医療に関する思い込み |
†医療幻想からの脱却
私は日本の医療がすべて幻想に基づいていると言いたいわけではない。
日本の医療は世界の卜ップクラスだし、医療のおかげで救われる命も少なくはない。
しかし、世間に広まっている医療に関する思い込みを、ひとつひとつ検証していけば、かなり実態とかけ離れたものが多いのも事実だろう。
医療の世界の暗部は、医療者側からなかなか伝わってこない。
それは自らを貶めることであるし、尊敬を失うリスクにもつながる。
逆に医療のすばらしい点、新しい発展などは、かなり誇張して宣伝される。
それに惑わされて安心していると、いざ病気になったり老いたりしたときに、こんなはずではなかったと、よけいな失望を味わわされる。
もし、医療が十分に信頼するに足りるなら、専門家たる医師は一般の人より長生きするはずだ。
しかし、職業別平均寿命を見ても、医師が長生きするというデータはない。
医師自身ががんで死に、脳梗塞で半身不随になり、認知症になり、心筋梗塞に倒れている事実は、決して医療が完璧でないことを物語っている。
がんで死ぬ医師は、なぜ自分のがんを発見できなかったのか。
それは自分の症状をがんだと思わなかったからだ。
であれば、患者が同じ症状を訴えてきても、きっとがんとは思わないにちがいない。
それでも医師は専門知識がある分、一般の人より有利な点はある。
それは医療にむやみに期待したり、よけいな望みを持ったりしないということだ(医師の中にも医療幻想に浸っている人もいるので、全員がそうだとはかぎらないが)。
2009年、東大病院の緩和ケア診療部で、がん患者とがん治療に関わる医師に行われたアンケートの結果が発表された。
望ましい死を迎えるためにという質問で、「病気と最後まで闘う」と答えたのは、がん患者では81%だったが、医師はたったの19%だった。
この差はいったいどこから来るのか。
医師は治療の実態を知っており、患者は十分に知らない。
患者は「治療はよいことだ」と思い込んでいるが、医師は「治療はやりすぎるとたいへんなことになる」ことを知っている。
だから、こういう真逆の結果になったのだろう。
治療のために苦しい最期を迎えたり、寿命を縮めたりしたがん患者は、きっと後悔していることだろう。
だれしも死はやりなおしがきかない。
だから、妙な思い込みや、楽観的すぎる希望は持たないほうがいい。
医療はすばらしい、医療は病気を治してくれると思うことは、心地いいし、安心できる。
しかし、それはパスカルが言う「絶壁が見えないよう」にするための、危うい遮蔽物にほかならない。
それをどけて、絶壁を見つめることは恐怖だが、絶壁から転落することを防いでくれる。
死は必ず訪れるし、がんもなかなか避けては通れない。
それなら、せめて上手に受け止め、悔いのない最期を迎えるほうがいいに決まっている。
〆管理人です
医師でもあり小説家でもある著者が、自身の実体験を元に、日本の医療の実態を書かれています。
私自身も、医療に対して色々な幻想を持っていることに気付き、より良い医療の在り方について考えさせられました。
参照1:医者に過剰な期待をしない
確実なことがあるとしたら、それは、死は避けられない、ということです。人間は生物ですから、遅かれ早かれいずれ寿命が訪れます。ところが、日本人には不老不死の幻想があり、自分だけは死なないと思っている人が多いように思うのです。
参照2:医療と介護の役割分担
医療職も自分たちの限界に気づいているのでしょう。でも、「治せるはずだ」「治さなければいけない」という幻想にとらわれて思考が停止しているのではないでしょうか。
参照3:風邪は100%の治癒
風邪で医者に行けば特別な治療をしてくれて、早く治すことができる。医者も風邪の患者は、薬によって早く治しているはずだ。このようなお互いの幻想の上に成立したルールにのっとって、風邪の治療は行われている。
参照4:視野を広く使いながらぼおっとする
幽霊や人魂を異常電磁波による幻想、生れ変わりは乳児期の記憶の刷り込みと医学的な解釈をしていますが、それで説明できないことも多数あります。
参照5:求めない人に対して言葉を無駄に費やすことはない
▼良い悪いといった幻想に惑わされ、もっと良いものがあるという錯覚に振り回されていると、「いま、ここ」に存在する自分を無視することになったり、あるがままの人生に満足できなくなるのです。
医療機関では一ヶ月ごとにレセプトを集計して、審査支払い機関に提出し、ここで医療機関が請求した金額が妥当かどうかを審査します。
この審査で、料金の内容と、レセプトの保険病名が一致しないと、不適当な料金の請求をしているということで査定され、医療機関に支払われる料金が減額されます。
ところが、保険病名は、必ずしも、正確な本当の病名ではないのです。検査や薬によって、必要な保険病名が決められているからです。
☆リンク先で更新された記事
ポン(掤)は太極拳の基本原理で、
それを原動力として、上下前後と掴む、逆極、肘打、体当たりがあります。
それを練る為、「用意不用力」でなければならず、
「ゆっくり」・「呼吸に合わせて」・「丁寧に」行う訳ですが、
(これって「機能的統合」ですよね)