2015年 02月 14日
動かずにいる |
「ひとりでできるアレクサンダー・テクニーク―心身の不必要な緊張をやめるために」から抜粋してご紹介します。
これらの手順は、アレクサンダーが最初に鏡を見て行った実験的観察とは多少ことなります。
ここにあげた手順は瞑想法のモデルにもとづいています。
ステップ1 自己認知
第一段階の「動かずにいる」ということには、もっと深い意味があり、それは自分自身を認知するということです。落ち着きのない自分に落ち着いてください。「ましな」状態にすることはあきらめてください。もろもろの「不完全」を持つあなた自身を抱きこんでください。否認するかぎり変化は不可能です。
否認とは、この場合、あなたが今あるがままの状態をやめようとすることです。たいていの場合、姿勢を調整しようとすることは、何か居心地の悪さをなくしたいということから出てきます。それはあたかも不快感をテコに使って、自分自身をどこか別のところへ押しやろうとしているみたいです——ここに矛盾があります。押すためには押されるものがなくてはなりません。ですから不快感からどれほど逃れようと努力しても、不快感を欠かすことはできないのです。
「努力しても結局は今までに知っていることを強調するだけなのだ」(アレクサンダー)
自己認知こそ、逆説的ですが、果てしないどうどうめぐりから逃れる方法なのです。あなたが学習するのは、故障して修理を待っているものとして自分を見ることをやめ、自分の不快感にもっと深く入っていくのです。自分とたたかうのではなくて、自分に寛容になり、自分自身に対して愛と哀れみさえも感じるようになるのです。
動かずにいると最初の数分間は——動きたい衝動が起こり続けます。とるに足らないことなんだと思いながら、それらを観察し、衝動が起こるたびに決意を新たに、「いいえ、その動きは起こさない。わたしはこのまま静かに動かずに自分のからだのなかにとどまり、こういった状態をあるがままに認知しよう」とします。このように自分自身を認知するという前提でワークし続けると、ふしぎなことがあらわれてきます。このようにしていることが、ますます容易に、いい気持ちにさえなってきます。あなたの気持ちが静まって、もはやからだの部分を調節し続けたい感じが起こらなくなったら、そのときこそ手順の次の段階へいく準備ができたのです。
☆リンク先で更新された記事
#楽隠居です
このところ示し合わせたようにK元さんのブログと内容がかぶっています。共時性というように解釈しておこうと思います。
ところで、本日はちょっと時間が空きましたので、「動かずに立っているだけ」の稽古をしました。
鏡の前にただ立っているだけなのですが、何もしないと身体の捻れがよく分かりました。
それでも、それをなんとかしようと思わずに、ただ立っていました。
足底⇒足首⇒膝⇒股関節⇒骨盤⇒肋骨⇒鎖骨⇒肩甲骨⇒頸椎⇒頭蓋骨
などの現状認識をしてから、呼吸と首のまわりの皮膚を意識していました。
そうしていると、自分がエジプトのミイラになったように、身体全体に包帯が巻かれていくような感覚になりました。
この辺りは、フェルデンクライス・メソッドの頭蓋骨に色を塗るレッスンや外丹功の龍形などのイメージが、勝手にでてきたのかもしれません。
動かないというのも、なかなか気持ちの良いものでした。
その後、予約してくださっていた方が、個人レッスンを見学したいという女性と来られました。
その女性は、秘密基地に入って来たら、直ぐに呼吸が楽になったと言っておられました。
予約して下さった方のレッスン中も、ずっと綺麗な姿勢で椅子に腰掛けて、「信じられないくらい気持ちいい!」と言い続けておられました。
私は、何もしていないのに、結構効果が出たようで、来週主人と二人で来ますと予約してお帰りになりました。
私は、亡き枝雀師匠のように、高座に上がっても何もしないで、ニコニコしているだけで、お客さんが喜んでくださるという状況を目標にしてきましたが、まさか本当に何もしない方が良いなんて!
by centeringkokyu
| 2015-02-14 00:01
| アレクサンダー・テクニーク