2006年 01月 22日
道具に遊ぶ |
大阪支部15周年記念誌(2002年発行)からI畑さんの原稿を抜粋して載せさせて頂きます。全文は記念誌をお読み下さい。
「OO会」大阪支部にお世話になって十年。いま、通いはじめてからのことを思い返しています。
最初の頃のさっぱり分からなかったこと。OS先生の「OO会」には《型》がないということ。それ故、原理原則を体得しないと出来るようにならないと思い至った時のこと。週に一度の稽古だけでは、私には絶対に出来るようにはならないと気付いた時のこと。どうしたら良いものかと考え、外堀から埋めて行かないとお城までは到達できないということから、まず身近なところから一つのテーマを決めて楽しみ方を見つけなくてはと思ったこと。この時が本当の稽古のスタートだったように思います。
そんな折りに、稽古が始まる時間よりも早く来て一人で何やら意味不明の事(当時はそう思いました)を黙々としている人がいました。K野さんです。私はそれをジッと見ていました。帰ってからそれを真似て見ました。出来ない。何でこんな単純なことが出来ないんだと思いました。ここからだ!と思い、それから私も稽古が始まる時間より早く行き、K野さんのされていることの真似を始めました。それが私の一人遊びの初めで稽古前のお遊びの時間の始まりであったように思います。
私が剣を玩具にするようになってからは、剣を使っての一人遊び方なども教えていただき、稽古時間前のお遊びの内容もだんだんとバラエティーにとんだものになっていったように記憶しています。その後、新陰流を教えていただくようになり、それが今に至っています。
私はこのお遊びの時間が今も楽しみです。そのことによって「OO会」のお稽古の時間も、そのお遊びの応用編の心持ちで楽しくできるというわけです。授業よりも遊び時間の方が楽しかった思い出は誰もが持っていると思います。そして、授業で教わったことよりも楽しい遊びの中で覚えたことのほうが記憶に残っています。そういう意味からも、遊びという感覚を大事に楽しんだ方がいいと私は思っています。子供が玩具で無邪気に遊んでいる時のようにです。
その稽古前のお遊びの時間も、当初はK野さんと私だけだったように思いますが、それは今や何と何とかなりの人数です。稽古の二時間前から来て各種のお遊びに興じている若い人たちもいて、一種の病気じゃないのかと思うぐらいです。しかし見ていて非常に楽しくなります。時間を忘れて遊びに夢中の子供のようです。今の時代の子供たちが自分の身体を動かしての遊びをしないから云々という人がいますが、うなずける面があります。こういうお遊びから、今まで気付かなかったことを気付いたり、理解できなかったことが解ったりします。私もいっぱい教わったし今も教わり続けています。
とりわけ剣術を習った事が私には非常に有り難いことでした。古の達人たちが練り上げ作り上げた《型》というのは、身体を練り上げ作り上げて行くという目的のために実にうまく工夫されていると感心します。それまでは《型》というのは実戦のシミュレーションだと思っていましたが(そういう部分も多少はあるでしょうが)その実は、心体を作り上げるためのものであると実感しています。
剣を持ち始めた最初の頃は《型》というのは実に型苦しい(堅苦しい)と本当に思いました。型(固)まってしまって動けなかったことを思い出します。その堅苦しさで固まって動かなかった身体がだんだんと動けるようになり、いつしかその堅苦しさから解放されている自分に気付いた時に始めて、年数はかかっているが多少なりとも進歩はしているんだと実感できました。そして思っています、少しは型を破れたかな、と。
とにかく、《道具を扱う》ということは、その道具によって、正しい身体の使い方をしているかどうかのチェックもしてくれるように思います。もちろん取り組み方や道具の良否にもよると思いますが。
今は、《剣術》はまさしく《体術》である、と実感しています。そしてまた、《道具を扱う》という事の難しさを実感しています。一刀流の極意は一刀の切り落としにありとか、新陰流では、ただ己の人中路を切り透すだけだとか、剣は、上げて下ろすだけといいますが、この意味の深さを実感しています。そしてこれが今も思い通りに出来ないでいます。
もう一つ剣術を教わったことで有り難かったことは、古人たちが書き遺して行かれた教えを、全部とまでは行きませんが多少は、多少ではありますが腹から理解ができるようになったことです。もちろん上手な位の人とは理解深度の違うことは承知しています。そしてそこから古人の、教えの素晴らしさや表現方法、観察力、緻密さなどにはただただ感心するばかりで、いくら頑張っても私などは足下にも近づけないという気がします。しかし、私自身、剣を持ってのお遊びをはじめてから、OS先生のワザを少しではありますが理解することが出来るようになったと思っています。
その一方、我々日本人の先祖が命がけで作り上げた先人から伝承されてきたワザを、この素晴らしい技術、日本伝統の文化を何とか後世に伝えられるようにならなければと思うのですが、また習っている者として義務もあると思うのですが、先生のように伝えられるまでになれるかどうかは今の私には自信がありません。まずなれないでしょう。このことは若い人たちに期待します。
#管理人です
I畑さんとの稽古が、私の試行錯誤の始まりでした。I畑さんにアドバイスさせて頂くと、必ず次の週にはきっちり身体や意識の使い方を変えてこられました。本当にお尻に火をつけられているような気持ちで、毎週稽古していました。そして、I畑さんが上達されることが、私の稽古方式がそれほど間違ってはいないという証明だと、勝手に解釈していました。
会に所属していた頃、OS先生と直接お話をするのは、講習会の連絡事項だけと自分で決めていましたが、それは、私だけが先生から何か特別な事を教えて頂いているのではないかと、会員の皆さんに思われたくないという気持ちからでした。しかし、今になって考えてみると、自分の仮説に合わせた稽古に関して、とやかく言われたくないという気持ちがあったのかも・・・
「OO会」大阪支部にお世話になって十年。いま、通いはじめてからのことを思い返しています。
最初の頃のさっぱり分からなかったこと。OS先生の「OO会」には《型》がないということ。それ故、原理原則を体得しないと出来るようにならないと思い至った時のこと。週に一度の稽古だけでは、私には絶対に出来るようにはならないと気付いた時のこと。どうしたら良いものかと考え、外堀から埋めて行かないとお城までは到達できないということから、まず身近なところから一つのテーマを決めて楽しみ方を見つけなくてはと思ったこと。この時が本当の稽古のスタートだったように思います。
そんな折りに、稽古が始まる時間よりも早く来て一人で何やら意味不明の事(当時はそう思いました)を黙々としている人がいました。K野さんです。私はそれをジッと見ていました。帰ってからそれを真似て見ました。出来ない。何でこんな単純なことが出来ないんだと思いました。ここからだ!と思い、それから私も稽古が始まる時間より早く行き、K野さんのされていることの真似を始めました。それが私の一人遊びの初めで稽古前のお遊びの時間の始まりであったように思います。
私が剣を玩具にするようになってからは、剣を使っての一人遊び方なども教えていただき、稽古時間前のお遊びの内容もだんだんとバラエティーにとんだものになっていったように記憶しています。その後、新陰流を教えていただくようになり、それが今に至っています。
私はこのお遊びの時間が今も楽しみです。そのことによって「OO会」のお稽古の時間も、そのお遊びの応用編の心持ちで楽しくできるというわけです。授業よりも遊び時間の方が楽しかった思い出は誰もが持っていると思います。そして、授業で教わったことよりも楽しい遊びの中で覚えたことのほうが記憶に残っています。そういう意味からも、遊びという感覚を大事に楽しんだ方がいいと私は思っています。子供が玩具で無邪気に遊んでいる時のようにです。
その稽古前のお遊びの時間も、当初はK野さんと私だけだったように思いますが、それは今や何と何とかなりの人数です。稽古の二時間前から来て各種のお遊びに興じている若い人たちもいて、一種の病気じゃないのかと思うぐらいです。しかし見ていて非常に楽しくなります。時間を忘れて遊びに夢中の子供のようです。今の時代の子供たちが自分の身体を動かしての遊びをしないから云々という人がいますが、うなずける面があります。こういうお遊びから、今まで気付かなかったことを気付いたり、理解できなかったことが解ったりします。私もいっぱい教わったし今も教わり続けています。
とりわけ剣術を習った事が私には非常に有り難いことでした。古の達人たちが練り上げ作り上げた《型》というのは、身体を練り上げ作り上げて行くという目的のために実にうまく工夫されていると感心します。それまでは《型》というのは実戦のシミュレーションだと思っていましたが(そういう部分も多少はあるでしょうが)その実は、心体を作り上げるためのものであると実感しています。
剣を持ち始めた最初の頃は《型》というのは実に型苦しい(堅苦しい)と本当に思いました。型(固)まってしまって動けなかったことを思い出します。その堅苦しさで固まって動かなかった身体がだんだんと動けるようになり、いつしかその堅苦しさから解放されている自分に気付いた時に始めて、年数はかかっているが多少なりとも進歩はしているんだと実感できました。そして思っています、少しは型を破れたかな、と。
とにかく、《道具を扱う》ということは、その道具によって、正しい身体の使い方をしているかどうかのチェックもしてくれるように思います。もちろん取り組み方や道具の良否にもよると思いますが。
今は、《剣術》はまさしく《体術》である、と実感しています。そしてまた、《道具を扱う》という事の難しさを実感しています。一刀流の極意は一刀の切り落としにありとか、新陰流では、ただ己の人中路を切り透すだけだとか、剣は、上げて下ろすだけといいますが、この意味の深さを実感しています。そしてこれが今も思い通りに出来ないでいます。
もう一つ剣術を教わったことで有り難かったことは、古人たちが書き遺して行かれた教えを、全部とまでは行きませんが多少は、多少ではありますが腹から理解ができるようになったことです。もちろん上手な位の人とは理解深度の違うことは承知しています。そしてそこから古人の、教えの素晴らしさや表現方法、観察力、緻密さなどにはただただ感心するばかりで、いくら頑張っても私などは足下にも近づけないという気がします。しかし、私自身、剣を持ってのお遊びをはじめてから、OS先生のワザを少しではありますが理解することが出来るようになったと思っています。
その一方、我々日本人の先祖が命がけで作り上げた先人から伝承されてきたワザを、この素晴らしい技術、日本伝統の文化を何とか後世に伝えられるようにならなければと思うのですが、また習っている者として義務もあると思うのですが、先生のように伝えられるまでになれるかどうかは今の私には自信がありません。まずなれないでしょう。このことは若い人たちに期待します。
#管理人です
I畑さんとの稽古が、私の試行錯誤の始まりでした。I畑さんにアドバイスさせて頂くと、必ず次の週にはきっちり身体や意識の使い方を変えてこられました。本当にお尻に火をつけられているような気持ちで、毎週稽古していました。そして、I畑さんが上達されることが、私の稽古方式がそれほど間違ってはいないという証明だと、勝手に解釈していました。
会に所属していた頃、OS先生と直接お話をするのは、講習会の連絡事項だけと自分で決めていましたが、それは、私だけが先生から何か特別な事を教えて頂いているのではないかと、会員の皆さんに思われたくないという気持ちからでした。しかし、今になって考えてみると、自分の仮説に合わせた稽古に関して、とやかく言われたくないという気持ちがあったのかも・・・
by centeringkokyu
| 2006-01-22 00:20
| 合気観照塾