科学という名の宗教 |
◆現代医療という名の宗教
緩和ケア面談でよく聞く言葉がある。
「もうこれ以上の抗がん剤治療はできないと言われました。
だから緩和ケアを探して下さいと。それはもう死を宣告されたようなものです。」
私は答える。
「間違えないで欲しい。抗がん剤があなたを生かしていたのではない。
あなたを生かしていたのはあなたの命、あなたの中にある力。抗がん剤という邪魔者はいなくなった。これから存分に命を燃やしてください。そして、そのサポートをするのが緩和ケアです。」
いつから人間は科学の力なしで生きることは不可能だと思い込んでしまったのだろう?
いつから人間は自分たちが生み出した科学を自分たちの上に置いてしまったのだろう?
これこそ、科学という名の宗教の出来上がり。
科学で命は作れない。
命が科学を作るのです。
それゆえ、その科学を書き換えるのも命である私たち人間なのです。
◆画像検査が意味するもの・後編 ~画像診断の矛盾~
このように、現代整形外科では最初に「背骨の構造的欠陥」を探します。
それが見つかった場合、修復可能なものには手術を選択し、修復不能または欠陥が小さなものには対症療法を施します。
そして、骨の異常が見つからないものには姿勢や筋肉に焦点を絞った治療をしてきたのです。
ところが1990年代、医療界を一変させる出来事がおこります。
EBMの登場です(EBMに関してはブログ「EBM(根拠に基づく医療)とは・後編」で詳しく紹介しています)。
EBMによって、従来の画像診断には多くの矛盾があることが分かりました。
画像検査で見出される「形態異常」の多くが、実は正常な健康人にも多く見られることが分かったのです。
「腰痛はそれまで考えられてきたようなシンプルな問題ではない。形態異常を探して修復するという考え方は通用しない」
つまり、
「形の変化≠痛みの変化」
という事実が科学的に証明されてしまったのです。
内科、外科、産婦人科、小児科、耳鼻科などたくさんある医科の中でも、整形外科ほどEBMが脅威に映った科は他にないと思います。
「風邪の抗生物質の使われ方」どころの話ではありません。
各論が問題にされているのではなく、画像診断という考え方そのもの、すなわち総論が問われているからです。
◆医療の在り方 その2
「血圧が高いと脳や心臓の重病に繋がる」「骨密度が下がると骨折のリスクが高まり寝たきりになる」「太ももの筋肉を鍛えないと膝に負担が掛かって関節が変形する」といった起こりうる将来の心配をあちこちで耳にします。
そうした需要に応じて、病院で薬が処方され、店でサプリメントが売られ、テレビでは健康に関する番組が流れます。
それらが本当に必要な人もいると思いますが、予防が不要であったり、やり方が合っていなければ、新たな不調を呼び起こしてしまう可能性もあります。
「健康」の基準は他の誰に決められるものではなく、本来、自分自身が最も近しい存在であるはずです。
しかし、現代社会では、生活する場や口にする飲食物、自分の健康でさえ、自らが把握できる範囲から離れてしまっていることがあります。
現代における「不安」の多くは、それらを委ねている国に対して、企業に対して、医療に対して、あるいは他人に対しての信頼が揺らいでいるところが大きいような気がします。
〆管理人です
本やインターネットを見ていると、医療業界の内外から、現代医学に疑問を投げ掛ける声が年々増えているように感じます。
当ブログを読み返してみると、10年以上前からそうした記事が数多く取り上げられていました。
これからの医療は、どのような方向に向かっていくのでしょうか。
参照1:「本物の病気」と「検査病」
参照2:科学的
参照3:腰痛
参照4:老化した骨、変形した骨が痛みの原因か?
参照5:厚労省は「新しい患者」を作りたい