疾雷刀と砂時計 |
「中庸」の『中』とは、偏らない、しかし、決して大小や上下の中間を取りさえすればよいという意味ではない。よく、「中途半端」や「50対50の真ん中」と混同されている。中間、平均値、足して2で割るというものではない。常に、その時々の物事を判断する上でどちらにも偏らず、かつ通常の感覚でも理解できるものである。
『庸』については、朱子は「庸、平常也」として、『庸』を「平常」と解釈しており、鄭玄は「・・・庸猶常也言徳常行也言常謹也」として『庸』を「常」と解釈している。『庸』が「常」という意味を含んでいることは二人とも指摘している。現在、多くの学者たちは、『庸』が「優れた点や変わった点を持たない」(用例:庸才)と「平常」(用例:庸民)との両方の意味を含んでいると見ているほか、『庸』は「用」であるという説もある[2]。つまり、中の道を「用いる」という意味だというのである。