2016年 05月 28日
同じように投げられる? |
1987年4月から、岡本正剛先生の大阪講習会が始まりました。何も分からないので、どのような技を教えてくださるのか、興味津々でした。
最初は、ゆっくり丁寧に同じ技を掛けて下さるのですが、途中からどんどん技が変わってしまうので、先生にどの技を稽古すればいいのでしょうか?と、お聞きすることがよくありました。
数年経つと、なぜそのようになるのかが分かってきます。しかし、出来るわけではありません。
塩田剛三先生も、著書の中で『頭で判断して動くのではなく、五感の反応にまかせてしまったとき、初めて自由にさばくことができます。そうなったらもう、相手の攻撃の種類などは問題外になるのです。』と述べておられましたし、大阪合気会の田中万川先生も『合気の技に名前は無い。』と言っておられました。
逆に投げられる方から考えてみると、同じように投げられるということは、全く同じ攻撃の仕方をしたと考えられます。
例えば、片手両手持ちを考えてみると、片方の手だけでも、強く握る・ふわっと握る・ぴたっと握る。押す・止める・引く。右に捻る・左に捻る。などを挙げることができます。
それに加えて、肘の使い方や肩の柔らかさなど、人それぞれです。
にもかかわらず、同じように投げられるのは、何故なのでしょうか?
そのことを疑問に思う事から、合気探究が始まったのだと思います。
合気の技に名前が付けられないということを、自然に納得できた時から、『体内操作・呼吸・意念』と『入れる・付ける・抜く』の意味が分かり出すのではないかと考えています。
佐川幸義先生のお言葉『柔術を形としてやるのが一番悪い。実際に全然使い物にならなくなってしまう。変化が大事なのだ。私の所のやり方はそうだ。一つの代表として形を教えても臨機応変に変化する。』を良く味わう必要があるのでしょうね!
『同じように投げられる』というのは、落語の『時うどん』みたいなものかもしれません!
『時うどん』のレベルで、多人数取りを稽古させるのは何故なのでしょうかねぇ〜
ビデオやDVDの通りに動ける事がカッコイイし、段位が上がるからですか?
参照1:合気探究と練功法
参照2:形を習い 形に習う
参照3:合気の身体をつくるために
☆リンク先で更新された記事
◆『何で呼吸が大事なのか解った!』
◆ここち
◆ハリエンジュ
最初は、ゆっくり丁寧に同じ技を掛けて下さるのですが、途中からどんどん技が変わってしまうので、先生にどの技を稽古すればいいのでしょうか?と、お聞きすることがよくありました。
数年経つと、なぜそのようになるのかが分かってきます。しかし、出来るわけではありません。
塩田剛三先生も、著書の中で『頭で判断して動くのではなく、五感の反応にまかせてしまったとき、初めて自由にさばくことができます。そうなったらもう、相手の攻撃の種類などは問題外になるのです。』と述べておられましたし、大阪合気会の田中万川先生も『合気の技に名前は無い。』と言っておられました。
逆に投げられる方から考えてみると、同じように投げられるということは、全く同じ攻撃の仕方をしたと考えられます。
例えば、片手両手持ちを考えてみると、片方の手だけでも、強く握る・ふわっと握る・ぴたっと握る。押す・止める・引く。右に捻る・左に捻る。などを挙げることができます。
それに加えて、肘の使い方や肩の柔らかさなど、人それぞれです。
にもかかわらず、同じように投げられるのは、何故なのでしょうか?
そのことを疑問に思う事から、合気探究が始まったのだと思います。
合気の技に名前が付けられないということを、自然に納得できた時から、『体内操作・呼吸・意念』と『入れる・付ける・抜く』の意味が分かり出すのではないかと考えています。
佐川幸義先生のお言葉『柔術を形としてやるのが一番悪い。実際に全然使い物にならなくなってしまう。変化が大事なのだ。私の所のやり方はそうだ。一つの代表として形を教えても臨機応変に変化する。』を良く味わう必要があるのでしょうね!
『同じように投げられる』というのは、落語の『時うどん』みたいなものかもしれません!
『時うどん』のレベルで、多人数取りを稽古させるのは何故なのでしょうかねぇ〜
ビデオやDVDの通りに動ける事がカッコイイし、段位が上がるからですか?
参照1:合気探究と練功法
参照2:形を習い 形に習う
参照3:合気の身体をつくるために
☆リンク先で更新された記事
◆『何で呼吸が大事なのか解った!』
◆ここち
◆ハリエンジュ
by centeringkokyu
| 2016-05-28 00:03
| 合気観照塾