2015年 02月 22日
免状を貰えば教えられるのか |
▼教功ケーススタディから抜粋してご紹介します。
・気功という大きなシステムの中で、もっとも粗野なエリア、奔放なエリアが《教える》現場です。こういうふうに教えるべきであるというスタンダードメソッドがないのです。いわば気功を教えようと思い立った人の個人的才覚に任されているわけです。
気功指導は、やさしいようで、むずかしい。先生から習ったように教えるだけなら、簡単。でも、教えられる人も、時代も、環境も、目的も、まるで違うのです。同じようにできるわけがない。自分に伝わったようには気功が伝わらない現実。日本の気功の教功の現場は、試行錯誤の渦中にあって、正しい答えはまだない。
・日本では入門の時ではなく、免許をもらう時どかんとカネを払わなければならないところが多いようですが、気功ごときで、そんなことやってられないじゃないですか。
しかし、中国人気功家にとっては、入門し、拝師したからには余所見するな、弟子同士の交流はするな…掟を犯せば破門するぞ、破門されたらそこら中にその旨回状が回ってこの辺にいられなくなるぞ…というのは当たり前のことだったんですね。
・伝統芸能の内容を端的に示せばすなわち〈家元・宗家の制度によって伝承される文芸・武芸〉という意味合いになりますが、今日では「道」となった武道(剣道、柔道、弓道、合気道…)、茶道、華道なども、秘伝と秘儀それにヒエラルヒーと年功序列と師弟人脈と免許によって構成された稽古事によって完成される心身技法とその表現(用)と総括することができるでしょう。
・カルチャーの危機
今ではカルチャーセンターの稽古事は全滅状態です。かつては稽古事の封建制が嫌われていただけでしたが、30年経つ内に稽古事そのものが意味をなさず、すっかり敬遠され、古くさいと嫌われるようになってしまったのです。
気功も、今ではかなり微妙です。気功はかつてはどのカルチャーセンターでも花形講座だったのです。たとえば福岡の朝日カルチャーセンターでは、月早朝、月夜、火午後、金午前、土午前2教室と全部で6教室もあり、各教室とも定員いっぱいの受講者がありました。今はたった2教室に減りました。もちろん、指導がヘタなのではありません。時代後れになってしまったのでしょうか。
気功だけかといえば、そうではなく、稽古事の死滅と歩調を合わせるように、カルチャーセンター自体が、時代後れになってかつての使命を終えつつあるのです。経営的にも多くは赤字です。さらにいえば、親会社の新聞社がインターネットに押されてどんどん先細りになってきて、経営難に直面しております。新興のカルチャーセンターもありますが、新しい限定テーマの短期集中型のプログラムを作り、それをアピールするのに、苦労しているようです。
・日本人の身体文化の危機
もう一つは私塾教育ですが、スキルアップのためにはマンツーマンに近い丁寧な教習が必要で、合宿はその一形態です。意欲のある人に教えられるだけ教えるには指導者の主体性が確保できる私塾形式が適していると思います。これは日本の気功家第一世代のこれからの仕事じゃないかと思います。四半世紀前気功を始めて今は気功を指導し、後継の指導者を育てている55~70歳の人たち。総合的な力をつけて、それを後進にしっかり伝えるということでしょう。
つまり、指導者というのは気功のやりかたを知っているだけじゃつまらないのでして、気功の技能についてはもちろん、人間というもの、生命や魂というもの、修養というもの、武術や医術についても、教育についても、また日本人の姿勢や所作の伝統が果たしてきた役割についても洞察と思索を深めなければなりません。ですから、第一世代こそが、もっともっと精進しろということです。そして、太極拳や武術のとは異なる、気功指導者を養成するのにふさわしい私塾の様式を、模索していってほしいと思うのです。
#楽隠居です
何かを習って、インストラクターの免状を貰ったら教えられるようになるのか?
私自身は、大学で4年間少林寺拳法部に所属し、落ちこぼれながらも辞めませんでした。その後、合気道・気の研究会(統一道)・大東流合気柔術・新陰流・神道夢想流杖道・太極拳・形意拳・気功などを少しだけ習いましたが、正直なところ免状というものは、お金がかかるだけで、あまり役に立つものではないと考えていました。ですから、出来る限り上位の免状は、貰わないようにしていました。
1990年からは、大東流合気柔術六方会の大阪支部長ということになっていましたが、その実体は、岡本正剛先生との連絡係でした。
合気柔術を習い初めて、3年目の初段を頂いた頃から毎週教えていましたが、その目的は、会費を集めて岡本先生に大阪で講習会をしていただくということだったのです。
それでも、13年間は、一応支部長として稽古をさせていただいていましたので、教えるということの難しさを痛感していましたし、習った事と自分がやりたいこととの微妙な違いが、年々明確になってきました。
以前、新陰流転会の渡辺先生が、教え初めて10年は、教え方が下手だったというようなことを言われた事がありました。
合気観照塾を立ち上げたのが、2003年6月ですから、私もそろそろ教え方が上手になっても良さそうなものなのですが、未だにその気配はありません。
今年に入ってからは、「歩法と剣の素振り」のリーダーをM岡さんにお願いしていますし、4月からの「合気の身体になれるかもしれない体操」をN山さんにお願いすることになりました。(*^_^*)
これで、半年間は練功法の切り口を変えなければならないという呪縛から逃れることができます。そこで、もう一度真摯に?自分の身体を見つめ直そうと思っていますので、皆さんよろしくお願いいたします。
参照1:やって忘れる
参照2:石の上にもまだ三年
☆リンク先で更新された記事
by centeringkokyu
| 2015-02-22 11:00
| 合気観照塾