2016年 04月 01日
合気の原理はシンプル |
▼表紙にも転載させていただいていますように、佐川幸義先生は、『柔術を形としてやるのが一番悪い。実際に全然使い物にならなくなってしまう。変化が大事なのだ。私の所のやり方はそうだ。一つの代表として形を教えても臨機応変に変化する。
結局のところ(諸々の技は)合気之体を作ることが目的であって、合気之体ができればどのように動いても技になり合気になる。』と仰っていますし、養神館塩田剛三先生と琢磨会総務長森恕先生も表現は異なりますが、同じような事を書いておられます。
しかし、多くの団体では、形を稽古しても、合気の身体を創る方法は、公開されていないようです。
私が昔習っていた大阪合気会で、田中万川先生は、コンパクトな技を使えたのに、それは教えなかったと、大先輩から聞いていました。
塩田先生も、黒帯研修会では、自由に動いておられたのをビデオで拝見したことがあります。そして、塩田先生の臨機応変な動きは、塩田先生だけのものだと言われていたようです。
琢磨会も「総伝技」を大切にされているようですが、その変化技をどのように教えておられたのか、知人が琢磨会に所属していたのですが、聞いたことがありません。
▼合気とは何か 【笹森 順造著「一刀流極意」より】抜粋します。
合 気
一、合打 敵と打ち合ってどうしても合打となって中々勝負がつきにくいことがある。いつまでたっても合気となって勝負がつかない。遂には無勝負か共倒れになることがある。
これは曲合が五分と五分だからである。こんな時は合気をはずさなければならない。合気をはずすのには先ず攻防の調子を変えなければならない。
四、和而不同
敵の強い刀に逆らってわれからも強く出で、敵の打を中途で強く受止めると兎角合気となって味がない。
敵が望んで打って来たらそれに和し育て敵の刀の行く方向にわれからも助勢し、その心意と太刀技とを力いっぱいに尽させて流してやると、われは聊(いささ)かの働らきにて大きく勝ち得るものである。
これもまた敵の曲合の利をやわらかにわが懐にとりこむ所であり和して同ぜず平らかに勝つ所である。
平らかに和して自ら勝つから兵法を平法といい、剣術を和術という。和する所が勝つ所であり、勝ってまた後によく和するのである。(引用終了)
================
私は『合気とは、五分五分の膠着状態を、こちらの有利な状況に変えてしまうための、身体の内部技術であり、「入れる」「付ける」「抜く」の三種類に分けることができるのではないかとの仮説を立ててみました。』
五分五分の状態をゼロとすると、入れるのはプラス、抜くのはマイナスと考えるとシンプルです。しかし、実際には、ゼロから少しプラスにしてからゼロを経由してマイナスにするというような場合もあります。電気の直流ではなく交流のイメージかもしれません。
更に、相手とぶつからない通り道を選ばなければなりませんので、こちらの力を抜いておいて、相手の身体との接点から、五分五分にならないような経路を探しながら、相手の首に合気を通していく必要があります。つまり、どれだけ違う経路を早く探せるかということが重要になります。
五分五分になった瞬間は、相手からも合気を掛けやすいタイミングでもあります。
ですから、通常の稽古の場合の受け手は、いつでも合気を掛け返せるような体内操作を準備しておくことが、自分の稽古にもなりますし、同レベルの人同士の稽古の時には、たまには合気を掛け返すことをしても良いと考えています。(あまり頻繁にこれをすると、稽古の相手をしてくれる人がいなくなりますので、ご注意ください。)
そのように考えると『柔術を形としてやるのが一番悪い』という言葉の意味を理解出来るかもしれません。
ですから、「体内操作と呼吸と意念」を使う稽古しかないと私は考えています。
▼武道歌撰集 一之巻から引用します。
捕られては 水に浮木の 身を持てよ 風にまかせつ 浪にまかせつ
むりにただ 力を頼む 人こそは 勝身にうとき 心なりけり
やはらかに 敵のなす手に 任せつつ 後に勝こそ 陰中の陽
忘れても 力いだすな いたづらに 敵の力ぞ 我が力なる (引用終了)
================
合気だけではなく、他の武術でも力を抜くことが大切だと書かれています。
力を抜いて自由に動ける身体を創ることが、合気の身体創りの第一歩だと考えています。
形を覚えるのではなく、武産合気と言われるように、動けば技になるような身体を創りたい。
そのために今月から「合気の身体になれるかもしれない体操」を稽古します。
体操での動きが、どのようにすれば合気技になるのかを、検証しながら稽古していただきたいと思います。
それは、武術的な合気ではなく、健康法にもなり、施術にも応用可能な合気だと考えています。
ところで、昔に読んだ本で野口晴哉氏は、「植芝盛平翁の合気道は、活元運動です。」と言っておられたような・・・?
そして、脳単のP66には以下のようなことが書かれていました。
錐体外路は、錐体路以外の経路の総称。錐体路はヒトの随意運動において重要な役割を果たしているが、錐体路は大脳新皮質への経路なので、大脳新皮質自体が発達していない(もしく存在しない)、ほ乳類よりも下等な生物の場合、錐体路自体が発達していない(もしく存在しない)。発生の観点から見ても、錐体路は他の経路よりも後から形成され、髄鞘化も最も遅く、誕生後に完成する。
鳥類の場合、終脳の大部分が哺乳類の線条体に相当する部分からなる。その錐体外路系の中枢である線条体や小脳がきわめて発達していることにより、飛行時のスムーズな運動、絶妙なバランス維持が可能となっている。(引用終了)
私には難しいことは分かりませんが言語化と反復記憶の問題点ということに繋がるのではないかと考えています。
言い伝えのように、70歳過ぎてから本当に力が抜けて合気がかかるようになれる補償はありません。力が抜けるより、毛が抜ける方が早いようです。そして、今でも言語化がむずかしく、固有名詞がでてきません。指示代名詞だけで会話をしているような状況です。
しかし、私の場合は、大阪合気会⇒気の研究会(現在の心身統一合気道会)⇒大東流合気柔術六方会と渡り歩いてきましたので、ひょっとすると渡り鳥のように、錐体外路系で活元運動のような合気技がかけられるようになるかもしれません。しかし、喩え私が出来たとしても、教えようがありません。 参照1:自己流合気への道?
参照2:自得して忘れず
参照3:道具に遊ぶ
参照4:対談 中川一政X野口晴哉
中川 あのね、僕、まえに、合気道の植芝さんという人に会ったことがあるんですよ。その植芝さんというのは、先代だけれども、とても弱々しいような人に見えるんですがね。非常に動物的な勘みたいなもの、そういうものに鋭い人でしたね。
野口 反射運動的にやってしまうことを、弟子に教える時には、ここでこうやって、こうと、教えなくてはならない。それが教えられないで死んじゃったのでしょうが……。弟子はみんな何を言っているんだか判らないって。
中川 ああ、そうでしょうね。
野口 二代目のほうのは判ると言うんです。「判るかわりに術は使えないだろう」と訊くと、「そうだ」と言うんです。
中川 ああ、そうですか。形で覚えちゃうから……。
野口 そうなんですね。植芝さんは咄嵯に勘から勘へ行っちゃうんです。
☆リンク先で更新された記事
◆「願立」
◆背中でボールを転がす話
◆反応に反応
◆肉体改造レポート
*3.31 くわえこみの行き先は、衝脈か?
結局のところ(諸々の技は)合気之体を作ることが目的であって、合気之体ができればどのように動いても技になり合気になる。』と仰っていますし、養神館塩田剛三先生と琢磨会総務長森恕先生も表現は異なりますが、同じような事を書いておられます。
しかし、多くの団体では、形を稽古しても、合気の身体を創る方法は、公開されていないようです。
私が昔習っていた大阪合気会で、田中万川先生は、コンパクトな技を使えたのに、それは教えなかったと、大先輩から聞いていました。
塩田先生も、黒帯研修会では、自由に動いておられたのをビデオで拝見したことがあります。そして、塩田先生の臨機応変な動きは、塩田先生だけのものだと言われていたようです。
琢磨会も「総伝技」を大切にされているようですが、その変化技をどのように教えておられたのか、知人が琢磨会に所属していたのですが、聞いたことがありません。
▼合気とは何か 【笹森 順造著「一刀流極意」より】抜粋します。
合 気
一、合打 敵と打ち合ってどうしても合打となって中々勝負がつきにくいことがある。いつまでたっても合気となって勝負がつかない。遂には無勝負か共倒れになることがある。
これは曲合が五分と五分だからである。こんな時は合気をはずさなければならない。合気をはずすのには先ず攻防の調子を変えなければならない。
四、和而不同
敵の強い刀に逆らってわれからも強く出で、敵の打を中途で強く受止めると兎角合気となって味がない。
敵が望んで打って来たらそれに和し育て敵の刀の行く方向にわれからも助勢し、その心意と太刀技とを力いっぱいに尽させて流してやると、われは聊(いささ)かの働らきにて大きく勝ち得るものである。
これもまた敵の曲合の利をやわらかにわが懐にとりこむ所であり和して同ぜず平らかに勝つ所である。
平らかに和して自ら勝つから兵法を平法といい、剣術を和術という。和する所が勝つ所であり、勝ってまた後によく和するのである。(引用終了)
================
私は『合気とは、五分五分の膠着状態を、こちらの有利な状況に変えてしまうための、身体の内部技術であり、「入れる」「付ける」「抜く」の三種類に分けることができるのではないかとの仮説を立ててみました。』
五分五分の状態をゼロとすると、入れるのはプラス、抜くのはマイナスと考えるとシンプルです。しかし、実際には、ゼロから少しプラスにしてからゼロを経由してマイナスにするというような場合もあります。電気の直流ではなく交流のイメージかもしれません。
更に、相手とぶつからない通り道を選ばなければなりませんので、こちらの力を抜いておいて、相手の身体との接点から、五分五分にならないような経路を探しながら、相手の首に合気を通していく必要があります。つまり、どれだけ違う経路を早く探せるかということが重要になります。
五分五分になった瞬間は、相手からも合気を掛けやすいタイミングでもあります。
ですから、通常の稽古の場合の受け手は、いつでも合気を掛け返せるような体内操作を準備しておくことが、自分の稽古にもなりますし、同レベルの人同士の稽古の時には、たまには合気を掛け返すことをしても良いと考えています。(あまり頻繁にこれをすると、稽古の相手をしてくれる人がいなくなりますので、ご注意ください。)
そのように考えると『柔術を形としてやるのが一番悪い』という言葉の意味を理解出来るかもしれません。
ですから、「体内操作と呼吸と意念」を使う稽古しかないと私は考えています。
▼武道歌撰集 一之巻から引用します。
捕られては 水に浮木の 身を持てよ 風にまかせつ 浪にまかせつ
むりにただ 力を頼む 人こそは 勝身にうとき 心なりけり
やはらかに 敵のなす手に 任せつつ 後に勝こそ 陰中の陽
忘れても 力いだすな いたづらに 敵の力ぞ 我が力なる (引用終了)
================
合気だけではなく、他の武術でも力を抜くことが大切だと書かれています。
力を抜いて自由に動ける身体を創ることが、合気の身体創りの第一歩だと考えています。
形を覚えるのではなく、武産合気と言われるように、動けば技になるような身体を創りたい。
そのために今月から「合気の身体になれるかもしれない体操」を稽古します。
体操での動きが、どのようにすれば合気技になるのかを、検証しながら稽古していただきたいと思います。
それは、武術的な合気ではなく、健康法にもなり、施術にも応用可能な合気だと考えています。
ところで、昔に読んだ本で野口晴哉氏は、「植芝盛平翁の合気道は、活元運動です。」と言っておられたような・・・?
そして、脳単のP66には以下のようなことが書かれていました。
錐体外路は、錐体路以外の経路の総称。錐体路はヒトの随意運動において重要な役割を果たしているが、錐体路は大脳新皮質への経路なので、大脳新皮質自体が発達していない(もしく存在しない)、ほ乳類よりも下等な生物の場合、錐体路自体が発達していない(もしく存在しない)。発生の観点から見ても、錐体路は他の経路よりも後から形成され、髄鞘化も最も遅く、誕生後に完成する。
鳥類の場合、終脳の大部分が哺乳類の線条体に相当する部分からなる。その錐体外路系の中枢である線条体や小脳がきわめて発達していることにより、飛行時のスムーズな運動、絶妙なバランス維持が可能となっている。(引用終了)
私には難しいことは分かりませんが言語化と反復記憶の問題点ということに繋がるのではないかと考えています。
言い伝えのように、70歳過ぎてから本当に力が抜けて合気がかかるようになれる補償はありません。力が抜けるより、毛が抜ける方が早いようです。そして、今でも言語化がむずかしく、固有名詞がでてきません。指示代名詞だけで会話をしているような状況です。
しかし、私の場合は、大阪合気会⇒気の研究会(現在の心身統一合気道会)⇒大東流合気柔術六方会と渡り歩いてきましたので、ひょっとすると渡り鳥のように、錐体外路系で活元運動のような合気技がかけられるようになるかもしれません。しかし、喩え私が出来たとしても、教えようがありません。
参照2:自得して忘れず
参照3:道具に遊ぶ
参照4:対談 中川一政X野口晴哉
中川 あのね、僕、まえに、合気道の植芝さんという人に会ったことがあるんですよ。その植芝さんというのは、先代だけれども、とても弱々しいような人に見えるんですがね。非常に動物的な勘みたいなもの、そういうものに鋭い人でしたね。
野口 反射運動的にやってしまうことを、弟子に教える時には、ここでこうやって、こうと、教えなくてはならない。それが教えられないで死んじゃったのでしょうが……。弟子はみんな何を言っているんだか判らないって。
中川 ああ、そうでしょうね。
野口 二代目のほうのは判ると言うんです。「判るかわりに術は使えないだろう」と訊くと、「そうだ」と言うんです。
中川 ああ、そうですか。形で覚えちゃうから……。
野口 そうなんですね。植芝さんは咄嵯に勘から勘へ行っちゃうんです。
☆リンク先で更新された記事
◆「願立」
◆背中でボールを転がす話
◆反応に反応
◆肉体改造レポート
*3.31 くわえこみの行き先は、衝脈か?
by centeringkokyu
| 2016-04-01 00:03
| 合気観照塾