2017年 11月 27日
「気付き(アウェアニス)」の大切さ |
☆リンク先で更新された記事
YSさんからの第四十八回研究会稽古メモその3です。
宗匠の教えである気づきについて触れられていますので掲載致します。
合気観照塾東雲道場
世話役 様
宗匠の教えである気づきについて触れられていますので掲載致します。
合気観照塾東雲道場
世話役 様
稽古の合間に、一時 全員が道場の床に車座になって 先生持参の菓子パンを戴く。
そこで先生が語られる一言一言が 研究会の今後を示唆する重要な内容となります。
第四十八回研究会で先生が話された「崩れる身体」について 聞き取れた範囲で日誌に綴ります。
記
@私(先生)の伝えていることが正しい!というのではなくて、このような考え方も
あるよ! こんなやり方をしたら こうなるよ! ということを言っているだけ
です。
@そのためには、身体をつくる必要があります。自分の感覚をつくる必要があります。
@そうすると、一人稽古が一番よいのです。そして、ときどき 会って、それを
チェックしてもらう。
そこで先生が語られる一言一言が 研究会の今後を示唆する重要な内容となります。
第四十八回研究会で先生が話された「崩れる身体」について 聞き取れた範囲で日誌に綴ります。
記
@私(先生)の伝えていることが正しい!というのではなくて、このような考え方も
あるよ! こんなやり方をしたら こうなるよ! ということを言っているだけ
です。
@そのためには、身体をつくる必要があります。自分の感覚をつくる必要があります。
@そうすると、一人稽古が一番よいのです。そして、ときどき 会って、それを
チェックしてもらう。
合気観照塾 2017.11.25
上肢をぶら下げて重心移動で揺らせるかを確認し、呼吸で吸い上げて浮かせ、物打ちに重さが乗るように落とす
吸って上がる分だけ腕を浮かせ、その都度、肩甲骨が自由に動かせるかを確認することで、背部とのバランスで刀を上げる
刀を上げたところで背中が滑り落ちる位置で弛め、頚との釣り合いを取りながら刀を下ろす
左右それぞれで緩みを取り、脱力することで生まれたバランスのまま吸い上げて、二刀を身体と一体となるように使う
相手との接点を一体としたところで、肘や肩や背中を弛めて、中心の回転が指先まで伝わるように動く
脱力できていると、接点の圧を一定に保ったまま、相手の動きにぶつからず「居ない」状態になれることに驚いた
付けたまま動いている中で、相手の固まった瞬間にそこへ入れることで、相手の反応を利用して転ばせる
軸の傾きと前に向かう意識を一致させ、相手の中心に付けておくことで、踏み込まれない領域を作る
胸部の開閉や回旋や上げ下げが伝わるように力を抜き、胸骨と脊椎の中央から連動させて動かす
頚部を伸ばして前を見るとき、目線を少し上げることで頭の位置がキープされ、目の向きもセンタリングする必要性があることに気付くことが出来た
上肢をぶら下げて重心移動で揺らせるかを確認し、呼吸で吸い上げて浮かせ、物打ちに重さが乗るように落とす
吸って上がる分だけ腕を浮かせ、その都度、肩甲骨が自由に動かせるかを確認することで、背部とのバランスで刀を上げる
刀を上げたところで背中が滑り落ちる位置で弛め、頚との釣り合いを取りながら刀を下ろす
左右それぞれで緩みを取り、脱力することで生まれたバランスのまま吸い上げて、二刀を身体と一体となるように使う
相手との接点を一体としたところで、肘や肩や背中を弛めて、中心の回転が指先まで伝わるように動く
脱力できていると、接点の圧を一定に保ったまま、相手の動きにぶつからず「居ない」状態になれることに驚いた
付けたまま動いている中で、相手の固まった瞬間にそこへ入れることで、相手の反応を利用して転ばせる
軸の傾きと前に向かう意識を一致させ、相手の中心に付けておくことで、踏み込まれない領域を作る
胸部の開閉や回旋や上げ下げが伝わるように力を抜き、胸骨と脊椎の中央から連動させて動かす
頚部を伸ばして前を見るとき、目線を少し上げることで頭の位置がキープされ、目の向きもセンタリングする必要性があることに気付くことが出来た
一刀ではなく、二刀流でもなく、「二刀剣」があると言う事。
惣角先生が「片手・持ち替え振り」の名人だった事。
「輪の太刀」、「廻刀」と言う事。
S川先生の観点。
呼吸法とサイクリック。
これだけでもやるべき事と照らし合わせる作業で手一杯。
未知な部分も沢山出てくるだろうし。
身に付けるとなると一日一週間、一年そこらではとても無理。
出せる一歩一歩もホント小さいものだろう。
でも、その一歩で富士山も大峯も満行出来たしなぁ。
凡人でも為せる事はあるらしい。
自分の本質はたいして変わっていないのに、
その臨界が変わると...な~んか面白いです。
すべての山に登る。
惣角先生が「片手・持ち替え振り」の名人だった事。
「輪の太刀」、「廻刀」と言う事。
S川先生の観点。
呼吸法とサイクリック。
これだけでもやるべき事と照らし合わせる作業で手一杯。
未知な部分も沢山出てくるだろうし。
身に付けるとなると一日一週間、一年そこらではとても無理。
出せる一歩一歩もホント小さいものだろう。
でも、その一歩で富士山も大峯も満行出来たしなぁ。
凡人でも為せる事はあるらしい。
自分の本質はたいして変わっていないのに、
その臨界が変わると...な~んか面白いです。
すべての山に登る。
#管理人です。
「気付き(アウェアニス)」の大切さを改めて感じます。
と言うのも、今まで流し読みにしていた「心をひらく体のレッスン」のレッスン2をゆっくり丁寧に読んでみたからです。フェルデンクライス博士が生徒さんに伝える様子から、どれだけ繊細に自分の身体の観察をしているのか。と感じ私自身の粗さに気付けた事がきっかけです。そして、レッスンで良い結果を求めていない姿勢から出る、落ち着いた雰囲気も感じました。
東雲道場での師匠のお話は気付ける為に身体創りが必要といった事が凄く伝わってきます。
OAさんが、なぜ稽古中の内容を繊細に纏められるのかも、力が抜けた状態で更に先入観を持たずに感じておられるからと思います。
M岡さんの「これだけでもやるべき事と照らし合わせる作業で手一杯。」からは、気付きがあふれ出してくる様子や情報量に圧倒されずにゆっくり落ち着いて進めていく大変さが伝わってきます。
三つの記事をどうまとめようか?と一日寝かせてみた所「気付き」でまとめるとスッキリまとまってくれました。
いつも記事を上げて下さる方々に感謝致します。
優しい手ですね~
参照1 身体から心を開く
#楽隠居です
センタリング呼吸法の『心と身体のセンタリング』という言葉の原点は、フェルデンクライス身体訓練法の『からだからこころをひらく』という題名にあります。
ですから、合気観照塾も呼吸法中心塾も基本原理はフェルデンクライス身体訓練法的なやりかたをしているかもしれないと考えています。
センタリング呼吸法の『心と身体のセンタリング』という言葉の原点は、フェルデンクライス身体訓練法の『からだからこころをひらく』という題名にあります。
ですから、合気観照塾も呼吸法中心塾も基本原理はフェルデンクライス身体訓練法的なやりかたをしているかもしれないと考えています。
by centeringkokyu
| 2017-11-27 23:59
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