2016年 09月 21日
馴染むということ |
▼I川さんからのレポート
私の最近のテーマは「馴染む」です。
馴染むというのは文字のとおり、馴れて染み込むこと。
自他の境界がなくなることであり、自分を整えることだと考えています。
自分が整っていれば、対象に触れることがそのまま馴染むことになり、対象に触れる前からすでに馴染んでいます。
意識を向けた瞬間に、いろいろ終わっているということです。
意識ということで言えば、馴染むことに意念はあまり関係ないように思います。
触れたら馴染むので、作為もありません。
がんばって馴染もうと思ったら、それだけで馴染めなくなります。
馴染むことは吸い込みを内包しているようです。
触れた瞬間には終わっているので、吸い込みというプロセス自体がなくなります。
なくなった吸い込みがどこへ行ったのかはよくわかりません。
ただ終わっています。
馴染むために大事なのは、老宮と手首、おなか、あと首の位置です。
肩甲骨が自由になると勝手に肘の力が抜けます。
首の位置は相変わらずよくわからないので、いろいろ検証してみようと思ってます。
馴染むと勝手に絡まります。
「からめる」じゃなくて「からまる」です。
分け目は相変わらずよくわかりません。
分け目がわからないということは、絡まってないんだろうなということは、わかります。絡まっていないということは、馴染んでいないということです。あれ?
なんとなくですが、分け目はバランスで、常に丹田と連動して動き続けるものな気はしています。
馴染むことは変化し続けることです。
向こうの状態に合わせてこちらの状態が決まる。
こちらの状態に合わせて向こうの状態が変わる。
対象に触れて馴染んだら、あとは馴染み続けるだけです。
なんとなく偉そうに書いてみましたが、実はあまりよくわかっていません。
以前の自分とはずいぶん感覚が変わっているようだと思って、今の実感を文章にしてみたらこんなのが出てきたというだけです。
わからないから楽しいのかな、とも思います。
これからも、よろしくお願いいたします。
#気づきや本舗の楽隠居です
私が馴染む感覚を面白いなっと感じたのは、ダブルポイントの水晶を持って昼寝をしたり、刀と添い寝したりした時です。
水晶や刀には、意識は無いはずなのに、何となく波動を感じたのです。一生懸命に感じようとすると、何も感じないのに、うすらぼんやりしていると、波動が身体に染みこんで来るような気がしました。これが心地よいんですなぁ〜
最近は、金剛鈴を二つぶら下げて、八卦掌のような動きをして、鈴の響きを楽しんでいます。
シンギングボウルと金剛鈴で部屋を浄めてから、音楽を聴きながら、お香を焚き、水晶や刀とお昼寝するのが、老後の楽しみになってしまいました。
綺麗なお姉さんが添い寝をしてくれても、何もしないで馴染むだけということが、出来るようになっているかもしれません。きっぱり!
ところで、「添い寝フレンド」のことを、「ソフレ」というらしいですが、「そっとふれるだけ」でいいんでしょうかねぇ〜最近の若者達は・・・?
参照1:水晶遊びのポイント
参照2:無心で添い寝の心持ち
参照3:眠眠行座
by centeringkokyu
| 2016-09-21 00:03
| 合気観照塾