2017年 03月 09日
剣での手の内。 |
▼冴えた手の内から転載させて頂きます。
しかし、よく考えてみてください。竹刀のように柄が丸ければ両手首を互いに
反対方向に捻ってもあまり違和感はないかもしれませんが、日本刀のように
柄が楕円形のものを持って両手首を内側に絞ったら、刃筋が安定せずに
力の強い手の方にぶれてしまいます。これでは物を正しく切ることが出来ません。
つまり打突時ではなく振りかぶり時にこそ両手首を若干内側に絞るような意識を
持つことです。そして、このように振りかぶると今度は肘があまり曲がらず、
肩が動くようになります。これが肘で振りかぶらずに肩・肩胛骨を使って
振りかぶる、剣道の正しい振りかぶり方です。
心持ちとしては、肘は軽く曲げたままであまり使わずに、
肩で振りかぶって手首を縦に使って打つ感じです。
∞管理人です
手の内は身体の使い方が変わると変わっていくのだと思いますが
言葉で言い表すのは難しいなと思います。
一口に手首を決めてと言われても背屈して固めるのではない。
ここに書かれている通り、手首を内側に捻りすぎて剣を降ろすと
フラフラしたり刃が真っすぐ落ちません。
真剣ゼミをして自分で検証してくしかないですね。
参照1:二天一流は二刀流ではない
今の剣道などには手の内がないので、手の内を柔らかくするにはいいと思う。力を入れるところがなく、全く自然である。
たとえば棒等を立てて倒す。その遠心力の作用で、地面に近くなれば自然に早くなってゆく、あの原理である。下にゆけばゆくほど棒の重さで、早くスポッとゆく。力を加えないというところに、二天一流の形の妙味があるこの形は、二天一流では刀は用いない。
参照2:斬り合う剣の業前は術と道とに通ず
◆術の標準化とスポーツ化
終戦後、GHQ(連合国最高司令部)の占領政策の一環として、武徳会には解散が命令され、武道は戦時教育に利用されたという理由で禁止された。このような厳しい状況の中、剣道から武道的要素を払拭し、純然たるスポーツとして楽しむことを目的とした『しない競技』が考案された。体操着に袋しない、軽装の防具と運動靴で行うこの競技は、中学・高校の正課となって全国で実施された。
剣道という名称が復活したのは朝鮮戦争、講和条約をへて、GHQの日本占領が解除された昭和27年であった。戦後の混乱期からようやく抜け出し、社会、経済の安定が訪れたこの年、長年の努力が実り全日本剣道連盟が設立された。そして昭和29年それまでの全日本しない競技連盟と一体化した。剣道自体も、しない競技のスポーツ性、競技性を取り込み、新しいスポーツ武道として生まれ変わり、現代に引き継がれていると言えよう。
【中略】
同協会の設立宣言文には、『現代剣道は(中略)一遍の規則において勝敗を争うことを主とするため技法も著しく変質し、正しい刀法より見れば竹刀競技以外の何ものでもなく、これをもって精神の鍛錬を究極の目的とする我が国の剣道であるとして未来に伝えられることは真に剣道を愛し修行する者にとっては耐えられない(後略)』とあり、全剣連の規則に則って行う現代剣道への痛烈な批判が読み取れる。
参照3:鎖骨と肘
☆リンク先で更新された記事
by centeringkokyu
| 2017-03-09 23:48
| 合気観照塾