な重量のある靴を選ぶ事で、ちょっとした自分のチェックや整体に繋がるのです(そう言う意味で私は「CAMPER(カンペール)」を愛用しています)。
そう言えば、以前、モデルさんから「靴も服も着こなす体と技、経験が必要」と聞いたのですが、改めて成る程と思います。
従いまして、体の感覚が変化した時には、ちょっと勿体無いですが新しい靴を買って履く事にしています。そうして、「新しいニュートラルポジション」を感じるのです。
また、新しい靴を一日履いた後の「皺の寄り方」や「靴底の減り方」が凄く参考になります。
そして、その過程を周囲に向けますと、履いておられる靴でその方の嗜好性や考え方、体に対する思い等も良く見て取れます。
誠に「照顧脚下」です。
地響きと踵のない足
「靴選び」のお話の後・・・何と言う事もなく、K野さんは靴を履き、特に意図もなくその場へ「足踏み」をされたのですが、「ずしん!」とタイルの床が大きく響いたのです。
その大きな響きに、最初は「このビル、手抜き工事じゃないか?」と思ったのですが、試しに、自分もすかさずチャレンジ!・・・「ぱこ」っと床をスリッパで叩いた様な響きしか起きず、自分の非力に気が付きました(笑)。
結局、未だ下半身の繋がりが悪く、重さを十分に伝える事も出来ず、体も「土台から歪んで支えられている」のだなと思いました。
もっと「足首運動」と「骨盤時計」の「質を上げる」・・・と言うか「やっている内容を一旦バラバラに破壊して、一から再吟味」する事となりました。
以降、足首から始まって、膝、股関節と下から本当に細かくチェックしたのですが、直ぐ気が付いたことは、私には「踵」がない事です!
勿論、踵の骨や肉はありますよ(笑)。ただ、踵の出っ張りが無くてアキレス腱から扁平で、足の側面を見ると「L字型」になり、特に崩れの酷い左足はアーチも崩れ「扁平足」気味になっていました。
そこでアイダ・ロルフの「扁平足とは扁平な臑のことだ」と言う言葉を思い出したのです。
要は、足首運動が「ふくらはぎ」中心の腎経や膀胱経で行われておらず、胃経や胆経で行われていたのです。
直ぐ様、足首運動の足の指と足底、膝、各関節の連動を全て見直し、繋がりを改善し、結果、ふくらはぎのポンプ機能は改善され、形としても陥没し、エネルギー失調になっていた膝裏の「陥谷」の経穴が「タイヤのパンク穴を塞いだ」様に元に戻り「下半身の冷え性」は改善されました。
当然、ずれていた踵の位置が戻り、「踵のある足」に昇格しました。
その後、自分の仮説を芦屋で検証しましたが、今回はどうも正しい検証結果であった様です(他、今週は沢山の「扁平足」と「踵なし人間」、「親指が使えない手長猿人間」を見ました)。
その結果より申し上げますが「足首の吊り」がないのに本当の意味での「会陰」や「横隔膜」、「肋骨」、「首」の引き上げが出来ているはずはありえません。断言致します。
「横隔膜」と「骨盤膜」
さて、ここでご質問ですが、皆さん、これまで「横隔膜」について良くお聞きになっている事と思いますが、「骨盤膜(骨盤底筋群)」と言うのはご存知でしょうか?
実際は、「膜」ではなく、骨盤の中の筋肉の集合体なのですが、「トランポリン」や「ハンモック」状になって「膜」同様に体の圧力を調整している所から「通称」で「膜」と言われています。
「横隔膜」との関係は、丁度、「和太鼓」の様な感じで、胴体の両端にある「膜」様な感覚で、そのまま体を「太鼓」と見立てますと、「横隔膜」に何らかの響き(影響)を与える場合、「骨盤膜」がどれだけ大切で、何が必要か?何となく見えて来ますね。
それをして、「会陰を締めろ」とか「お腹に集約して」なんて言っている訳です。
ただ、その連携が作り出す影響を最初は余り実感出来ませんね。
そこで、試しに、四足歩行になり、両足の圧力を「骨盤膜」、両手の圧力を「横隔膜」で調整しているとイメージしてみて下さい。
馬や犬、猫などが全力疾走し、「ギャロップ」状態になっている状況をちょっと作り出せば、直ぐお分かりになると思います。
そして、そこから「立つ事」への繋がりも見えて来るかもしれません。私としては、四足さんから変化し、2つの膜の連携に「重力」がより深く関わって来た感じがあります
竹に見立てて
これは主観ですが、色々やって来ると、「土踏まず」や「膝裏」、「骨盤膜」、「横隔膜」、「声帯」、「硬膜(頭蓋骨の中にある)」と人間の体を筒状に見立てると様々な階層に「膜的」なものがあり、それが「竹の節」の様に存在している感覚があります。
そうしますと、以前、私は各関節の連動を「カックン連動」と称して図示したのですが、それを起こす「キー」がやはり「呼吸」にあると思いました。
何故なら、これも太鼓として見立てると、「足底」からの連携やバランスが「硬膜」の「運動」に影響している事が容易に想像出来るからです。
そして、これらの「膜」からなる「体幹」と言う「シリンダー」が呼吸と共にダイナミックに動く時、両手両足の「筋膜」や「骨膜」等のあらゆる「膜」が操作され、動きを作り出します(本当に「易筋経」、「洗髄経」、「クレニオ」です)。
大転子と大結節
「大転子」はもうよくご存じでしょうが、「大結節」は如何でしょうか?「大結節」とは肩関節と手の骨の丸いジョイント部分の事です。
この「大転子」と「大結節」をたすきに結ぶと「X字型」になり、その交点は「鳩尾」を起点とし、頭から仙骨まで背骨上を立体的に上下します。
この交点が背骨からずれるとズレて歪みます。
その連動が掴めたら、「肘と膝」、「手と足」へと心身を集中させる末端を遠くしてみます。
以上「外三合センタリング呼吸法風解説」でした。
(おまけ) そこは自分の真ん中?
本当に器用で、良く工夫もされる方が予想外の歪み方をされて来られる場合があるのですが、その際に共通するのが「中心のズレ」で、要は、自分が「ここが真ん中だ!」と思っている、その「基準がズレて」いるので、整復も上手く行かない訳です。
こう言う時、心身ともに「真ん中」を失っているので「客観性を保つ」事は極めて難しいのですが、最善の策は「諦めの心」と「姿見(鏡)」です。
「諦めの心」とは、とかく「愁訴と戦ってしまいがち」な状況を一度放棄して「リセット」するの事・・・私もK野さんもそんな時は極論「寝て」経過を待ちます。
「姿見」は、皆さんかねがねK野さんからシールを張って頂き、自分の状況を見る時に使ったりしましたね。ああ言う風に、自分を客観的に「写してくれる」ものがあるとはっと状況を立て直す「気付き」も起こり易くなります。
「照顧脚下」
前回の難波での中心塾の帰り、K野さんが「靴選び」についてちょっとお話される機会がありました。
作りがしっかりとし、適度な重量のある靴を選ぶ事で、ちょっとした自分のチェックや整体に繋がるのです(そう言う意味で私は「CAMPER(カンペール)」を愛用しています)。
そう言えば、以前、モデルさんから「靴も服も着こなす体と技、経験が必要」と聞いたのですが、改めて成る程と思います。
従いまして、体の感覚が変化した時には、ちょっと勿体無いですが新しい靴を買って履く事にしています。そうして、「新しいニュートラルポジション」を感じるのです。
また、新しい靴を一日履いた後の「皺の寄り方」や「靴底の減り方」が凄く参考になります。
そして、その過程を周囲に向けますと、履いておられる靴でその方の嗜好性や考え方、体に対する思い等も良く見て取れます。
誠に「照顧脚下」です。
地響きと踵のない足
「靴選び」のお話の後・・・何と言う事もなく、K野さんは靴を履き、特に意図もなくその場へ「足踏み」をされたのですが、「ずしん!」とタイルの床が大きく響いたのです。
その大きな響きに、最初は「このビル、手抜き工事じゃないか?」と思ったのですが、試しに、自分もすかさずチャレンジ!・・・「ぱこ」っと床をスリッパで叩いた様な響きしか起きず、自分の非力に気が付きました(笑)。
結局、未だ下半身の繋がりが悪く、重さを十分に伝える事も出来ず、体も「土台から歪んで支えられている」のだなと思いました。
もっと「足首運動」と「骨盤時計」の「質を上げる」・・・と言うか「やっている内容を一旦バラバラに破壊して、一から再吟味」する事となりました。
以降、足首から始まって、膝、股関節と下から本当に細かくチェックしたのですが、直ぐ気が付いたことは、私には「踵」がない事です!
勿論、踵の骨や肉はありますよ(笑)。ただ、踵の出っ張りが無くてアキレス腱から扁平で、足の側面を見ると「L字型」になり、特に崩れの酷い左足はアーチも崩れ「扁平足」気味になっていました。
そこでアイダ・ロルフの「扁平足とは扁平な臑のことだ」と言う言葉を思い出したのです。
要は、足首運動が「ふくらはぎ」中心の腎経や膀胱経で行われておらず、胃経や胆経で行われていたのです。
直ぐ様、足首運動の足の指と足底、膝、各関節の連動を全て見直し、繋がりを改善し、結果、ふくらはぎのポンプ機能は改善され、形としても陥没し、エネルギー失調になっていた膝裏の「陥谷」の経穴が「タイヤのパンク穴を塞いだ」様に元に戻り「下半身の冷え性」は改善されました。
当然、ずれていた踵の位置が戻り、「踵のある足」に昇格しました。
その後、自分の仮説を芦屋で検証しましたが、今回はどうも正しい検証結果であった様です(他、今週は沢山の「扁平足」と「踵なし人間」、「親指が使えない手長猿人間」を見ました)。
その結果より申し上げますが「足首の吊り」がないのに本当の意味での「会陰」や「横隔膜」、「肋骨」、「首」の引き上げが出来ているはずはありえません。断言致します。
「横隔膜」と「骨盤膜」
さて、ここでご質問ですが、皆さん、これまで「横隔膜」について良くお聞きになっている事と思いますが、「骨盤膜(骨盤底筋群)」と言うのはご存知でしょうか?
実際は、「膜」ではなく、骨盤の中の筋肉の集合体なのですが、「トランポリン」や「ハンモック」状になって「膜」同様に体の圧力を調整している所から「通称」で「膜」と言われています。
「横隔膜」との関係は、丁度、「和太鼓」の様な感じで、胴体の両端にある「膜」様な感覚で、そのまま体を「太鼓」と見立てますと、「横隔膜」に何らかの響き(影響)を与える場合、「骨盤膜」がどれだけ大切で、何が必要か?何となく見えて来ますね。
それをして、「会陰を締めろ」とか「お腹に集約して」なんて言っている訳です。
ただ、その連携が作り出す影響を最初は余り実感出来ませんね。
そこで、試しに、四足歩行になり、両足の圧力を「骨盤膜」、両手の圧力を「横隔膜」で調整しているとイメージしてみて下さい。
馬や犬、猫などが全力疾走し、「ギャロップ」状態になっている状況をちょっと作り出せば、直ぐお分かりになると思います。
そして、そこから「立つ事」への繋がりも見えて来るかもしれません。私としては、四足さんから変化し、2つの膜の連携に「重力」がより深く関わって来た感じがあります
竹に見立てて
これは主観ですが、色々やって来ると、「土踏まず」や「膝裏」、「骨盤膜」、「横隔膜」、「声帯」、「硬膜(頭蓋骨の中にある)」と人間の体を筒状に見立てると様々な階層に「膜的」なものがあり、それが「竹の節」の様に存在している感覚があります。
そうしますと、以前、私は各関節の連動を「カックン連動」と称して図示したのですが、それを起こす「キー」がやはり「呼吸」にあると思いました。
何故なら、これも太鼓として見立てると、「足底」からの連携やバランスが「硬膜」の「運動」に影響している事が容易に想像出来るからです。
そして、これらの「膜」からなる「体幹」と言う「シリンダー」が呼吸と共にダイナミックに動く時、両手両足の「筋膜」や「骨膜」等のあらゆる「膜」が操作され、動きを作り出します(本当に「易筋経」、「洗髄経」、「クレニオ」です)。
大転子と大結節
「大転子」はもうよくご存じでしょうが、「大結節」は如何でしょうか?「大結節」とは肩関節と手の骨の丸いジョイント部分の事です。
この「大転子」と「大結節」をたすきに結ぶと「X字型」になり、その交点は「鳩尾」を起点とし、頭から仙骨まで背骨上を立体的に上下します。
この交点が背骨からずれるとズレて歪みます。
その連動が掴めたら、「肘と膝」、「手と足」へと心身を集中させる末端を遠くしてみます。
以上「外三合センタリング呼吸法風解説」でした。
(おまけ) そこは自分の真ん中?
本当に器用で、良く工夫もされる方が予想外の歪み方をされて来られる場合があるのですが、その際に共通するのが「中心のズレ」で、要は、自分が「ここが真ん中だ!」と思っている、その「基準がズレて」いるので、整復も上手く行かない訳です。
こう言う時、心身ともに「真ん中」を失っているので「客観性を保つ」事は極めて難しいのですが、最善の策は「諦めの心」と「姿見(鏡)」です。
「諦めの心」とは、とかく「愁訴と戦ってしまいがち」な状況を一度放棄して「リセット」するの事・・・私もK野さんもそんな時は極論「寝て」経過を待ちます。
「姿見」は、皆さんかねがねK野さんからシールを張って頂き、自分の状況を見る時に使ったりしましたね。ああ言う風に、自分を客観的に「写してくれる」ものがあるとはっと状況を立て直す「気付き」も起こり易くなります。
by centeringkokyu
| 2006-02-16 00:06
| ネコ殿