2015年 07月 22日
分からなくてもいい? |
今年の6月から合気観照塾は13年目、8月から呼吸法中心塾は、14年目に入ります。
中心塾の方は、老齢化?が少しずつ進んでいるので、会員数は減少傾向にあります。しかし、それも仕方ないかな?と思っています。
ところで、2013年12月から時々、修験道の先生にお目に掛かる機会が持てました。
全く初めてお目に掛かった時に、私が奥様の足に触れただけで、仙骨から背骨、そして頭部にまで合気を入れていることを見抜かれました。
世の中には、凄い人がおられるものだと感心しました。
それ以降も、有り難いことに、時々お目に掛かる機会がありました。
そして、その度に、しかもお目に掛かった瞬間に「変わられましたね!」と私に仰いました。
私には、何のことか分からなかったのですが、「今年の5月から7月にかけての変化が凄い!」と言ってくださいました。
私自身は、それほど変化したという自覚はないのですが、確かにその頃から、合気や誘導の仕方を教えようとはしなくなっていました。
皆さんがレベルアップされたので、ここからの説明は無理だし、説明すると、間違った方向に行きかねないと考えたからです。
それに、私も分かっていませんから・・・
オステオパシーに関する情報をいただけたことで、外気や野口整体、そして、チャクラに関しても、もう一度見方を変えてみようと思うと、本当に気が楽になり、皆さんには、分からなくてもいいのではないかと思えるようになりました。
皆さんは、ご自分で工夫する方法を身につけ始めておられるので、余計なアドバイスは、「百害あって一利無し」だと考えています。
合気というものは、教えられないし文章に書けないと思っています。
勿論、私が考えている合気が正しいとも思っていません。しかし、皆さんと稽古出来ることが楽しいのです。私自身の発想を柔軟にしてくださるのは、会員の皆さんです。
これからも、よろしくお願い致します。
☆リンク先で更新された記事
時間が出来て何かの節目と感じているのか自分を振り返っていました。
私は『合気』に出会うまで人生の中でこんなに夢中になった事が有りませんでした。
何をしても三日坊主で続けていても惰性で過ごしていた感じです。
夢中になった事のない私は感情が高ぶり興味が湧くと噛り付いていました。
噛り付くだけ噛り付いて咀嚼もせずに食い散らかしていたと思います。
それでも、感覚は変わり必要な事にも少しづつ気付くようになり、吸収する情報量は増えるようになりました。とは言っても咀嚼していないので、頭でっかちになり知識や感覚と体内操作の差が広がり困った時期もありました。
それを自覚してから、自分を見つめ直す作業に取り掛かります。
第3者的に自分を観察していると、人に言われた事を続ける事が出来ない事が解りました。
なぜ、出来ないのかと観察を続けると自分のキャパシティを超えすぎた事を続けているからでした。
そこで、自分のペースを見つけないといけないと感じたのです。
まず、自分で感じた事や思った事の観察に重きを置く練習を始め、誰に何を言われても、自分の気になる事を観察し続ける。ここで大事な事は『人に言われた事は参考にする』でした。
そうしていると、私の中で『三日坊主でも良い』・『いづれ毎日するようになれば良い』と認識するようになりました。
三日坊主が一日飛ばしになると週に6日はしている事になるし~。と自分に都合の良い解釈をした訳です。
小さい頃に親に言われた『よそはよそ!うちはうち!』・『人の事より自分の事をしっかりしなさい!』が頭を過ぎります。
自己中心的に観察を続けていると、言われた事と重なる事もあれば重ならない事もあり、それが良い悪いと判断せずに今の自分はそう感じていると認識するようになりました。
そして、気になる事や感じる事が一日一日変わるようになりブログにまとめる様になった様に思います。
#楽隠居です
私がブログを更新したあとで、皆さんのブログの更新状況を確認したら、K元さんが更新しておられました。
『良い悪いと判断せずに今の自分はそう感じていると認識する』ということが大切なんですね!
なぜそのように感じているかは、誰にも分からないものですから・・・
『なさでなり なせどもならぬ なにごとも なるもならぬも 神のみ心』ですか?
by centeringkokyu
| 2015-07-22 00:09
| 合気観照塾